番外編:お願い
外されている時間が、落ち着かなかった。
最初は嬉しかったはずなのに。
数日前。
大学のスポーツ大会で、朝人は久しぶりに全力で走り回っていた。
装具の存在感なんて忘れるくらい必死だった。
でも。
終わった頃には、擦れた痛みが酷くなっていた。
歩くだけで痛い。
シャワーが染みる。
朝人は珍しく、自分からあきら様へ訴えた。
『……ちょっと、厳しいです』
するとあきら様は傷を見て、小さく眉を寄せた。
『これはだめね』
優しい声。
『ちゃんと治るまで外そうね』
そう言って、あきら様は珍しく装具を外してくれた。
朝人も素直に頷いた。
本当は、少し安心していた。
久しぶりに楽になれる。
夜も眠れるかもしれない。
そう思っていたのに。
*
落ち着かなかった。
朝。
目を覚ました瞬間、身体が妙に軽い。
圧迫感がない。
熱も逃げてしまう。
その感覚に、胸の奥がざわつく。
「……なんで」
朝人はぼんやり天井を見つめた。
自由なはずなのに。
楽なはずなのに。
どこか不安だった。
大学へ行っても同じだった。
椅子へ座る。
歩く。
電車で揺られる。
今までずっと感じていた“重み”がない。
そのたび、妙に落ち着かなくなる。
身体の一部が欠けたみたいだった。
*
翌日。
朝人は管理人室で、あきら様に傷の様子を見せていた。
痛みは、もうかなり引いている。
歩いてもしみない。
昨日までのヒリヒリ感も、ほとんど消えていた。
「ほら、もう大丈夫そうです」
朝人がそう言うと、あきら様は傷跡へそっと触れる。
「んー……」
少し考えるような顔。
そして、小さく首を振った。
「まだ少し赤いね」
「え……」
「もう少し我慢」
優しい声。
あきら様は朝人の頭を軽く撫でる。
「ちゃんと治してからじゃないとだめ」
朝人は小さく頷いた。
「……はい」
本当は。
もう十分戻せると思っていた。
でも。
あきら様にそう言われると、逆らえなかった。
*
夜。
朝人は何度もスマートフォンを見ていた。
管理人室へ行きたい。
でも。
呼ばれていない。
それに。
“つけてほしい”なんて。
そんなこと、自分から言うのはおかしい。
普通じゃない。
そう思うのに。
頭の奥では、ずっとあきら様のことばかり考えている。
『いい子』
優しく撫でられる感触。
苦しい時に抱きしめてもらった夜。
思い出すたび、胸の奥が熱くなる。
そして。
今の自分には、その繋がりが薄れてしまった気がして、不安だった。
*
結局。
朝人は、自分から管理人室へ向かっていた。
扉の前で立ち止まる。
心臓がうるさい。
こんなお願い、変だ。
でも。
帰りたくなかった。
コン、コン。
「はーい」
扉が開く。
「あれ、朝人君」
あきら様が少し驚いた顔をした。
「どうしたの?」
朝人は俯いたまま、言葉を探す。
恥ずかしい。
情けない。
でも。
口にしなければ、たぶん今日は眠れない。
「……あの」
「うん?」
優しい声。
それだけで、胸が熱くなる。
「……お願い、したくて」
あきら様が少しだけ目を細める。
「なにを?」
朝人はぎゅっと拳を握る。
逃げたかった。
でも。
もう、自分でもわかっていた。
「……つけて、ください」
沈黙。
朝人は顔を上げられなかった。
恥ずかしい。
自分からそんなことを頼むなんて。
なのに。
胸の奥では、不思議なくらい安心している。
*
ふっと、小さな笑い声が聞こえた。
「そっか」
あきら様はゆっくり朝人の髪を撫でる。
「外してると落ち着かなかった?」
朝人は小さく頷いた。
「……はい」
「ふふ」
楽しそうな声。
「ほんとにかわいい」
その言葉だけで、胸の奥が熱くなる。
あきら様は静かに続けた。
「朝人君の体の一部だもんね」
その瞬間。
朝人の胸が大きく高鳴る。
最初は。
外したかった。
逃げたかった。
苦しくて仕方なかった。
なのに今は。
その重みがないと、不安になる。
落ち着かない。
あきら様との繋がりが、途切れてしまったみたいに感じる。
そのことに気づくと、胸の奥がじわりと熱くなった。
*
その夜。
久しぶりに身体へ戻った銀色の重みを感じながら、朝人は静かに目を閉じていた。
苦しい。
圧迫感がある。
でも。
不思議なくらい安心している。
あきら様はそんな朝人を後ろから抱きしめながら、優しく囁いた。
「おかえり」
その言葉を聞いた瞬間。
朝人は、自分が泣きたくなるほど幸福になっていることに気づいた。




