39. 番の遺族 3
もう今は昔に番であった2人とその周りのご家族の関係を、御年を召した綿貫さんはゆっくりと懐かしそうに語ってくれました。
綿貫さんの言葉が途切れた後はしばらく誰も言葉を発することなく、セミの鳴き声だけが和室に響いています。
そのお話には驚くことが随所にあり、聞き終えた後には色々な思いが押し寄せてきました。
──40歳以上年齢が離れていても、恋愛感情じゃなくても、番として問題なく組めるんだ……。
戦いの場に一緒に行かず、魔道具を持たせて祈るだけで倒せた……。
敵を倒し戦いが終わると番の紋は消え、特別な繋がりはなくなってしまう……。
特に最後のことは私の胸を鋭く突いてきました。
風祭さんと離れて連絡を取っていない今でも、それでも私達は番の紋で繋がっているというそのことが寂しさを支える最後のよすがになっていました。
でも敵を倒したら、この2人だけの特別な繋がりは絶えてしまう。
番の関係は、番の紋が消えるまでの限りあるものなんだ……。
「秋月。お話をうかがって何か質問などはないのか?」
気付けば学園長先生をはじめ皆さんが私を見つめていました。
いけない。
私が話を進めなければいけないのでした。
質問。質問……。
綿貫さんのお話をうかがっている時、実は質問したいと思ったことがあったのです。
それを尋ねるか迷いましたけれど、今日この時を逃したらこの質問をする機会は2度とないと思うので口にすることにします。
「あの。番のお2人を見て、綿貫さんのお父様や叔父様はどのような感情を持たれたようでしたか?」
私の質問は他の人達には突拍子もないことに思われたようです。
「お訊きしたいのはそれなのか?預けた魔道具はどんなものだったかとか、どういう作り方をしていたかとか、戦いの当日の様子ではなく?」
担任の先生が小さい声で尋ねてきました。
伯父さんの顔を、そして学園長先生の顔を見ました。
そして覚悟を決めます。
自分の内面をここで晒す覚悟を。
「綿貫さん、私は先ほど自分のことを番の片割れだとご挨拶しました。でも私は番の娘でもあるのです。
ご存じかもしれませんが、10年ほど前に如月の戦いと呼ばれる大きな祓いがありました。その時に命を落とした番の片割れが、私の父です」
綿貫さんは驚くようなそぶりもみせず、微笑んで先を促すように頷きました。
「父は番として覚醒すると、母と私を捨てて番の元へ走りました。
私はその時の悲しみや痛みを忘れることができていません。特に母のことを思うと、冷静さを保てなくなってしまうのです。
母は父が番に心奪われる過程で心を壊してしまい、そのまま弱って亡くなってしまいました。
私は母がどれほどつらかっただろうと思うと、思い詰めてしまって暗い気持ちから抜け出せなくなるのです。
その母を苦しめた番という立場に自分が立っていることを、もし母が知ったらどんなに悲しむだろうと思うと、私には辛いのです。」
泣いてしまったらどうしようと思いましたけれど、静かにここまで言えました。
「誰にも言っていませんでしたが、私は魔道具を作る度にかつて魔道具師だった母と心の中で対話をしていました。
個性を出さずに作れる魔道具は、自分の弱さを周囲に悟られないようにしながら今でも母と対話ができる大切なツールでした。
でも1年ほど前から、私は魔道具を作れていません。ある人から目的がずれているのではないかと指摘されたのがきっかけです。
母と対話するために魔道具を作るなんて、それは使い手である戦闘魔術師のためではない……そんな自分勝手な動機を自覚した途端に私は魔道具を作れなくなりました」
ここまで、感情を乱さずに言うことができました。
落ち着いて。
息を吸って、吐いて。
そして、この1年ほどの間に考えてたどりついた思いを口にしました。
「……この状態を、私は良くないと思っています。
戦闘魔術師のために、瘴気を祓うために魔道具を作りたいのか。それとも母と対話をしたいのか。
これからの自分が望むのはどちらなのかを考えねばならないと思っています。
そうしなければ、魔道具師としてだけではなく今後の私の人生がずっと暗闇の中に閉ざされてしまうから」
先生方や伯父さんが私をじっと見つめていて、肌が痛いほどです。
「だから私がわだかまってしまっているその原因である、父と母のことを考えないといけないと思うのです。
……先ほど綿貫さんは、おばあ様が島崎さんをおじい様以上に大切に思っていたかもしれないとおっしゃいました。
たとえ恋愛感情ではなかったとしても、自分の母親が自分の父親ではない存在をより大切に思うということを、お子様であるお父様や叔父様はどう思われたのでしょうか?」
綿貫さんは私の一連の言葉を聞く間、ゆっくりと咀嚼するようにうなずいていました。
「まずは、お礼を言わなければいけないね。
前の大いなる戦いで番の2人が亡くなられた。その犠牲のおかげで、私達国民は今の平穏な日常を享受できている。お父上の献身のおかげだ。本当にありがとう」
そんなことを言われると思わなかったので、戸惑ってしまいます。
「そしてお父上が番となられたことでつらい思いをしたのだね。
お父上の功績と同じくらい、私達は貴女とお母上に感謝をしなければいけない。そしてお詫びも。私達国民の生活と引き換えに貴女達につらい思いをさせてしまった。申し訳なかったね」
ご自身は魔術使いではないはずの綿貫さんからのお礼と謝罪を、どんな顔で聞けば良いのか分かりません。
「先ほどの質問だけれどね……。まず貴女と、私の父や叔父では条件が違うというのははっきりさせておかないといけない。
如月の番が誕生した時、貴女のお母上はまだご存命だった。そして番の2人は男女の仲だった。
綿貫トキと島崎国男に関しては、トキの夫である祖父は番が出会う20年以上前に既に他界していた。そして番の仲としても祖母と孫のような関係だった。
それを整理したうえで、それでも先ほどの質問を受けて考えたことを言わせてもらうね」
はい。確かに私は「番の子供」というただその共通点だけで先ほどの質問をしました。
「父と叔父は、祖母と島崎さんが繋がりを深めて祖父よりも大切な存在になろうとしていたことは何も問題だとは思っていなかったように記憶している」
「……それは恋愛感情ではなかったからでしょうか?」
「いやそうではなく、既に祖父が亡くなっていたからだと思う。たとえ恋愛感情じゃなかろうと、もし自分の父親が生きていたら、母親が他人の方をより大事にするというのは子供にとっては複雑だったろうけどね。でももうその父親はこの世にはいなかったから」
もう亡くなっていたから……。
「私がこれから言うことは少し乱暴に聞こえるかもしれない。でも貴女を傷つけるつもりはないから、それは分かってね」
少しの沈黙の後の綿貫さんの言葉に私は頷きました。
「先ほど貴女は『自分が番であることをお母上が知ったらどんなに悲しむか』と言ったよね。
でも悲しむかな。悲しまないんじゃないかな。
……だって、お母上はもういないんだから。
貴女が番であるとお母上はもう知ることはないんだから。
だからお母上が悲しむという事態は起こりようがないよね」
お母さんは、もういない。
お母さんはもう何も思わない。
──そんな当たり前の分かっているはずの事実は、無防備だった私の頭の先からつま先まで雷が落ちたような衝撃で、鮮烈に体を貫きました。
「まだご存命だった頃の苦しみに思いを馳せるのは、何も間違っていないと思う。
その時のお母上は現実に存在して、とても苦しまれたのだろうからね。
でも今現在のお母上は、悲しまないよね。もういらっしゃらないのだから」
微かに揺れるロッキングチェアーの規則的な動きとうるさいまでのセミの鳴き声と、綿貫さんが紡ぐ静かな言葉。
それだけが私の感覚を満たしていきます。
「私が何を言いたいかというとね。
今の貴女が何か行動をしたり決定したりする時に過去を振り返るのはともかくとして、起こり得ないことを縛りにするのは違うのではないかな?と思ったんだよ。
これからの貴女の生き方を決めるのは、いないはずの今のお母上ではなく貴女自身の意思のはずだ」
私自身の、意思……。
お母さんはもう、いない。
考えるのはお母さんじゃなくて、私……。
突き付けられたものの厳しさに目の前が暗くなります。
お母さん、とすがりたくなるけれど。
でもお母さんはいない。
いないんだ……。
どうしよう、ずっと、お母さんが死んだ時から……いいえ、もうずっとその前。
父だった人が冷たくなったあの時からずっと、お母さんに包まれながら暗闇の中で膝を抱えていたのに。
でも、今はもう包んでくれるお母さんはいないんだ。
視界が急速に狭まってきます。
暗く、昏く……身の回りも見えなくなって……
先ほどまで聞こえていたはずのセミの鳴き声も、もう………
私はこれからは1人で、この何もない、真っ暗な、暗闇の、中に……
そう思った時……。
──左の首筋が温かくなりました。
気のせいかと思ったのです。
もうしばらくそれを感じていなかったから。
でも確かに首筋が温かくなって。
風祭さんが、今この瞬間に私を支えてくれているのを感じました。
……跳ぶの?
……いいえ。いいえ、跳ばない。
跳んだら、この家にはもう2度と来ることはないでしょう。
そうしたらこの話をもう2度とすることはない。
こんな、大切な話を。
だから跳ばない。
跳ばないけど。
でもお願い。どうか、勇気が欲しい。
いつの間にか瞑ってしまっている、この目を開ける勇気を……!
私は番の紋に語り掛け、勇気を振り絞って、そして畳に両手を突いて顔を上げました。
「あ……」
──そこは、暗闇ではありませんでした。
そこは光が満ちた明るい空間で。
伯父さんが、先生方が、私の周りに集まっていました。
ある人は私の手を握り、ある人は背中をさすって、そしてある人は少し離れたところから見つめて。
全員が私に心を寄せてくれていました。
──私の周りはいつの間にか暗闇ではなくなっていたのです。
そして、一人じゃ、ない……。
私は深く息を吸って、吐きました。
「──お騒がせしました。ありがとうございます。大丈夫です」
話を続けなければいけません。
皆さんにお礼を言って、また綿貫さんとお話する姿勢に戻りました。
息を吸って、吐いて。
「動揺してお見苦しい姿を見せてしまいました。申し訳ありません」
謝る私に
「こちらこそ。厳しいことを言ってしまったね」
そう言われますが、綿貫さんが謝るようなことではありません。
「お恥ずかしながら、母はもういないのだということをきちんと受け入れていなかったのだと初めて自覚しました」
震える声で私は話題を戻します。
「ずっと、おっしゃる通り母を理由にして……母に責任をおしつけて、自分と向き合うことから逃げてきたのだと思います。……私は……ずるいですね……」
綿貫さんの目をまっすぐに見ることができず、下を向いてしまいます。
声もとても小さくなってしまいました。
「ずるいとは思わないよ。如月の時の一連の騒ぎは私も聞いていた。
戦後の番達やその遺族の間でもね、話題になったんだ。 戦後の番は80組ほどいたのに今回は1組だけだったと。その番をかなり強引に番わせて、そして命を差し出させたとね。
10年以上前なんて、貴女は小さい子供だったでしょう。あの騒ぎを小さい子供が耐えて、父親を失い母親を亡くしたんだ。歩く道に迷うのは仕方のないことだよ」
優しい声に恐る恐る顔を上げました。
「でも貴女はさきほど『これからの自分の人生』と言ったよね。
それを考えたいと自分で思ったならば、今はきっと人生の転機なんだよ。
人は、そういうタイミングを逃してはいけない」
人生の転機……。
「今のお母上がどう考えるかということを考慮しなかったとしたら。
貴女は過去をどう捉えて、これからどう生きていきたいと思うのだろう。
番として片割れを支えることを、貴女個人としてはどう考えるのだろう」
風が吹き光が満ちた部屋の中。
私はその光の暖かさと眩しさを全身で受け止めながら、一人の男の人の姿を思い浮かべていました。
ふわふわの髪、ピアスを沢山つけた、スラリとしたお兄さん。
優しい瞳でいつも少し心配そうな顔で私をみつめて話を聞いてくれる人。
去年の秋から思い浮かべては打ち消して、会いたいと思っても考えないようにして。
でも今思い浮かべる風祭さんはやっぱりとても私には大切な存在で。
──会いたいと、思いました。
魔力を補給とか、支えるとか、そういう役割としてではなくて。
会いたい、会って話したい。
今日聞いたことで生まれたこの衝動で会って、何を思うのか確かめたい。
「……どう生きたいか、考えます。そして……番に会おうと思います。会って、話したいです……」
「そうなさい。若いんだ。色々な未来が貴女の前には広がっているんだよ」
涙を流して呟いた私に綿貫さんは微笑んで、優しく語り掛けてくれました。
* * *
長時間の滞在に丁重にお礼を言って私達が綿貫さんのお宅を失礼する頃には、もう日が傾いていました。
先生がマイクロバスをこちらへ寄せてくれるのを待っているその時。
「紗良」
伯父さんが話しかけてきました。
「今週末、風祭がうちへ帰ってきて荷物をまとめることになっている」
荷物を、まとめる?それはつまり。
「風祭は拠点を東京に戻すということだ。
東京に戻ったらお前の状態が良ければ話したいと言っていた。あいつも何らかの結論を自分の中で出したんだろう。
お前の方はまだ難しいんじゃないかと俺は思っていたけれども、さっきの言葉だとお前も話したいということで良いんだな?」
……風祭さんが、私と話したいと言ってくれている。
風祭さんも、あの海で話していた心の迷いに何らかの答えが出たんだ。
伯父さんは私の答えを待っています。
「うん。私も風祭さんと話したい」
伯父さんは小さく息を吐きました。
周りの先生方も。
「風祭にも伝えておく。あいつは月曜には東京に帰るだろうから、互いに連絡を取りあえ」
「はい」
頷いて、ここまで足を運んでくれたことへのお礼を言おうとした時。
「……紗良。すまなかった」
え?
「お前が綾子への思いに苦しんでいることを知っていたのに、俺はそのことで何もしてやれなかった。いや、しなかった。
俺自身も綾子への罪の意識にとらわれてしまっていて、お前の心を軽くするところまで心を砕いてやれなかった。
俺は大人で、お前の母の兄で父の友人だったのにな」
伯父さんの声は少し震えています。
「お前の思うままに生きていいんだ。誰もそれを咎めやしない。生者も死者も。
自由に生きなさい」
伯父さんはそう言うと、私の返事を待たずに先生方に頭を下げると自分の車へと去っていきました。
戦闘魔術科の先生がそばに来て、私の肩をそっと抱いて撫でてくれます。
──1人じゃないのだと、思いました。
まだ幼かったあの頃。存在することが罪そのものと詰られたあの時の孤独は今はもうありません。
──風祭さん……話しましょう。沢山のことを。これからの、私達のために。
先ほどからずっと暖かくなっている首筋にそっと手を置いて、私は風祭さんへ語り掛けました。




