8. 2度目の現場で知ること
いよいよ検証の日です。
学食で早めにお昼を食べて、皆から「頑張って!」というエールをもらいながら先生方の待つ工房に向かった私ですが……。
足取りは重く、気分は低空飛行になっていました。
……怖いです……また、あのズルリとした怖いものの傍に跳ぶかもしれないのです。
隊員さんがいると思いますが、予想もしない条件が発動して誰もいない場合はどうすれば良いのでしょうか……でも今更嫌だとは言えません……。
「秋月、よく来た。ついさっき華岡隊長から全員準備完了の連絡が来た。もうすぐ始まるぞ」
「はい……」
「さあ、一昨日と同じ作業をしろ」
そう言われて机の上に素材を並べ、素材同士の相性を探る作業を開始します。
私の魔道具は錫杖と短剣とお数珠が、それぞれ違う隊員さんに持たされているはずです。
そして風祭さんには私以外が作った魔道具ということで、魔道具科の主任先生の剣が渡されています。
私が跳ぶのか、主任先生が跳ぶのか、それともどちらも跳ばないのか……。
不安な気持ちのまま素材を見つめていたその時──左の首筋が熱くなってくるのを感じました。
そして、自分の周りの空間が歪むのを察知します。
「あ……!」
私の声に先生達が
「秋月!」「気をつけて!」「落ち着いて。大丈夫だから!」
と声を上げ、その声が急速に聞こえなくなって目をつぶったその次の瞬間……!
* * *
「……来たのか」
からかうような、でもその裏に戸惑いを隠すかのような声に目を開けた私は、誰かの──風祭さんの腕の中にいたのでした。
「風祭さん?」
「おう」
隊員さん、しかも顔を知っている人のもとに跳べたことにホッとしたのも束の間。
その腕の中で顔を見上げた私は息が止まりそうになりました。
「かぜ、まつり、さん……上……!」
天井に何かが張り付いている……!
ドロドロとした、身体から耐えず何かをしたたらせている何かがこちらをじっと見ていました。
ドロドロなのに、目だけはしっかりとあるのです。
それと目があった瞬間、飛びかかってきました……!
瞬時に風祭さんが張った結界に弾き飛ばされて、それは地面で蠢きます。
固まる私を左手に抱きかかえながら、風祭さんの右手が光をまといます。
そこには、今日主任先生から渡されている剣がありました。
「今日は、この状態で魔道具を使ってみるか」
主任先生が作る剣は日本刀です。
それをスラリと持った風祭さんの体にはやはりこの前と同じように胸の辺りに魔力の渦が起こり、そして右手に大量の魔力が流れていくのが見えました。
あら。今日は私の魔道具を持っている訳ではないのに、それでもやっぱり体内の魔力の流れが見える──これは驚きの発見でした。
一度でも私の魔道具を持つとその後も体内の魔力が継続して見えるとか、そういうものなのでしょうか?
そんなことを考えている間に、風祭さんの右手に魔力が集まります。
「剣で戦うなら、俺はここから動かないといけない。結界の中なら安全だ。ここで待てるな?」
風祭さんが離れる……!
途端に恐怖が私を襲いますが、祓いを行おうとしている戦闘魔術師の邪魔をするわけにはいきません。
「はい!」
自分を奮い立たせるために大きな声で返事をすると、風祭さんは小さく「良い子だ」と笑って、私の傍を離れました。
瘴気に侵された人だったものは、その身から滴る瘴気で風祭さんを絡め取ろうとします。
でも風祭さんは踏み込むと刀を一振りして目の前の瘴気を祓い、そして、返す刀でその額を斬りました。
刀を振るう流れるような全身の動きが、その刀筋が、その体内を廻る魔力が、そして出される魔力が美しい……時が止まるかのようなその瞬間、私は風祭さんの全てに見惚れていました。
……グエエエェ……ッ!!!
断末魔のようなうめき声で我に返ると、ドロドロだったものは人の形を取り戻していく最中でした。
それを待つでもなく、風祭さんがこちらに戻ってきます。
「ケガは?」
「ありません」
「そうか」
柔らかく笑ったその胸の辺りを注視します。
……先ほど魔力が渦巻いていた、そこが光っている気がするのです。
もちろん服を着ているので、そんなものが見えるはずないのに。
その見えないはずの光が気になって、私はそこにそっと手を伸ばしました。
指を揃えて、5本の指先でそっと触ります。
すると、ただの光だけでなく、魔力が波紋のようにゆっくりと風祭さんの身体に何層にも広がっていきます。
同時に私の左の首筋がひどく熱くなっていました。
これは気のせいなのか。
それとも気のせいではなければ、これはなんなのか……。
そんなことを考えていると、風祭さんの手が躊躇うような動きをしながら、そっと私の左の首筋に──熱くなっているまさにそこの服の上に触れました。
首筋はますます熱く、そして私が触れている風祭さんの胸の光の波紋はよりくっきりと……。
私は頭がぼうっとしてきて、風祭さんのその胸の光におでこを擦り寄せました。
すると、風祭さんは私の首筋に触れる指はそのままに、私の背中に手を回し支えてくれました。その安心感に、身体を預けてしまいます。私達はしばらくそのままの姿勢でいました。
──我に返ったのは、うめき声が聞こえた時でした。
「……して……」
さっき祓った人です!
頭がぼうっとしていてすっかり忘れていました。
前回は瘴気を祓ったあとに残された人は気を失っていましたが、今回は意識があるようです。
風祭さんの胸から身体を離して振り返ると、私は息を飲みました。
人間です。人間なのだけれど……。
その女の人はひどく具合が悪そうでした。
そして、泣いていました。
「殺して……」
瘴気は、人の悲しみや憎しみが育って生まれるものです。
この人もそういうものを抱えていたのでしょう。
「……こいつは、親友に言いくるめられて借金の連帯保証人になりそして逃げられた。家族にも見放されて離婚され、子供は夫が連れていった。ガンに侵されているけれど莫大な借金を返すために休みなく働いている」
風祭さんが小さく呟きました。
祓いをする時、対象の情報はできるだけ事前に調べると基礎課程で習いました。
瘴気の起源が悲しみなのか恨みなのか怒りなのかで、アプローチの仕方が変わるそうなのです。
「お願い……殺して……」
その人は泣いていました。
……胸が痛みます。
私はジャケットのポケットに手を入れました。
そこには3つの石が。
2つは隊員さんに渡そうと思っていたもので、もう1つは祓われた人のポケットにまた入れようと思って作ったものです。
「あの……あの人に、話しかけても、良いですか……」
風祭さんを見上げると、目を細め唇を少し歪めた変な表情をしています。
そのまましばらく黙ったあと「ああ」と短く答えてくれました。
恐る恐るその女の人に近づきます。
風祭さんは私の背を支えてついてきてくれていました。
「あの、この石を……お守りみたいなもので、少しだけ良いことがあるかもしれなくて……」
コロリとした楕円の石を掌に乗せてその人の前に差し出すと、その人はじっと石を見ました。
「……お守り?」
かすれた、細い声。
「はい。あの、良い方向に向かいますように……」
「……良い方向?……」
「はい、あの……」
「…………なんだよ!!!良い方向って!!!」
いきなりものすごく大きい声で怒鳴られ、その人が私に掴みかかろうとしたところを風祭さんが私の腰を抱いて後ろに引っ張ってくれたおかげでギリギリ免れました。
──息を、飲む……。
「そんな石で!お守りなんかで!借金が無くなんのか!?ダンナの怒りがなくなんのか!?子供が………子供が、帰ってくんのかよ……!!!」
それは、悲鳴のような叫びでした。
「なんであのままでいさせてくれなかった!?
なんであそこから引っ張り上げた!?
やっとこの苦しみが見えなくなってたのに……!
帰せ!あの何もない暗闇に帰せよ!……帰せないなら!殺せえええぇ!!!」
その叫びはその空間を切り裂くようで。
私は風祭さんの腕の中、身動きができなくなりました。
「……お前は、これから同じような奴らがいるところへ送る。」
静かな風祭さんの声。
決して大きな声ではありません。そしてそれ以外の言葉を何も言うことはないまま、手を鷹揚に動かすと、その女の人は目の前から消えました。
あとには、何も残りませんでした。
いえ、1つだけ──女の人の手から逃れたその時、私の掌から落ちた石だけが転がっています。
それを風祭さんが拾い上げて、無言で私に差し出してくれました。
でも私は動けません……その石に手を差し出すことができませんでした。
──私はどれほど思い上がっていたのでしょうか……。
どれほど自分に力があり、人を導けると思っていたのでしょう。
あの女の人は裏切られ、拒絶され、捨てられ、最後に残った命も無くそうとしていたのに……。
人であることを手放すことを望むほどの絶望と怒りと悲しみに沈む人を、たかが散策で見つけた石を手渡すだけで、救うことができると……?
どれほど、私は傲慢だったのでしょう……。
そしてそんな事情を知りながら静かに祓い、送り出してきた風祭さんが何を思っているのか──。
そんなことも想像せず、その横で表面だけの怖さに怯えながら意気揚々と人を救う気でいた私は、どれほど愚かしく見えたでしょう。
恥ずかしさとそして申し訳無さで、その石に手を伸ばせません……。
「──学園を卒業したての頃は、俺の力で皆を救うんだと思ってた」
風祭さんの静かな声に、肩がピクリとします。
「でも、救えないんだ。
祓っても、そのあとに直面させてしまう人生が待ってる。
祓って日常に戻ったその後に、結局自ら命を絶つ奴もすごく多い。
……それでも、俺達は祓うしかない。それが仕事なんだから。」
風祭さんは私をじっと見つめて、また口を開きます。
「この前の、お前の『良い方向に向かいますように』って言葉……簡単に言うよなって思ったけど」
……風祭さんの静かな言葉に、自分が情けなくて涙が溢れます。
「でも、その思いは悪じゃない。」
風祭さんは私をまっすぐに見つめていました。
「どうしようもない悪意に溺れてしまうあいつらが、それでも生きていかなきゃいけない人生をまた踏み出す時。
……そこに誰かの暖かい心が示されるなら、それは決して悪いことではないと俺は思うよ。」
私は涙を拭えないまま、震える手を伸ばして石を受け取りました。
ほのかに透明な、スベスベとした白い石。
これを磨いた時には何の迷いもなかったのに。
「……さっき、他にも石を持っていなかったか?」
空気を変えるようにそう言われて、そっと2つの石を掌に出します。
キラキラと輝く黒に近い灰色の石。そして、ベージュの石に金がほのかに入る石。
「……この前助けてくださった風祭さんと、今日助けてくれるだろう方のお二方分を作ってきたんです。健康でありますようにという願いを込めました」
でもこれも私の独りよがりだ……。石を載せた手をギュッと握ります。
「これは、お渡しできません」
「……そう?」
風祭さんは静かに微笑みました。
この3つの石は決して何にも使わずに、持っておこう。
今日の私の愚かさを忘れないように。
これからの私ができることを、考えていけるように。
■ ■ ■
「風祭、戻りました!」
その声に振り向いた第6部隊副隊長の田野上は、学生服の女の子を連れて戻ってきた若い隊員に「おつかれさん!」と安堵の声をかけた。
学園からは秋月紗良の姿が消えたという連絡が即座に入っていた。
誰のところに跳んだ!?と緊迫した空気が漂う中、検証メンバー達が次々に帰ってくる。
秋月紗良の魔道具を持った3人共が帰還したため、では風祭隊員のところか、そうであってくれ──と皆が願っていたところに、2人が揃って現れたのである。
秋月紗良の目と鼻が赤かったことから相当恐ろしい目に遭ったのだろうと推察されるが、ひとまず学園に送り届けて次の段階へ話を進めなければいけない。
* * *
第6部隊隊長の華岡は、事務員から差し出されたお茶をチビチビと飲む少女を見ていた。
秋月紗良──秋月……。
恐らくは、古い記憶にある女性と血縁関係にある少女。
この少女のことも、その幼い頃の姿を華岡は覚えている。
自分が、そして10年ほど前のあの時の関係者の誰もが、意図的に記憶に蓋をしているあの出来事を嫌でも思い起こさせる存在。
10数年経って再び、この少女と関わらなければいけなくなるとは──華岡は心の中で大きなため息をついた。




