第四章
第四章
その夜を境に、朝人の中で何かが決定的に変わってしまった。
管理人室の柔らかな灯り。
雨音。
頭を撫でる白い指。
そして、自分の口から初めて零れた、
――あきら様。
という呼び方。
恥ずかしかった。
情けなかった。
なのに。
そのあと、あきら様は本当に装具を外してくれ、たまっていたものを解放までしてくれた。
「ちゃんと言えたから」
そう言って。
鍵が回る音を、朝人は今でも覚えている。
閉じ込められていた圧迫感が解放される瞬間。
身体の奥に溜まり続けていた熱が、一気にほどけていく感覚。
頭が真っ白になるほど、強い解放感だった。
苦しかった時間が長かったせいか、その瞬間はほとんど現実感がなかった。
あきら様はずっと静かに隣にいた。
優しく頭を撫でながら、
「よく我慢したね」
と、穏やかに笑っていた。
その声を聞いた瞬間、朝人の胸の奥が妙に熱くなった。
嬉しかった。
認められた気がした。
ただ楽になっただけじゃない。
“ちゃんと耐えたから許された”。
その感覚が、思っていた以上に朝人の心を揺らしていた。
そして。
朝人は気づいてしまった。
もしまた、あの瞬間を味わえるなら。
あきら様に優しく「いい子」と言ってもらえるなら。
自分は、多分。
なんでも素直に聞いてしまう。
そんな気がしていた。
*
「あきら様」
翌日、その呼び方を口にした瞬間、朝人は少しだけ胸がざわついた。
一度そう呼んでしまうと、不思議と元には戻れなかった。
「おはよう、朝人くん」
朝。
管理人室の扉を開けると、あきら様がコーヒーを淹れていた。
「……おはようございます」
「ちゃんと眠れた?」
朝人は少し迷ってから、小さく頷く。
昨夜の余韻が、まだ身体の奥に残っていた。
苦しさから解放された安心感。
そして、その時間を与えてくれた人。
それを思い出すだけで、胸の奥が静かに熱くなる。
「そっか」
あきら様は小さく笑った。
「いい子だったもんね」
その言葉だけで、朝人の心臓が少し跳ねる。
最近、自分はこの声に弱い。
褒められると安心する。
認められると落ち着く。
それが少し怖い。
でも、嫌ではなかった。
*
大学生活は、表面上は普通だった。
講義を受ける。
友人と昼食を食べる。
レポートを書く。
笑うこともある。
けれど、その全部の下に、常に銀色の存在感がある。
座る時。
歩く時。
ふとした瞬間。
意識は必ずそこへ戻る。
特に数日経つと、身体の奥に熱が溜まり続けている感覚が強くなる。
夜は落ち着かない。
朝はもっと苦しい。
身体は自然に反応するのに、逃げ場がない。
圧迫感だけが積み重なっていく。
最初の頃は、そのたびに「外したい」と思っていた。
でも今は少し違う。
苦しさの先にある時間を、知ってしまった。
あきら様が鍵を開けてくれる瞬間。
優しく「頑張ったね」と言ってくれる瞬間。
それを思い出すと、朝人はまた耐えようと思ってしまう。
その変化に、自分自身が戸惑っていた。




