35. ランドセル(あるいは藤原vs.華岡の記録)
「パパ、ランドセルがとどいたよ!」
帰宅した途端におおはしゃぎな息子の光輝の声に迎えられて、華岡は相好を崩した。
妻子が春にランドセルを選びに行く時は現場や訓練が重なり休みが取れず、一緒に行ってやれなかった。
それでも息子は拗ねることなく
「かっこいいのをえらんだよ!とどいたらみせてあげる!」
とずっと言っていたのだ。
嬉しそうにその到着を告げる姿を見ると、素直な良い子に育ってくれたと改めて我が子への愛おしさが増す。
「おかえりなさい」微笑みながら迎える妻にも「ただいま」と微笑みを返し、そのすべらかな頬に触れた。
華岡の妻は魔術使いではない。
まだ華岡が新人で仕事がうまくいかなかった頃、当時の部隊本部から少し離れた公園のベンチに座り込み立ち上がれない日々が続いていた。
そのベンチが丸見えの家に住んでいたのが妻だ。
あまりにも頻繁に打ちひしがれた青年が座り込むため、趣味で焼いていた自作のパンをそっと差し出してくれたのだった。
交際は始まったけれども、一般人に「俺は魔術使いなんだ」とそう簡単に言えるわけもなく。
ようやく明かすことができても、それでも言えないこともあり、そして魔術に縁のない交際相手にはどうしても理解できないことも出てくる。
紆余曲折を経ながらの長い長い交際期間をなんとか潜り抜けての結婚。
お互いに年齢が高めではあったが可愛い息子にも恵まれた。
今の自分があるのは間違いなくこの妻と息子のおかげだ。
大切にしよう──華岡は幸せを嚙みしめながら、靴を脱いだ。
「光輝、かっこいいぞ。すごく似合ってる。良い色を選んだな」
ジャーン!と自分の口で言いながらランドセルを背負って登場した息子は……確かに似合っているが、だがあまりにもランドセルの方が大きい。
これに教科書やノートを入れたら歩けるのだろうか。
男の子だし、入学する時にはもう少し大きくなっているのか?
そんな平和な心配をついついしてしまう。
「入学式っていつだろう?来年の春のことはまだ分からないか……そこはなんとか休めるようにするから、もし日程が分かったら早めに教えてくれ」
「ほんとう!?パパ、やくそくだよ!にゅうがくしきにきてね!」
妻に尋ねた声を、息子が聞きつけてはしゃいだ声をあげた。
「ああ約束だ」と答えながら、またチクリと華岡の胸が痛む。
──秋月紗良が小学校に入学した時、父である片桐はそれを祝ってやったのだろうか?
……そんな疑問、答えは分かりきっているではないか……。
如月の番2人が心置きなく共にあれるようにと自分達がその妻子を追い詰めた。
この頃、当時の片桐紗良の年齢に息子がさしかかっている。
穏やかな家庭で妻と共に息子の成長を喜ぶたびに、後悔が押し寄せる。
自分はこんなに小さな子を、こんなに柔らかい心を追い詰めたのだ──。
そして今日胸が痛むのは、息子のランドセル姿のせいだけではないかもしれない。
華岡は、今日の日中の魔術庁でのやり取りを思い出していた。
* * *
「華岡、ちょっといいか」
華岡は魔術庁に立ち寄った際に自分を呼び止める声の主──藤原の姿を認めて心の中で舌打ちをした。
1歳上のもう30年ほど付き合いのある、でも実は苦手な先輩。
どうせ言われる内容は分かっている。
風祭の番としての姿勢に対してだろう。
そんな思いが顔に出てしまったのだろう。
「そんな顔をするなよ。俺だって板挟みなんだから」
珍しく感情の見える声を出したので、その藤原の疲れた顔を見ながら華岡は黙って次の言葉を待った。
「秋月紗良が戦後の番の遺族の家を訪ねるのは聞いているか?」
問われて頷く。
二宮の提案するアプローチは意外なものだが、何事も無駄にはならないだろう。
秋月紗良の教育は今は学園に一任されているので、他が口を出せるものでもない。
「そこに風祭も同席するように言ってくれ」
「……今はまだ個人の能力の底上げだと、少し前の会議で合意したではないですか」
「……そろそろ俺も抑え切れないんだよ!」
華岡のため息交じりの返答を、藤原の吐き捨てるような言葉が遮った。
「俺らだって風祭も秋月も若くて未熟で、個人の努力がまだ必要なレベルだってのは分かってんだよ。
でも敵が生まれるのが数年後なんて保証は、じゃあどこにあるんだよ。明日敵が生まれて、個人の能力はまだまだ未熟です、でも番としても全く絆を深めてませんじゃまずいだろ。だから同時並行で絆も深める必要があるだろ。俺らが言ってることは荒唐無稽なことか?」
瘴気の発生は、瘴気を探知する魔道具から送られてくる情報を研究魔術師が日々分析することで捉えることができる。
日本中津々浦々に配置されている魔道具から寄せられる情報は、1年半前の番誕生以来細心の注意を払って分析されているはずだ。
しかし未だに強大な敵の気配は察知されないままに、毎日が過ぎている。
ちなみに如月の戦いの時は、発生の数時間前に突如ある地域の情報が観測不能になった。
何事かと調べていたそのさなか、その地帯に置かれた魔道具が数百個も消滅という現象で敵の誕生は把握されたのだ。
──またその過程をたどるのであれば、確かに気付いてから数時間後には敵が生まれてくる可能性は高い。それが今日や明日ではないとは言い切れない。
「……今、二宮さんを異動させるかって話が出ている。秋月を風祭の遠征先に送ろうとするのに障壁になっているからだ。
それで学園の上にはこちら寄りの奴を送り、二宮さんには本部の上に就いてもらうって案だ。そうすれば二宮さんも手腕を振るってくれるだろ」
二宮学園長が本部に──それは如月の戦いの際の考え方に一気に近くなるということだ。
「二宮さんが?そうしたら教師陣だけでは秋月を守れるか分かりません。それに、また番だけで送り込まれるかもしれない」
「ああ、そうだろうな。そうしたら風祭の努力とか未成年の秋月の立場なんて、容赦なくねじ伏せられる。だから、そうならないためにも少しでも歩み寄る姿勢を見せてほしいんだよ」
華岡は藤原を見た。藤原は唇を歪めてにらみつけてくる。
「お前ら現場の奴らはずるいんだよ。中央から不憫な若者を守るって姿勢を取ってるけど、如月の時の罪滅ぼしにあいつらを使ってるだけだろ。自分はそんなつもりじゃなかったって逃げる場所がある奴は良いよな」
嘲るようなその言い方に黙り込むしかない。
「少しはお前も動けよ。もしかしたら今この瞬間に敵が出現したらどうなるかって考えてな」
そう吐き捨てるように言って、藤原は去っていった。
* * *
「パパのランドセルはなにいろだった?」
「黒だな。パパの時は、男の子はみんな黒で女の子はみんな赤だったんだ」
膝の上に座った無邪気な息子の問いに穏やかに答えながら、華岡は昼間のことを思い返していた。
あの話を聞いた後、ほんの少しだけ思ってしまったのだ。
もし今、如月の戦いほどの敵が出現したら、恐らく風祭と秋月紗良の今の実力では倒せない。
番2人に倒せなければ、他の魔術師にも倒せない。
もしそうなったら、どうなる?次の番がまた出現するのか?
……だがもし現れなければ……?
瘴気は瞬く間に国中を覆いつくしていくだろう。
その時、小さい息子は、無力な妻はどうなる……?
風祭に番としての自覚を持てと、言うべきなのか……?
お前に期待されていることを自覚し、秋月紗良と深く結びつき、力を得ろと。強大な敵を討てる絶対的な存在であれと言うべきなのか……?
──それでは、如月の頃の上の奴らと同じではないか……
あの時浮かんだ自分の考えがひどく利己的なものに思えて、しかし現実に即したものにも思えて、華岡には正解が分からなくなってくる。
「パパ?」
膝の上で自分を見上げてくる息子に微笑みながら、華岡はその小さな手をそっと握った。




