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57. 心の一番弱いところ


「華岡隊長が、瘴気をはらむ……?強大な敵の可能性……?」


裏山の平らな岩に隣り合わせで腰掛ける風祭さんからもたらされた情報を聞いた時、頭の中にキイイインッという金属音のようなものが響くのを感じました。

周囲の音が一切聞こえなくなって、切り裂くような金属音が頭の中を貫いたのです。


「さっき弓削魔術師長が来て、俺と田野上さんに告げてった。

このあと午後イチで魔術庁の局長以上の会議が開かれる。そこで上層部と他の魔術師長に伝えられるらしい。俺達は先に聞いておいた方が良いからと」


脚を広げて座りその膝に肘をついて俯く風祭さんの顔は、よく見えません。

でもその声に弓削戦闘魔術師長から告げられた内容への疑問や反発は感じとれませんでした。


華岡隊長が、強大な敵の可能性──。


瘴気を祓う立場の戦闘魔術師、しかもその部隊長がそのようなものになるなど信じ難い……そして絶対にあってはならないことです。


でも先日の第6部隊での職務停止処分を見れば、彼が部隊長としての資質を問われているのは分かっていました。


そして『魔道具作りを急げ』という言葉は、強大な敵の出現に関して何か動きがあったのだろうと──出現を感じさせる兆候があったのではないかと感じてもいました。


だから驚きはしても、どこかで分かっていたような気もするのです。

ただその強大な敵と華岡隊長を結びつけることを頭が拒否していただけで……。


私はそっと風祭さんの背中に手を当てました。

ゆっくりとさすります。

小さい頃、悲しいことがあって泣いていた私にお母さんがしてくれたように。


「おかしいと思ってたんだ」

ポツリと風祭さんが呟きます。


「おかしいと、思ってた。5年間知ってきたはずの華岡隊長からどんどん変わってきて。顔も歪んできてて。おかしいと思ってた。

でもこの前の部隊長の職務から外されたのも、ただ余裕がないだけだろうと思い込みたくて」


風祭さんの声が震えます。


「……でも魔術師長からはっきりと言われた時、そんなはずないって言えなかった。本当にもう、あの人は変になってたから……」


膝の上の腕に力が入り、その指がきつく組まれました。

私は風祭さんの横に体を寄せると片手でその手を握り、もう片方の手で背中をそっと抱きしめました。


「明るくて大らかで、1人1人の可能性を信じて育ててくれて。皆を支えて、引っ張ってくれて。誇りを持って部隊長を務めてたはずだ。皆が憧れてたんだ………それなのに、どうして……なんで……!」


吐き出すように小さく叫んで。

風祭さんは泣いていました。



華岡隊長──あの人を最初に見たのはまだ私が小さい頃のことでした。


魔術庁の人達がお母さんを責め立て、たまらず外に逃げた時。

眩しい光とクラクションが玄関を出た私達に浴びせられました。

なんとか横に逃げた時、その運転席に見えたのが華岡さんだったと思います。

夜中にそんなことをされて、私達はあの町の住民からも疎まれるようになりました。


華岡さんのことを好きか嫌いかと問われれば、好きではありません。

だって嫌なことをされたのですから。


──でも、人の気持ちはそんなに簡単なものじゃない。


記憶の中の、運転席にいたあの人はすごく苦しそうな顔をしていた……口に拳をあてて泣いていました。


泣くならやらないでって、子供の私は思ったのです。

怖いから、眩しいから、うるさいからやめて。

ご近所の皆に怒られるから、またお母さんが泣いてしまうからやめてって。


どうしてあなたも泣くの。

どうして泣くならやめてくれないの。


今なら分かります。

魔術庁は目的を為すと決めたなら一切の手加減をしません。

私達親子を夫であり父であったお父さんから引き離すために、華岡さんも強い圧力をかけられていたのでしょう。

ただ私の家の傍の部隊に所属していたという、それだけの理由で。


でも……魔術庁が番を結びつかせて力を強化したのは間違いだったのか。

70年近くもの長きに渡って溜まった瘴気を倒す術があるのに、それに賭けたのは過ちだったのか──。


結果として数多の人を飲み込みかねなかった瘴気は祓われ、国の安寧は保たれました。

その過程はともかくとして、魔術庁の方針は国を守るという目的を鑑みれば誤りではなかったのでしょう。


『俺達は正義ではない』

いつかの風祭さんの言葉が蘇ります。


私はこの1年半の間に、沢山の意図的に傷つけられた猫や犬を相手に訓練してきました。

最初は痛んだ胸も、だんだん痛まなくなっていった。


(きた)る国難に備えて、自分の成長のために小さい命を犠牲にすることを受け入れてしまった私は、あの時の魔術庁の人達と何が違うのでしょう……。


もし、どんな角度から見ても曇りがない、輝かしい正義があるのなら──。


本当は誰だって、そんな正義の元に立ちたい。

でも実際にはそれが叶わないこともあって。

叶わない方が多いかもしれなくて。

人は葛藤を抱えながら、自分を納得させられる正義の落としどころを探して生きていかないといけないのです。


それを知る私は、清廉なままではいられなかった人を糾弾できる立場にはないと思うようになっていました。


こう思うことは自分の中の疚しさや苦しさから逃げることなのかもしれない。

でも誰かを恨み、そして自分のことも相手のことも責め続けることは私にとって暗闇にうずくまり続けることで。

私はもう、その暗闇からは決別することを選びました。


両親のことを考え苦しむことに区切りをつけた今は、色々な感情は静かに心の底に沈んでいます。 

忘れることはないでしょう。

でもきっと、時間が色々な感情の境界をゆっくりと曖昧にしていき、そして昇華してくれる。


だから、今の華岡隊長が瘴気をまとうかもしれないと言われて私が思うのは、あの頃のことではなくて。



──どうか風祭さんをこんな風に泣かせないでください……。



魔術学園の学生は小学校卒業と同時に家族から離れます。

12歳で親から離れて山奥で暮らし、関わるのは学園の生徒と先生方だけ。

そんな環境から初めて配属された先の上司や先輩や仲間達は、新人魔術師達にとってかけがえのない存在なのです。


きっと、風祭さんも沢山の愛情と支えを華岡隊長から受けとってきた。

単に戦闘技術を教えてくれる人ではないはずです。


──華岡隊長。どうしてですか……。


風祭さんも、第6部隊の方達も、弓削戦闘魔術師長も。

きっと今、皆とても苦しんでいる。

皆、あなたのことを慕っているはずなのに。

大切なご家族もいるのに。


何があなたの心をそれほどまでに負の方向に蝕んだのですか……?


私は風祭さんの嗚咽を聞きながら、その背中を抱きしめ続けました。


「紗良。頼みがあるんだ」

風祭さんがうつむいたままポツリと言ったので、私は「はい」と静かに答えます。


「杖を仕上げる時に、俺の願いをこめさせてほしい」


願いを……。


「お前が祓いの現場に跳んできた時。 

祓った相手に『良い方向にむかいますように』って言って拒絶されたことがあっただろう?

ずっと、あのことを考えていたんだ。

これからも地獄が続くやつに誰かの暖かい心が示されるのは悪いことじゃないと、思ってる。 

でも俺自身は未だにそれを祓いの対象に願ってやれないんだ。 

俺の手で現実の地獄に引き戻すんだから、そんな無責任なことを言えるわけがない、言うことが許されるはずがないと思ってしまって」


私が自分の甘さを突き付けられた、あの時のことが思い出されます。


「でも、もし華岡隊長を、俺が討たなきゃいけないなら……。 

俺は……討ったあとのあの人の人生が、少しでも良いものであってほしい」


風祭さんが、顔を上げて赤い目でこちらを見ました。


「魔術師でありながら瘴気に飲まれる存在が、例え祓い後に生き残ったとしてもどんな処分が下されるか分からない。 

その後の人生があったとして、それが楽なものだとは決して思えない。 

だから、その後の安らぎなんて願うのはどれだけめでたい考えかなんて分かってるけど。 

でも、それでも俺は、あの人のために幸せを祈りたい」


風祭さんは、私の両手を握りました。


「お前があの日、石を渡したように。

俺が見つけた素材でお前が作ってくれた魔道具で、あの人のこれから先の人生が少しでも穏やかであるように願わせてくれ。俺のこの願いを、俺が持つ魔道具に込めさせてほしい」


そう言って、私の両手を自分の額に合わせました。 

その言葉は静かだったけれど震えていて、まるで風祭さんの心が悲鳴をあげているようで。


私は風祭さんの前に立つと、その頭をそっと胸に抱きしめました。


「……風祭さん。私、番のご遺族とお話をして、もうこれまでの気持ちに区切りをつけると決めて。

そうしたら、お父さんへの怒りや恨みが心を傷つけなくなったんです。悲しみはあるけど、怒りや恨みの感情は昇華されたというか……」


私の言葉を、風祭さんは無言で聞いています。


「もしかしたらまた揺り戻しが来るかもしれないけど。でも色々なことが起こる前にお父さんのことを好きだった思い出まで、無理に否定しなくて良いんじゃないかと思うようになりました」


風祭さんの腕が私の背中に回されました。


「風祭さんのその願いは、暗闇に溺れてしまった華岡隊長に差し伸べられる救いになると思います。 

風祭さんの、大切な方なのです。その人の幸せを願うことが許されないはずがありません。……魔道具を作りましょう。願いを、込めましょう」


そう言って抱きしめた頭を撫でると、

「ありがとう……」

私の腕の中で、風祭さんは静かに泣いたのでした。

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