63. 番の紋が消える時
もしも自分が番として、そして戦闘魔術師として強大な敵と対峙する時が来たら──。
その時はきっと死闘を繰り広げ、手をつき膝をつき、地を這い全身に傷を受けながら魔力を絞りつくして戦うのだろうと俺は思ってきた。
今まで訓練してきたことの全てを出し尽くした戦闘になるのだろうと。
しかし目の前の現実では、その強大な敵は戦闘に至ることなく数多の白く輝く魔力に貫かれ、身動きが取れなくなっていた。
つい先日まで共に過ごしてきた上司への言葉にならない感情に支配されそうになるのを、一度目をきつく閉じて振り切る。
今は予想とは違うこの状況を、冷静に観察し把握しなければいけない。
瘴気の塊は拘束されながらもその身から膨大な瘴気をまき散らし、強い風はまたしても渦を巻き始めていた。
そして重さをまとった瘴気は、徐々に個々の魔術師の結界を削り始めている。
強い風が身の軽い者の体を飛ばし、床や壁に打ち付ける。
そこに這うようにして治癒魔術師がたどり着き、治癒が終わればまたそれぞれに敵を拘束する一筋を放つ。
またしても空間を圧しようとする瘴気とせめぎ合いながら、そこにいる魔術師の誰もが一人も離脱することなく踏み留まり、敵の拘束を続けてくれていた。
今魔力を放っていないのは俺と、番である紗良のみ。
俺達に託されているのは──。
「紗良、近づくぞ!」
「はい!」
飛ばされそうになる紗良を抱えて、一歩ずつ華岡隊長であったそれににじり寄る。
一歩寄るごとに、体がそれ以上近づくなと警告を告げる。
危険だ、それはお前を損ねるものだと──。
肌が泡立ち、体内の細胞の1つ1つが尖るような感覚に、足が勝手に止まりそうになる。
でも同時にその警告を、抱える紗良が、番の紋が打ち消していく。
細胞は侵されるたびに浄化され、肌は凪ぎ。
壊されていく体が再生して力が湧いてくる。
「紗良、つらくないか?」
視線を敵から外すことはできないため、腕の中の紗良に言葉だけで問いかける。
「平気、大丈夫です。体が常に新しくなっている感じがしてるの」
「ああ、俺もだ。皆も頑張ってくれてる。あと少しだ。頑張るぞ」
「はい!」
仲間達が飛ばされながら、叩きつけられながら支えてくれていることを感じて。
壊されていく体と生まれていく体を感じながら、近づいて、近づいて──。
「華岡隊長……」
「……カゼ、マツリ……」
5年余りの間ずっと見上げ、その背を追い続けた上司の前にたどり着く。
華岡隊長であったはずのその瘴気の塊は、100人以上の魔術師達の魔力に貫かれ、床にうずくまるような形でその場に縫い付けられていた。
その姿はまるで何かの供物のようだ──。
この距離なら、すぐに祓えるはずなのに。
すぐにでも祓わなければいけないのに。
もう人の形をほとんど残していないその暗い塊を前に、俺はその手を動かせずにいた。
「カゼ、マツリ……アキヅキ……」
「……隊長、大丈夫です。俺はちゃんと立てています。1人じゃない。皆が支えてくれています」
あなたを拘束するために、皆が……。
「カタギリ、ヲ……タスケナケレバ……」
「お父さんは……」
紗良が声を出した。
その声は震えているけれど、それでも小さいものではない。
隊長に聞いてもらえるよう、声を張りゆっくりと語り掛けている。
「お父さんは、今はもう空で眠っています。もう苦しくありません……もう、寂しくないんです。
お母さんももう辛い思いはしていません。私ももう気持ちは穏やかで、大丈夫なんです。
私達親子を心配してくれて、ありがとうございます……でも、もう、私達親子は大丈夫なんです……。
だから華岡隊長も……どうかもう、苦しまないでほしいです」
震える紗良の肩を改めて抱き寄せる。
放出される瘴気が少し弱くなった。
「隊長、戻りましょう。」
涙が出てくる。
「戻りましょう。皆が待っています。第6のやつらも、他の魔術師達も、ご家族も。
皆、あなたに戻ってきてほしいと思っています……」
大きい声ではない。
でもどうか心に届いてくれと願いながら、必死に語り掛けた。
──瘴気の放出が止まった……。
場はまだ重く暗い。空気も瘴気が満ち渡り、禍々しくまとわりつくようだ。
でも風が止まった。
──俺達の言葉が隊長の耳に届いている。
「隊長。戻りましょう。一緒に。皆が待っています」
そうだ、絶対に皆待っている。
この人が闇に飲まれたまま滅んでほしいなどと、きっとこの場の誰一人として願ってなどいない。
「あなたは1人ではありません。皆があなたのことを思っているんです」
あなたの心がその暗闇から抜け出すことを、皆が──。
その場の全ての魔術師達が見守る静寂の中、俺は杖を召喚する。
杖──指し示すその先に導くもの。
紗良と作った、華岡隊長だけのための特別な魔道具。
紗良が俺の胸に顔を寄せると、まばゆい光を放つ番の紋の上にそっと口付けた。
俺も紗良の番の紋の上に口付ける。
瑞々しい魔力が再び体を巡るのを感じて、そして俺は改めて杖を構える。
魔力を、右手に集める。
力を籠めろ。
今までこの人から教わってきた全てのものを、今この時、この右手に、この杖に籠めるんだ。
──どうか、ただ瘴気を祓うというそれだけではなく。
どうかこの人のこの先の未来を、光差す良き方へ導いてくれ……。
そう願い、俺は華岡隊長に向かって魔力を放った。
■ ■ ■
暗く重い淀みが霧のように晴れていく……。
「確保!!!」
また明るさを取り戻した広い空間に響くその大きな号令と一斉に集まる皆の足音を聞きながら、風祭さんは動くことなく華岡隊長を見つめていました。
華岡隊長は──全身が血まみれでした。
皮膚が、ズタズタで……。
確保という言葉ではありましたが、実際はとても動けるような状態ではありません。
華岡隊長の周りを魔術師長を始めとした幾人もの治癒魔術師達が取り囲み、治癒を懸命に施していました。
「ダメだ、治らない……!」
「瘴気が細胞まで侵していて、治癒が効きません……!治癒した途端に破壊されていく!」
聞こえてくる厳しい言葉に風祭さんの唇が噛みしめられます。
緊急で運び入れられたストレッチャーに乗せられた隊長は意識がなく、目が合うこともありません。
そのまま運ばれていく姿を見送りながら、風祭さんはポツリと呟きました。
「祓う時。良い方へ……って、願った。今も、願う。これからも」
「……はい」
私も願います。
知らないところでずっと私達のことを思い苦しんでいた、あの優しい人のために──。
華岡隊長が祓われてから空間はどんどん浄化されていき──その時は、もうすぐそこに迫っていることを私達は分かっていて。
私と風祭さんは向かい合いました。
私の首筋。そして風祭さんの胸元。
そこにある番の紋は服を着ていても分かるくらいにまばゆく輝いていました。
眩しくて、熱くて。
相手の紋を見て、そして改めてお互いの視線を合わせます。
強大な敵は祓われて──私達の番としての仲も、もうここで終わるのです。
「ありがとうございました」
笑ってお礼を言います。
「こちらこそ。紗良のおかげで祓うことができた。願った通りの祓い方で。本当にありがとう」
風祭さんも微笑んでいます。
最後に残ったわずかな瘴気が、消えていく──。
何かもっと言いたくなるかと思ったけれど。
私は向かい合った風祭さんに体を寄せると、シャツのボタンを開きました。
そして、光り輝く番の紋に口付けてそっと魔力を送りました。
風祭さんは私の頬を指の背でそっと撫でると、同じように私の首筋に口付けて、魔力を送り込んでくれます。
お互いの魔力を体に刻み込むのも、これで最後──。
今までずっと私と風祭さんを繋いでくれて、ありがとう。
いつも私を支えてくれて、ありがとう。
暗闇にうずくまっていた私を光に導いてくれて、ありがとう。
私達のもとに現れてくれて、ありがとう……。
心の中で、番の紋に感謝を伝えました。
番になって苦しかったこと、悲しかったこと、嬉しかったこと、幸せだと思ったこと。
絶対に忘れない。
愛しい、何よりも大切な私達2人の思い出。
そして、番の紋が眩しいほどに光って──私達の番としてのつながりは、ゆっくりと空にほどけていきました。




