64. 祓いのあと
9月下旬の官庁街。
暦の上では秋になっているにも関わらずアスファルトとコンクリートに熱せられた空気がまとわりつき、魔術庁の敷地を歩く秋月武明をうんざりさせていた。
だが1歩建物内に入るとひんやりとした空気に迎えられ、汗はひいていく。
そのエントランスには藤原が迎えるのみで、他にはセキュリティチェックをする者すら誰もいない。
身元が不確かな者や招かれざる者は、そもそもこの魔術庁の敷地自体にたどりつけないのだ。
「局長様自らのお迎え感謝する。お忙しいだろうに」
秋月武明の慇懃無礼な言葉に藤原はフンと鼻を鳴らした。
当時第6部隊隊長であった華岡の聴取がそのまま討伐の場となってから半月ほど。
魔術庁は現在も混乱寸前の忙しさの中にある。
藤原も毎日倒れるかと思うほどに働きづめではあるのだ。
「謝罪を~とか言うくせに呼びつけるとか、あんたらは本当に謝罪する気があるのかね」
悪し様に言う元戦闘魔術師に、藤原は「仕方ないだろ」と言う。
「お偉いさん勢ぞろいをあの田舎に連れてくのは骨が折れるんだよ」
「相変わらずあんたは人をむかつかせるのがうまいな」
1歳違いのこの2人は学園時代から反りが合わず、2人きりの時は口調を取り繕うこともなく容赦なく攻撃し合う仲だ。
しかし互いの能力は認めているため相手の言い分はつい聞いてしまう。
そのため話は建設的に進んでしまうというのが、言い合いが止まらない要因でもあった。
「内部ではなんか話が進んでるのか?」
エレベーターに向かいながら秋月武明が問いかける。
「上からの謝罪のあとに正式に依頼されると思うが。
10数年経っているが、如月の戦いについて正式に振り返り、できるだけの検証を行い記録を残すことになった。外部メンバーとして、色々と協力してほしい」
秋月武明は「今更かよ」と悪態をつきながらも拒否はしない。
「もちろん今回の戦いについても別の禍としてできる限りの記録を残す。そちらにも協力を頼む」
「仕方ねえな」
「お前の姪っ子は、今回の戦いについては協力するが如月については辞退するそうだ」
「へえ……」
「思いつめた感じもなく、穏やかな口調だったぞ」
如月の戦いに端を発した歪みを直視しなかったために、今回の禍は起きたと言える。
そのためにも両方の戦いの記録を残すというのは必要なことだろう。
もちろん反省すべきところがあるならば、それを包み隠さず検証することは言うまでもない。
自分の姪が以前の戦いについては当事者として語ることをしないと、迷うことなく決めているのならばそれでも良い。
秋月武明が語れば、あの一家に起きたことは記録として残る。
ただしいつか未来にその記録の閲覧を申請しても、開示されるのは恐らくは黒塗りが多いものになるだろう。
記録を残すということと、それを万人が閲覧できるかというのはまた別のことだからだ。
恐らく今回の禍は国にも報告されないだろう。
瘴気を祓う立場の魔術師が禍と化したことが明らかになれば、魔術師のみならず全ての魔術使いの存在が危険視されてしまう。
それはかつてのように魔術使いへの迫害を招きかねず、また今後の魔術庁の存続にもかかわってくる。
そのため全ては内部のみの処理で秘され、決して外には漏らされないはずだ。
姪がどこまでそれを理解しているかは分からない。
そのため、外部協力する中で知り得たことは個人で記録を残しておくことを秋月武明は決意した。
いつか姪が知りたいと思った時は、自分の記録を紐解けば良い。
もし今後も知る必要がないと思ったならば、いずれ自分が墓に入るその時に共に燃やしてもらえればそれで良いことだ。
「その諸々の振り返りが終わったら、少なくない者が責任を取る形になる」
エレベーター前に到着したもののボタンを押さぬまま、藤原が低い声で言った。
「具体的には?」
「長官、弓削戦闘魔術師長、そして二宮学園長などだな」
「弓削さん……仕方ないとはいえ大丈夫なのか?」
「いや、ものすごい痛手だ。はっきり言って弓削さんに代わる人材がまだ育っていない」
弓削戦闘魔術師長の辞意が示された時、予測されたこととは言え引き留める声はあまりにも多かった。
しかしその声を弓削自身が静かに諫めた。
『如月の後に反省がなされなかったせいで、今回の強大な敵は生まれた。だからこそ今回の禍に対する責任はきちんと取られねばならない』
それが強大な敵へと堕ちた者の上司であった、戦闘魔術師長の言葉であった。
「二宮さんは?」
「華岡が強大な敵となる、最後のひと押しをしてしまったからと本人は言っている」
確かにそうではあった。
でも、と藤原は思う。
あの時、流れとしては華岡は風祭と秋月紗良と過去にしか意識がいっていなかった。
あのままいけば2人のどちらかの言葉なり行動なりで、華岡が強大な敵に変化しかねない……そんな一触即発の状況だった。
もしどちらかが引き金になり強大な敵に変化していたら──若者は、自分のせいで華岡を堕としてしまったと自分を責め続ける咎を負うことになっていただろう。
二宮はそうさせないように無理矢理に華岡の目を自分に向けさせたように、藤原には思えるのだ。
藤原の簡素な説明を聞いて秋月武明は「ふん」と言っている。
「……まあ、あの人なりに思うところはあったのかもな」
如月の戦の際は指令中枢にいた者に、番の遺族宅での紗良の様子や今回の華岡の件がどのように響いたのか──二宮がそのことを述べることはないだろうけれど。
職を辞するというその決意にはなんらかの思いが作用しているのかもしれない。
「処分ではないが、落ち着いたら全国の部隊を編成しなおす。多分他にも退職者がでてくるだろうからな」
前回の如月の戦いの後、魔術庁の姿勢に思うところがあったのか退職者が数多く出た。
今回もその流れになってしまうのは避けられないだろうと藤原は見ている。
「第6も今は田野上が隊長代理に就いてるが、田野上は隊長に昇進の上、他部隊を担当させる。第6にはベテランを回して立て直しだ。下の隊員達も様子を見ながら数年単位で少しずつ全国で入れ替える」
「それが良いな」
今の第6部隊は、受けた精神的ダメージが大きすぎる。
その者達を同じ部隊に置き続けるよりも、新しい環境を与えた方が良いだろう。
秋月武明はひと息つくと一番知りたかったことを口にする。
「……華岡は?」
「この地下の、医療収容所に」
「まだもってるのか」
「……なんとか」
あの日、番2人により祓われた華岡誠は一命はとりとめたもののその体はあまりにも瘴気に侵されすぎていた。
壊された体の復活は絶望的で、近く命を落とすだろうことはもう避けられない事態になっている。
「……投薬の日は?」
「このままいけば、1週間後。もうそれが限界だ」
苦しみを長引かせることを本人も魔術庁もよしとはせず。
投薬と言う名の、命を終わらせる救済が決まっていた。
それを記録でも投薬と呼ぶか、それとも処刑と記すのかは今後議論の対象となるのだろう。
「録音は順調なのか?」
「様子を見ながらだから、まあ細切れにだな」
全身の皮膚を損傷しもはや以前の面影を残さぬ華岡は、結局家族との面会も果たしていない。
姿は見せずとも無菌室の扉ごしに家族を呼んで、マイクを通して話だけでもしないかという魔術庁の提案に華岡自身が拒否を示した。
──積もり続けた後悔と恨みを自分の中で処理できず、弱さに負けた。戦闘魔術師でありながら、瘴気をまとい禍と化した。
その果ての姿を妻と息子に知られたくない……。
それが本人の切実な願いであった。
家族には、華岡は遠征に出ていると告げられている。
そしていずれその身が灰となった後に、遠征先で殉職したと知らせる予定になっていた。
あくまでも国のために瘴気を祓い、散った夫と父。
妻と息子にとっての自分はそうであってほしいと。
──真実は、家族には知らされることはない。
その筋書きを決めた際に華岡が請うたのが、声のメッセージを遺すことだった。
声だけであれば、姿を映さずとも遺すことができる。
真実は知らせない。
それでも妻へ、息子へ、その幸せを願う言葉を遺したいと。
遠征に赴く前に覚悟を決めて録音したという形で、音声を遺すことになっていた。
その死を知った妻と息子のために。
思春期を迎えるだろう息子のために。
息子を一人で育てるその時々に、悩むかもしれない妻のために。
成長して改めて父の生き方を考える息子のために。
もしかしたらいずれ、新しい出会いがあるかもしれない妻のために。
いずれ父となるかもしれない息子のために。
妻と息子が人生の折々、立ち止まるかもしれない時に聞いてもらえるよう。
華岡は体調を見ながら少しずつメッセージを録っている。
「もうだいぶ録り終えた。あと少し力がありそうなんで、最後に息子の小学校入学を祝う言葉を録りたいそうだ」
華岡の息子は確か今、幼稚園の年長児のはずだ。
あと半年……。
何も起きていなければ。
あるいは今の状態でもあと半年だけ命がもつならば、息子の入学を祝ってやれたものを。
しかし、その半年が叶わない。
どうかあと1週間の間になんとかそのメッセージを遺せるように──秋月も、そして藤原も祈らずにはいられなかった。
* * *
『華岡、聞こえるか?』
もう目も見えなくなっている中、病室の外からマイク越しに誰かの声がする…………ああ、これは確か……上司だ……弓削さん……。
華岡誠はもはや身動き一つとれない中、ベッドの上でかすかに唇を動かした。
意識が戻って事態を把握して以来、華岡は一切の痛み止めの処置を拒否していた。
もう2度と思考をなくし、自分を手放すことをしたくない。
戦闘魔術師でありながら瘴気に飲まれた自分が、その挙句の痛みを和らげるなどあってはならない……。
それは全身が壊れてしまった華岡を更に衰弱させることになったけれど、あとわずかの命であっても罰を受けることが彼の望みだった。
『お前の言っていた録音リストで残っているのはあと1つ……光輝の入学式の祝い。録音、できそうか?』
もう唇を動かすことも叶わなくなってきている。
けれども未だ微かに体から作られている魔力をなんとか録音の時だけでも増強できないかと、魔道具師長が急遽特別な魔道具を作ってくれていた。
治癒魔術師長と協力しながらそれを装着してくれて、録音の時だけはなんとか声を振り絞ることができる。
息子の入学式……。
必ず出席すると約束した。
でも、それはもう叶わない。
それならば、なんとしても祝いの言葉だけは届けてほしい──。
華岡の閉じられた目から涙がこぼれる。
『……わかった。準備をするから。あと一つ。頑張れ』
無菌室に何人か入ってくる気配がする。
魔道具師長や治癒魔術師長、それに、もしかしたら弓削さんも……。
ありがたい──。
自分は、戦闘魔術師でありながら堕ちてしまったのに。
第6部隊の皆も先日ドアの向こうから泣きながら声をかけてくれた。
申し訳ない──。
俺はこれまでの皆を裏切ってしまったのに──。
色々な感情が押し寄せてくる。
「華岡、声を出せそうか?……じゃあ録音を始めるぞ」
すぐ近くから見守るような弓削の声がした。
息を吸って、吐いて……これが、きっと俺がこの世界で発する最後の声になる──。
「……光輝。小学校入学、おめでとう……ランドセル、きっとすごく似合っているだろう……かっこいいな……小学校に入ったら、沢山お友達を作って……」
よく晴れた春の日。
桜咲く明るい道を、ランドセルを背負いはしゃぎ歩く息子の姿が見える……。
横を見れば妻が嬉しそうに微笑んで……。
2人共、どうか幸せに。幸せになってくれ。
どうか光あふれる道を歩いてくれ。
俺はもう一緒にいられないけれど……でも君たちの幸せを願わせてくれ。
ありがとう……。
本当にありがとう……。
俺は、君達と出会えて本当に幸せだった……。
ああ、桜の花が舞い散る中、光輝が笑っている。
妻のあたたかい手が俺の手を取ってくれる。
世界はなんて、優しい光に満ちているんだろう──。
* * *
ある日の午後、魔術庁に属する全国の建物に鐘の音が低く響いた。
第6部隊では全隊員を集めた会議の最中だったが、そこにその鐘の音が届く。
内密に聞いていた日付より2日早く響いたその鐘の音に、発言中だった隊長代理の田野上は言葉を止めた。
「……全員、起立」
起立した隊員達の強張った顔、目を閉じた顔を見回した後、おごそかに告げる。
「黙祷」
会議室に、多くのすすり泣く声が響いた。




