番外編:あきら様視点
最初に見た時から、たぶん気に入っていた。
春の雨の日だった。
不動産屋の後ろから、少し緊張した顔でアパートへ入ってきた男の子。
細い肩。
真面目そうな目。
どこか頼りなくて、でも素直そうで。
あきらは、玄関の奥からその姿を見ながら思った。
――かわいい。
たぶん、自分の好みだった。
顔も。
雰囲気も。
そして何より。
“押せば引いてしまいそうな柔らかさ”があった。
もちろん、その時点で何か具体的に考えていたわけではない。
でも。
もしこの子が自分のそばへ置けたら。
ちゃんと自分を頼るようになったら。
きっと可愛いだろうな、と。
そんなことは考えていた。
*
朝人は、最初からわかりやすかった。
視線。
話し方。
距離感。
自分に好意を持っていることを、隠しきれていない。
でもそれが嫌じゃなかった。
むしろ、かわいかった。
だから、少し試してみた。
管理人室へ呼ぶ。
紅茶を出す。
他愛ない話をする。
そうすると朝人はすぐ嬉しそうな顔をする。
期待してしまう。
褒められると、すぐ顔が赤くなる。
そして何より。
“拒絶されるのが苦手”
なのがよくわかった。
だから、たぶん大丈夫だと思った。
*
あの日。
眠った朝人へ銀色の装具をつけながら、あきらは少しだけ迷っていた。
本当に、この子で大丈夫だろうか。
怒るかもしれない。
逃げるかもしれない。
警察へ行く可能性だって、もちろんある。
でも。
大丈夫。
そんな気がしていた。
朝人は、自分で思っているよりずっと“従順”だ。
そして。
苦しい時、優しくされると依存してしまうタイプ。
たぶん。
ちゃんと手順を間違えなければ、この子は自分からわたしを頼るようになる。
そう思った。
*
翌朝。
案の定、朝人は混乱していた。
怯えた顔。
戸惑った声。
かわいそうなくらい必死に外そうとしている。
でも、完全には怒れない。
それも予想通りだった。
「少しだけ慣れてみない?」
そう聞いた時。
朝人は迷っていた。
怖がっている。
でも同時に、自分との繋がりを失いたくないと思っている。
その顔が、全部わかりやすかった。
「……少しだけ、なら」
小さな返事。
その瞬間。
あきらは心の中で小さく笑った。
――やった。
この子は、ちゃんとわたしを頼ってくれる。
もちろん顔には出さない。
ただ優しく笑って、
「うん。いい子」
とだけ返した。
すると朝人は、少し安心したみたいに息を吐いた。
かわいい。
本当に。
*
そこからは、思っていた以上に順調だった。
朝人は苦しさに弱い。
でも。
優しくされると、もっと弱い。
解放してあげると、すぐ安心した顔になる。
撫でると嬉しそうに目を閉じる。
『いい子』
そう言うだけで、顔が熱くなる。
だから、少しずつ覚えさせた。
我慢したら褒める。
耐えたら楽にしてあげる。
苦しい時は、自分のところへ来るように。
そうしているうちに。
朝人は本当に毎日管理人室へ来るようになった。
苦しくなるたび、自分を頼るようになった。
あきらは、それが嬉しかった。
ちゃんと自分を求めてくれている。
ちゃんと依存してきている。
その変化が、たまらなく愛しかった。
今では朝人は、もう自然に自分へ従う。
気づけば、管理人室で使う細かな雑貨や紅茶まで、朝人がアルバイト代で買ってくるようになっていた。
しかも本人は、それを少し誇らしそうにしている。
かわいい。
本当に。
*
特に忘れられないのは、鍵を返された夜だった。
『……預かっててください』
あの瞬間。
あきらは胸の奥が熱くなるのを感じていた。
この子は、自分で決めるより、自分へ委ねることを選んだ。
苦しいはずなのに。
自由になれるはずなのに。
それでも、自分へ預けた。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
「じゃあ朝人君はこれから私のものね」
そう言った時。
朝人が泣きそうなくらい嬉しそうな顔をしたのを、あきらは今でも覚えている。
ああ。
この子は、本当に自分のものになったんだ。
そう思った。
*
今では朝人は、もう自然に自分へ従う。
苦しい朝。
眠れない夜。
限界近くまで溜まった熱。
全部抱えたまま、それでも管理人室へ来る。
「……あきら様」
少し甘えるような声。
撫でると安心した顔をする。
そして。
『今日は我慢』
と言われても、ちゃんと頷く。
かわいい。
本当に。
あきらは静かに微笑む。
雨音の向こうで、今日もまた朝人が管理人室へ向かってくる足音が聞こえていた。




