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31. 今は離れることが必要だ

学園の最寄り駅からしばらく電車で下ると、線路は海と並走を始めます。

海のすぐ近くの駅に降りると、その人はもう既に来ていました。


ふわふわの髪にピアスをいくつもつけた、細身の体。

シャープな顎のラインに涼し気な目元。

午後の穏やかな光の中でベンチに腰掛ける姿は、ごく普通のかっこよいお兄さんです。


「お待たせしました」

「全然待ってないから大丈夫」

その人は、前に立つ私を見て静かに笑いました。



海が見たいという私のリクエスト通り、砂浜に降りると2人共にハイカットのスニーカーで砂も気にせずに歩きます。

もう秋になっているため人は全然いなくて、広い砂浜は私達が独り占めでした。


「風祭さん、カニです!」

「おー、食えるかな」

「小さいから無理じゃないですか?」


そんな話題で笑って、きれいな貝を見つけては拾う私を風祭さんが微笑みながら待ってくれて。

誰もいない秋の海辺を私達はゆっくりと歩きました。

  

風は穏やかで、何も邪魔するもののない広い景色はお互いの笑い声を耳に届けてくれます。

波打ち際の湿った砂は、2人の足跡をどこまでも残して。

いつの間にか私達はどちらからともなく手を繋いでいました。


時間は穏やかに緩やかに過ぎていき、海辺の空は少しずつ夕暮れ時を迎えます。

青かった空が薄れて朱色と混じっていき。

いつの間にか、空は燃えるような夕焼けに覆いつくされていました。

内陸で育った私は海にそんなに来たことはなく、その視界いっぱいに広がる赤に圧倒されます。


「こんなにきれいな赤があるんですね」

「俺もここまですごい夕焼けは初めてだ」


そんな言葉を交わしながら2人で並んで見ていると、色々なことがとてもちっぽけで些細なものに思えてくるのです。 


私達が魔術を使うことも。

番であることも。

国のために番として求められるものがあることも。

でも番を受け入れられないことも。

……それでも、手を繋ぎたくなってしまうことも。


全部、この空の下ではちっぽけなものです。


──ちっぽけに、なれば良いのに。


横を見ると、風祭さんもこちらを見ていました。

いつものように少し心配そうな目をして。


……この人は、どんなに苦しくても自分からは私の手を離せない。

私が幼い頃に大切だった人に置いていかれたことを知っている、この人は。


だから、私から言わないとダメなのです。

それでも2人のことなのだから、一方的にお願いするのではなくて2人で決めたい。


「風祭さん、お話が……提案が、あるんです」

「うん」


風祭さんは、こちらへ向き合うと少し眉を寄せながら私を真っ直ぐ見つめます。


息を吸って。吐いて。

「この1週間ずっと考えていたのですけれど……私達は、一度離れた方が良いのではないのかと思うのです」


ここで切っちゃだめ。ちゃんと説明をしなきゃ。


「あの、私はお父さんのことがあったから。最初に話したように、自分が番になることをどうしてもどうしても許せなくて。抵抗が、あるんです」

「うん」


「でも」

勇気を出して。素直に話すの。


「でも私は、風祭さんに会いたいなあと思ってしまうんです。跳んでばかりで、迷惑をかけてるのは分かってるんだけど。でも会いたいな、声を聞きたいなと思ってしまうんです」


風祭さんは驚かない。私のこんな気持ちなんて、バレバレだったのです。


「番になったからって体に引きずられないって、男女の感情なんて持たないって決めてるのに、会いたくて……」 


泣いちゃだめ。

頑張れ、私……ああだめ、涙が出ちゃう……。


「……私の心、逆の方向にすごく強く引っ張り合って………すごく、苦しいんです」


そう言った途端、私は強く抱きしめられたのです。

その背中に私も腕を回すと、もう息もできないくらいに強く抱きしめられました。


「俺も、会いたい。年下だって、まだ学生だって言い聞かせてるけど、お前が跳んでこないかなって待ってる。お前の声を聞きたいと電話で話せる夜を楽しみにしている……でもな」


風祭さんの低い声が胸から響きます。風祭さんは私の頭を優しく撫でながら言葉を続けました。


「強い敵に遭遇した時……お前がいたら楽に倒せるのにって思ってしまった自分のことを、俺は許せないんだ。

俺が、倒さなきゃいけないのに。そのためにずっと頑張ってきたはずなのに。

それなのに、楽に強くなれる道があると知ってしまった俺は、それに手を伸ばしたくなる……そんな自分を、許せない」


そう言うと、風祭さんは私の頭を抱いて頬を寄せました。


「このままだと、俺は自分の弱さを乗り越えられなくて、それを許せなくていつかお前を拒否するようになると思う。 

そうなる前に、きっと俺も離れたほうが良いんだ。

まずは極限まで自分に向き合って、自分の限界を思い知って、そこから見えてくるものを探さないと」


私の存在を煩わしく思われているというのを風祭さんの口から直接聞くのはつらいことでした。

胸がキュッとしてしまいます。

でも、私は同じことを彼にずっと言い続けてきたのですから責められません。


……結局、私達はこんなところでも一緒だったのです。

求めて、でも傍にいることを否定しないとつらすぎて。

風祭さんが私の頬にそっと触れて上を向かせました。

もう涙でぼやけていますけれど、目をそらしません。


「紗良。今は離れよう。また手を繋げるか分からない。でも、俺達は今は離れることが必要だ」

「……はい」


下の名前で呼ばれた……そんなどうでも良いことをぼんやりと考えて。

見つめ合って、風祭さんの目にも涙がにじんで。


燃えるような空の下、私達はせいいっぱい微笑んで、そっと唇を合わせました。


──一瞬触れるだけの、初めてのキス。

   さよならの、キスでした。


* * *


夜の海に並走するガラガラの電車の中、指を絡めてポツポツと喋りました。


「紗良。こんなことを言うのは本当に嫌だけどな。

でも、もし好きな男ができたらちゃんと恋愛しろよ。 

番がいるからとかで遠慮するな。そういう、生き方を縛る存在になりたいわけじゃないんだから」

「……はい。風祭さんも、好きな方ができたらちゃんとその人を愛してくださいね」

「……ああ」


胸がズキリと痛みます。

番の紋ではなく、私の心が。


そんなことを静かな声で話しながら、私達は他に誰もいない電車の中で身を寄せ合っていました。

それでも、電車は学園の最寄り駅に到着してしまう。


「……離れるけど。どうしようもなくなったら連絡しろ」

「……良いの?」

真っ直ぐに目を見てそんなことを言われたら甘えてしまいそうです。

でも。

「ギリギリまで、頑張る。……だから、もしもの時は。お願いします」

「ああ」


「……風祭さん、じゃあね」

「……ああ。じゃあな」


またね、とは言えませんでした。


電車がホームに入り止まるその時まで絡めていた指を離して、電車を降ります。

ホームに立って、ガラスの向こうの風祭さんを見つめました。


開けられることのない窓。

2人の間を隔てるこの透明な壁がなくなり、いつかまた人生が交わる時が来るのでしょうか。


静かに電車が動き出して、風祭さんが片手をあげて。

私も微笑みながら小さく手を振りました。


手を振り続けて、電車が見えなくなって。

「───っ!」

私はホームにしゃがみ込み、泣き崩れたのでした。

〔第2章 完〕

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