最初の壁と「青の戦略」
塾の体験入学からすぐの日曜日。講師の言葉が胸に刺さったまま、俺は数日ぶりに「本気で」机に向かっていた。
スマホは電源を切り、リビングの親に預けた。視界に入るのは、白紙のノートと数学の参考書だけ。
(まずは一時間。一時間、集中を切らさずに解き切る……!)
意気込んでペンを走らせる。だが、すぐに手が止まった。
第1章、第2章の内容はなんとか理解できても、第3章の応用問題に入った途端、解説の日本語すら意味不明になった。
「……なんだこれ。全然進まない」
時計を見れば、まだ十五分しか経っていない。かつての俺なら、ここで「あー、やっぱり今日は体調が悪いわ」と自分を納得させてスマホを手に取っていただろう。
だが、あの講師の言葉が耳を離れない。
『本気を出して失敗するのが怖いから、逃げているだけだ』
(ふざけんな。俺だって、やれば……!)
その時、一通のLINE——ではなく、ドアを叩く音がした。
「あらた、ちょっといい?」
それはクラスメイトであり幼馴染の一条まあやだった。週末、一緒に自習をする約束をしていたのを忘れていた。
彼女は俺の部屋に入るなり、机の上に広げられた惨状を見て、少し驚いたような顔をした。
「珍しいね、あらたがスマホも持たずに唸ってるなんて」
「……まあな。そろそろマジにならないと、間に合わない気がして」
「そっか。……ねえ、何から手をつけていいか分かんないなら、これ試してみる?」
まあやが差し出したのは、一本の青いインクのボールペンだった。
【受験応援コラム:あらたのノート術①】
「青ペン書きなぐり勉強法」
まあやが教えてくれたのは、視覚効果を利用したテクニックだ。青色には副交感神経を刺激してリラックスさせ、集中力を高める効果があると言われている。
さらに、シャープペンシルではなく「ボールペン」を使うのがコツだ。消しゴムで消せないからこそ、「自分がどれだけ間違えたか」「どれだけ手を動かしたか」がインクの減りとして可視化される。使い切ったペンの芯は、そのまま君の自信になるんだ。
「間違えてもいいから、とにかく青ペンで図も計算も全部書き出すの。ノートを綺麗に取る必要なんてないよ。ノートは『見せるため』じゃなくて『覚えるため』の場所なんだから」
まあやのアドバイスに従い、俺は青ペンを握った。
「綺麗に書かなきゃ」というプライドを捨て、分からなければ解説をそのまま書き写し、思考のプロセスを全部青いインクで埋めていく。
一時間後。
そこには、ぐちゃぐちゃだが、確かに俺が格闘した「一時間の証」が残っていた。
「……少しだけ、分かった気がする」
「でしょ? あらたは元々、考え始めれば早んだから」
まあやが微笑む。その笑顔に救われながらも、俺は心の奥で罪悪感を感じていた。
彼女は俺の志望校を知らない。彼女自身の志望校は、自分の実力に見合った堅実な中堅大学だ。
「……なあ、まあや。もし俺が、めちゃくちゃ無謀な大学を目指してたら、笑うか?」
「えっ? ……うーん、笑わないよ。だって、目標を高く持つのって、今の自分に満足してないってことでしょ? それってカッコいいじゃん」
まあやの言葉に、俺は初めて「T大」という目標を、自分の中で肯定できた気がした。
だが、現実は甘くない。
数日後に行われた小テスト。青ペンで必死に練習したはずの範囲だったが、結果は平均点以下。
「なんでだよ……あんなにやったのに……」
結局、自分は「本気を出してもできない人間」だったのか?
絶望の淵に立たされた俺は無意識のうちに、あの塾の講師のもとに行っていた。
「佐藤くん。努力の方向がまだ甘い。テストで点を取るための『型』を、君はまだ知らないんだ」




