37. 番の遺族 1
7月のある日。
私は風になびく青い稲が美しい風景の中、大きなお屋敷の門の前に立っていました。
第二次世界大戦後の国難に立ち向かった番のご遺族への訪問。
学園から電車で3時間、最寄り駅からバスで1時間、バス停から更に徒歩20分というそのお宅に公共交通機関で皆で移動するのは難しいため、学園が小さいバスを出してくれました。
私の他に、先生達が9名も引率で付いてきてくれたからです。
そこに同じ県に住む伯父さんが合流すると総勢11名。
かなりな大所帯でお邪魔することになり大丈夫か心配していましたが、遠目からも分かるくらいにそのお宅は立派なお屋敷でした。
「最初は私が挨拶をするが、それから後は君が話を進めなさい」
学園長先生の言葉に「はい」と頷きます。
ご遺族の話をうかがうというのは私への課題でしたので、その依頼の手紙を出す段階から私が主体になって動きました。
先生方のチェックを受けながら時候の挨拶から始まる依頼の手紙を丁寧に書き、電話やメールでやり取りを重ね。
日程調整が終わる頃には「こんなことを常にやらなきゃいけない社会人って大変!」と寝込みたくなりました……。
以前に風祭さんが言っていた、卒業すると社会人としての常識を上司に教えこまれるというのはこういうことの連続なのですね。
そういうあれこれを経て、11名の大所帯でそのご遺族──かつての番だった綿貫トキさんのお孫さんに、これからお話をうかがいます。
塀ではなく生垣に囲まれたその広い家の門はとても大きく、盛り塩がありました。
その門をくぐって広い前庭を進むと、大きな玄関にたどり着きます。
呼び鈴が付いていないため、学園長先生が一応ノックした後に大きな引き戸をガラリと開けて
「失礼致します。魔術学園から参りました」
と低い大きな声で声をかけました。
広い土間は深い軒のせいでずいぶんと暗く、真夏の明るい日の元に立っている私からすると室内は真っ暗に見えました。
その暗い空間からひょこり、と人が現れました。
「こんにちは、お待ちしておりました」
にこやかに出てきてくれたのは60歳くらいの女性。
今日お話を伺う方は男性のはずなので、この方はきっとまた別の親族の方ですね。
「どうぞおあがりください」と中に案内されると室内はひんやりと涼しく、そして予想通りその暗さに圧倒されて周囲の造りがよく分かりません。
ただ11人が一度に入っても問題ないほどの土間を持つこのおうちがとても広いことだけは分かりました。
暗い廊下を体感では随分と長く感じながら案内されて「こちらへどうぞ」と通された部屋。
そこは光に満ちた庭に面した明るい部屋でした。
その明るさは暗さに慣れ始めていた目には眩しくて、襖の手前で一瞬立ち止まってしまったほどです。
畳が何十畳でしょうか。とても広い和室です。
広い庭に面したその部屋は晴天で雨戸を全て開けてあるため外にそのまま開かれていて、セミの鳴き声と共に涼しい風が穏やかに吹き込んでいます。
ふすまの引手の金具や鴨居の彫刻、床の間に飾られた掛け軸や大きな壺に活けられた花々。
今日の訪問を、この家の方々が暖かく迎え入れてくれていることが分かる立派なお部屋でした。
そしてその和室にロッキングチェアーが1つ。
静かに揺れるその椅子に、その方は座っていました。
「はじめまして。綿貫トキの孫の、綿貫勝道です。遠かったでしょう。よくおいでくださった。
長い時間床に座るのが少し負担なので、こんなものに座ってのご挨拶ですみませんね」
細い体でもうかなり御年を召しているように見えるけれども、しっかりとした口調で穏やかに話す男性。
今日はこの方にお話を伺うのです。
* * *
大勢での訪問を迎えてくださったことに学園長先生がお礼を言うと、一通りの挨拶は終わりました。
ここからは私が仕切らなければいけません。
「手紙やお電話では幾度もご連絡をさせていただきましたが、改めてご挨拶をさせてください。
魔術学園魔道具科3年、秋月紗良と申します。1年半前に番の紋が現れた者です。
改めまして、今日は貴重な機会をいただきましてありがとうございます。
今日は魔道具師であられましたおばあ様と、番であった戦闘魔術師だった島崎国男さんとの仲についてお話を伺いたく、よろしくお願い致します」
畳に指をついて、頭を下げます。
紙に書いて何度も復唱して練習したこと、うまく言えていたでしょうか。
失礼はなかったでしょうか。
ドキドキしながら綿貫さんを見上げると優しく微笑んでくれていました。
「若い番さんなんだね。お2人とも若いのかな?……そう、5歳差。お相手もまだお若いね。
うちの祖母と島崎さんは確かに魔道具師と戦闘魔術師という組み合わせだったけれども、年の差が43歳あったんだ。
ああ、魔道具師であるうちの祖母の方が上だったんだけれどね。そういう番でも参考になれば良いけれど」
──43歳差の番……!
微笑みながら告げられた事実に、恐らくその場の全員が驚いていたと思います。
実は、手書きで残っている戦後の番一覧には番の年齢が記されていなかったのです。
面会を依頼するやり取りを交わす中で、孫だというそのご遺族の手紙の文字や文章そして電話の声から受ける印象が思っていたよりも高齢に感じて、私も先生方も戸惑っていたのでした。
それが、そもそも番である綿貫トキさんが番として戦った時点で既に高齢だったとは……!
「今、私は番との関係をどう築くか悩んでおります。
私と番は男女の仲ではありません。それでも戦いの場では支えることになるのだと思います。
43歳差の番の仲はどういうものであったのか、戦いをどう支えられたのか、ぜひ教えていただきたいです」
私は綿貫さんの目を見つめ、お願いしました。




