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その鍵を預けて  作者: ターチャン


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10/16

番外編:お願い

 外されている時間が、落ち着かなかった。


 最初は嬉しかったはずなのに。


 数日前。


 大学のスポーツ大会で、朝人は久しぶりに全力で走り回っていた。


 装具の存在感なんて忘れるくらい必死だった。


 でも。


 終わった頃には、擦れた痛みが酷くなっていた。


 歩くだけで痛い。


 シャワーが染みる。


 朝人は珍しく、自分からあきら様へ訴えた。


『……ちょっと、厳しいです』


 するとあきら様は傷を見て、小さく眉を寄せた。


『これはだめね』


 優しい声。


『ちゃんと治るまで外そうね』


 そう言って、あきら様は珍しく装具を外してくれた。


 朝人も素直に頷いた。


 本当は、少し安心していた。


 久しぶりに楽になれる。


 夜も眠れるかもしれない。


 そう思っていたのに。


    *


 落ち着かなかった。


 朝。


 目を覚ました瞬間、身体が妙に軽い。


 圧迫感がない。


 熱も逃げてしまう。


 その感覚に、胸の奥がざわつく。


「……なんで」


 朝人はぼんやり天井を見つめた。


 自由なはずなのに。


 楽なはずなのに。


 どこか不安だった。


 大学へ行っても同じだった。


 椅子へ座る。


 歩く。


 電車で揺られる。


 今までずっと感じていた“重み”がない。


 そのたび、妙に落ち着かなくなる。


 身体の一部が欠けたみたいだった。


    *


 翌日。


 朝人は管理人室で、あきら様に傷の様子を見せていた。


 痛みは、もうかなり引いている。


 歩いてもしみない。


 昨日までのヒリヒリ感も、ほとんど消えていた。


「ほら、もう大丈夫そうです」


 朝人がそう言うと、あきら様は傷跡へそっと触れる。


「んー……」


 少し考えるような顔。


 そして、小さく首を振った。


「まだ少し赤いね」


「え……」


「もう少し我慢」


 優しい声。


 あきら様は朝人の頭を軽く撫でる。


「ちゃんと治してからじゃないとだめ」


 朝人は小さく頷いた。


「……はい」


 本当は。


 もう十分戻せると思っていた。


 でも。


 あきら様にそう言われると、逆らえなかった。


    *


 夜。


 朝人は何度もスマートフォンを見ていた。


 管理人室へ行きたい。


 でも。


 呼ばれていない。


 それに。


 “つけてほしい”なんて。


 そんなこと、自分から言うのはおかしい。


 普通じゃない。


 そう思うのに。


 頭の奥では、ずっとあきら様のことばかり考えている。


『いい子』


 優しく撫でられる感触。


 苦しい時に抱きしめてもらった夜。


 思い出すたび、胸の奥が熱くなる。


 そして。


 今の自分には、その繋がりが薄れてしまった気がして、不安だった。


    *


 結局。


 朝人は、自分から管理人室へ向かっていた。


 扉の前で立ち止まる。


 心臓がうるさい。


 こんなお願い、変だ。


 でも。


 帰りたくなかった。


 コン、コン。


「はーい」


 扉が開く。


「あれ、朝人君」


 あきら様が少し驚いた顔をした。


「どうしたの?」


 朝人は俯いたまま、言葉を探す。


 恥ずかしい。


 情けない。


 でも。


 口にしなければ、たぶん今日は眠れない。


「……あの」


「うん?」


 優しい声。


 それだけで、胸が熱くなる。


「……お願い、したくて」


 あきら様が少しだけ目を細める。


「なにを?」


 朝人はぎゅっと拳を握る。


 逃げたかった。


 でも。


 もう、自分でもわかっていた。


「……つけて、ください」


 沈黙。


 朝人は顔を上げられなかった。


 恥ずかしい。


 自分からそんなことを頼むなんて。


 なのに。


 胸の奥では、不思議なくらい安心している。


    *


 ふっと、小さな笑い声が聞こえた。


「そっか」


 あきら様はゆっくり朝人の髪を撫でる。


「外してると落ち着かなかった?」


 朝人は小さく頷いた。


「……はい」


「ふふ」


 楽しそうな声。


「ほんとにかわいい」


 その言葉だけで、胸の奥が熱くなる。


 あきら様は静かに続けた。


「朝人君の体の一部だもんね」


 その瞬間。


 朝人の胸が大きく高鳴る。


 最初は。


 外したかった。


 逃げたかった。


 苦しくて仕方なかった。


 なのに今は。


 その重みがないと、不安になる。


 落ち着かない。


 あきら様との繋がりが、途切れてしまったみたいに感じる。


 そのことに気づくと、胸の奥がじわりと熱くなった。


    *


 その夜。


 久しぶりに身体へ戻った銀色の重みを感じながら、朝人は静かに目を閉じていた。


 苦しい。


 圧迫感がある。


 でも。


 不思議なくらい安心している。


 あきら様はそんな朝人を後ろから抱きしめながら、優しく囁いた。


「おかえり」


 その言葉を聞いた瞬間。


 朝人は、自分が泣きたくなるほど幸福になっていることに気づいた。

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