16. 魔術庁の方針(あるいは風祭vs.藤原の記録)
保健の先生が別室へ行ったあと、私は無言で制服のボタンを留めました。
番、だった───。
昨日の段階で分かっていました。
風祭さんの胸元に触れたいという自分の中の衝動を自覚していたから。
でも気にしないように風祭さんと確認しあったから、大丈夫だって──そんな風に言い聞かせようと思っていたはずです。
でも、実際に自分が番の片割れだと分かった途端に湧き起こってきたのは……。
お母さん、ごめんなさい──。
そんな、お母さんへの申し訳なさでした。
お母さんを苦しめ続けた番という仕組み。
かつて父親だった人から投げつけられた切り裂くような冷たい言葉や、家に押しかけてきたおじさん達の怖い怒鳴り声からお母さんは必死に守ってくれたのに。
その腕の中に抱きしめ守っていた私が番だなんて……お母さんが知ったらどんなに苦しむだろう──。
「秋月」
誰かが私を呼んでいます。
「秋月紗良……」
私はぼんやりと目を上げました。
ぼんやりと、は本当に視界がぼんやりです。
私は無言で歯を食いしばって泣いていましたから。
風祭さんが少し離れたところから声をかけてきていました。
風祭さんは服をきちんと整えるために、先ほどまで衝立の向こうにいたのです。
「……大丈夫か?」
大丈夫じゃありません……でも、そんなことは言えない。
後ろには伯父さんと伯母さんがいます。
この2人がお母さんがされたことにどれほど心を痛めたか、遺された私が傷つかないようにどれほど気を遣ってくれていたかを私は知っています。
だから、大丈夫じゃないなんて言えない。
「──大丈夫です」
微笑んだ瞬間、首がチリッとなりました。
「え……?」
「紗良!?」
自分だけじゃなく風祭さんや伯父さん伯母さんの驚愕の中、私は跳びました。
──ほんの2メートルほど先の、風祭さんの腕の中に。
「あ………」
気付けば風祭さんの腕の中。
顔を上げると困惑しながらも心配そうに見下ろしている風祭さんがいました。
「数メートルぐらい、走ればいいんだからわざわざ跳ぶな。……普通に来ても跳ね除けたりなんかしないから」
そう言って困ったように微笑んでくれます。
その言葉に私は今度こそ涙を隠せなくなりました。
「……お母さん……お母さん……」
風祭さんの胸にしがみついて、込み上げる震えを喉の奥に飲み込んで。
顔をその服に埋めます。
……お母さん、ごめんなさい。
お母さんはあんなにつらい思いをしたのに。
離婚をしてから殆ど感情を無くしてしまったのに、最期まで私にはなんとか微笑もうとしてくれた。
それなのに、私はあの人と同じ、番みたいなの──。
風祭さんは、そんな私の身体を抱きしめたりはしませんでした。
私を腕の中に包み込むと背中の後ろで両手を組み合わせるようにしながら──つまり風祭さんからは私には触らないようにして。
「大丈夫、大丈夫だ」と何度も言って私が落ち着くまで待ってくれました。
ようやく落ち着いた私が風祭さんにお礼とお詫びを言おうと見上げたその時。
保健室のドアがガチャリと開き、
「おや、仲が良いね」
という男の人の声が響いたのです。
■ ■ ■
少女がすぐ目と鼻の先にいたにも関わらず自分の腕の中に跳んできた時、俺はこの子をどうすべきだろうと一瞬迷った。
番なんてもの、厄介だとしか思えない──。
話によれば家庭を壊すくらいの衝動で惹かれ合うもので、そして戦闘魔術師の力を増強させる恩恵を与えるらしい。
自分は女には不自由していないし、こんな子供に欲情したくもない。
そして第三者のおかげで力を増強などと、今までの自分の努力を馬鹿にしている。
そう思っていたのに──。
「お母さん」と泣く少女を突き放すことはできなかった。
できるだけ自分からは触れないように、彼女の背中の後ろで手を組んで抱え込む。
欲情などではないし、魔力のためでもない。
ただこの腕の中の少女の心がこれ以上傷つかないよう、今この時だけでも支えてやりたかった。
番と認識した途端にこうなるのか──自分が番の片割れであることを身をもって自覚させられる。
厄介な──そう思うけれど、この厄介という気持ちが今後どう変わっていくのか、俺には全く分からなかった。
「仲が良いね」
という茶化すかのような言葉が聞こえたのはそんな時だった。
「君たちが番だということを魔術庁としても認識をした。その上で今後の話をさせてもらいたい」
小会議室に場所を変えて、魔術庁の局長という幹部職に就いているらしい藤原という男はそう切り出した。
隣の大会議室からは未だ複数の者達がざわついているのが聞こえる。
自分達の紋の確認のために、一体どこの所属からどれほどの人数が集まっていたのか。
俺は舌打ちをしそうになるのを堪えていた。
この小会議室のテーブルには5人掛けずつの対面、つまり10人は座れる。
俺と秋月紗良の2名は奥に。
そして藤原と二宮学園長と第6部隊の華岡隊長、そしてあれは──戦闘魔術師全21部隊を束ねる弓削戦闘魔術師長。その4名が入口側に座る。
秋月紗良の伯父の秋月武明や学園の教師達は壁際の椅子へ。
秋月夫人は魔術使いではないということで入室を許されず外で待機となっている。
下っ端の自分達を奥の上座側に座らせることで逃げることを許さないという圧力を感じさせ、そして壁際に座る者達には口出しを許さない姿勢を認識させていた。
藤原は淡々と話し始めた。
──番は常に存在する訳ではないこと。
これまで、番が生まれた後には必ず強大な敵が生まれてきたこと。
そのため今後数年のうちにほぼ間違いなく強大な敵が出現するだろうこと。
その際は番2人で立ち向かうことになるだろうこと。
……おいちょっと待て。なんだ、2人で立ち向かえって。
確か前の如月の戦いでは、その番が2人共亡くなってるんだろう?
それなのに、今度現れるだろうその強大な敵とやらにもまた番2人で立ち向かえと?
学園でも現場でも「命の危険を感じたら撤退」を口酸っぱく言ってるではないか。
強大な敵になった途端に最前線に送られ丸投げされてはたまらない。
たった2人に任せっきりにせずに周りも助けろよ。
全国の魔術師全員で全力で戦えよ。
ひとまず黙って聞いていたが、確実にその不快感は顔に出ていただろう。
そんな俺の様子は気にもしないように、藤原は言葉を続ける。
「そういう訳で、これから君達2人にはそれぞれ個人の魔術師としての能力を上げると共に、2人の仲を深めることを命じる」
───前者は良い。国に所属する魔術師としては当然のことだ。だが、後者はなんだ?仲を深めることを命じる?
隣で秋月紗良の体が強張るのが分かる。
秋月の中では、昨日俺や伯父と話した『番であったとしても、跳ぶ原因を突き止めて阻止できたら、その後は関係をそれ以上深めることはない』で済むと思っていただろう。
隣室のざわめきやこの藤原の態度からしてもはやそれで済むことではなくなっているだろうことが嫌でも分かるが、こちらにも譲れないことはある。
「能力を高めるというのは魔術師として義務であると考えますので、今後も努力し鍛錬します。
ですが。仲を深めるということについてはこちらの思う上での仲の深め方とさせていただきたく思います」
藤原の目が細まる。
「君達の思う仲の深め方とは?」
「互いが穏やかに過ごしていることを確認することですね」
秋月紗良とも希望は一致していると確認済みだ。
互いが特に干渉せず、人生も交わらせずに生きていく。
そんな希望を婉曲に伝える。
……この言葉がどんなに子供じみて聞こえるか、分かっている。
だが、まだ俺ほどは事態の深刻さを把握していないであろう少女の前で、昨日の確認事項が無効になるだろうと俺から示すことはできなかった。
とにかくこちらの意思は伝えておかなければ、このままでは言われるがままに押し切られてしまう。
藤原が薄く笑った。
「紗良殿──いや、秋月魔術師候補生。君のお父上には如月の戦いで素晴らしい活躍をしてもらった」
「藤原さん!あんた何を話す気だ」
壁際に座る秋月武明から鋭い言葉が発せられ、隣に座る秋月紗良の肩がビクリと震えるのが視界の端に映る。
そして俺の胸──先ほど番の紋が現れたところが熱を持ち始めるのを感じる。
「お父上は元々副隊長を務めてくださっていてね、とても能力がある方だったんだ。でもある任務の際に治癒魔術師だった番と出会ってね」
「おい、藤原!」
秋月武明の鋭い言葉とは別に
「──藤原さん」
非難の声が華岡隊長からも上がる。
俺の胸の熱は急激に上がってくる。
この熱は、俺自身ではなく秋月紗良が感じている熱だ──。
隣を見ると秋月が震えながら左の首筋を押さえている。
きっとそこは熱く熱を持っているのだろう。
これは、跳ぶかもしれない──先ほどのように俺の腕の中へ。
「番である女性とお父上の繋がりは強くてね。それはそれは深く愛しあうようになったんだ。
2人が愛し合うようになった後のお父上の力強さと言ったらなかったよ。
お父上が如月の戦いであの敵を倒せたのは、お父上と番の彼女──ああ、お母上と離婚した後にきちんと結婚したから、妻だね。あの夫婦の真の愛のおかげだよ」
「藤原!貴様……!」
「藤原さん!」
秋月武明や華岡隊長の咎める声が聞こえるが、それよりも胸の紋の熱さが急速に高まる方が気になる──まずい!
俺は咄嗟に秋月紗良の手を掴んだ。
目を見開き震えていた少女の目が俺を捉える。
その手を一度ギュッと掴むと、指と指を絡めて結び直す。
そしてもう一度キュッと力を入れた。
大丈夫だ、大丈夫。俺がいるから──。
無言で、でも目を見て語りかける。
秋月の顔がくしゃりと歪み、涙をこぼす。
今この場でこの少女を腕の中に抱き込み庇うことは、藤原を喜ばせることになる。
だから、今は手を握り思いを伝えるだけに留めるしかない。
──大丈夫だ、俺がいるから……。
──秋月紗良は、跳ばなかった。
「お父上の時のように強大な敵が生まれるのなら、君と風祭隊員には同じくらい深い愛で結ばれてもらわないといけないんだ。」
藤原はそこまでは子供に言い聞かせるような穏やかな口調だったが、急にトーンを変える。
「君は今、国の特別な教育を受けその指揮下にいる身だ。命令系統の中にいる。
過去の一家庭の不和など、国民の安全と天秤にかけるまでもない。
風祭隊員と男女として仲を深めることを命じる」
厳しいその声に、個人を思いやる心は一切感じられなかった。
確かに国民の安全はとても大切なことだ。
だが、そもそもその一家庭の不和には魔術庁も無関係ではなかっただろうに…………………この、クソが。
震える手を改めて握る。
大丈夫、大丈夫だから。
「国民の安全を守るのは承知の上で言わせていただきます。
彼女はまだ高校1年生で16歳です。そして私は成人しています。
国として、未成年の女子学生に成人男性との男女の仲を強いるのは多いに問題があると私は考えますが」
繋いだ秋月の手が縋るように震えながら握ってくるのを握り返す。
「風祭隊員。君は自分にどれほど力があると思っているのかな」
藤原は薄っすらと笑いながら俺を見た。
「片桐陽一は番の紋の発現時点で第8部隊の副隊長だった。それでも番による強化を経ても命を懸けないと敵を倒せなかったんだ。
今の君は?戦歴を見せてもらった。確かに君は優秀だよ。ただし、単に3年目の戦闘員としてね」
「……藤原さん」
華岡隊長が幾度目かの咎めるような声を上げるが、藤原はそれを無視する。
「まさか3年目に任される内容をこなしているからといって、副隊長だった片桐と同じ力があるとでも言う気か?それで番の強化を得なくても戦えると?随分な自信だな。御見それするよ」
…………誰が戦えると言った?
そもそも、別に俺は全魔術師の代表として強大な敵と戦いたいと志願した覚えは一度もねぇよ。
この数日で勝手にお前らが盛り上がって話を進めてるだけだろうが。
今度は俺自身への理不尽な言葉に怒りが込み上げてくる。
番だとかなんだとか、知ったことか!
……番のことを考えたからか、胸の紋の辺りが熱い……。
すると、繋いでいた手が小さくキュッと握られた。
隣を見ると、秋月が眉と目尻をしゅんと下げた顔でこちらを見上げている。
そして空いているもう片方の手で俺の手を上からそっと包み込んだ。
胸の紋が熱さではなく、ふわりと暖かくなるのを感じる……。
──ああ、そうだな。大丈夫だ……。
俺も空いた手を、その小さい手に更に重ねてポンポンと軽く叩いた。
少し安心したのか秋月の顔が僅かに緩む。
「今のお言葉、本庁から戦闘魔術師へのご批判として受け取らせていただきます。この3年間の教育へのご批判もあるのでしょうから」
誰が、未熟でしたすみませんなどと謝るものか。
こちらは戦闘年数として期待されるものは身につけてきてるんだ。
無理矢理にでも、事務側からの戦闘魔術師への不当な糾弾ということにしてやる。
弓削戦闘魔術師長と華岡隊長を見ても何も言わないので、問題ないだろう。
「今後も先輩方のご指導を仰ぎ、力をつけるよう励みます。そして秋月紗良との仲も年齢相応の範囲で、知人として深めさせていただきます」
男女として、とは言っていない。あくまでも知人としてだ。
藤原が何か言おうとしたところを、それまでずっと黙っていた弓削戦闘魔術師長が口を開いた。
「今はそれで良いのではないか?これからはひとまず戦闘魔術師として、より厳しく鍛えさせてもらう。正直なところ女にかまけている時間は取れんと思うぞ」
一ブロックの部隊長である華岡隊長の非難は無視できても、全戦闘魔術師を統べるトップの言葉を否定することまでは難しかったのか、藤原は口をつぐんだ。
「──まあ敵の出現まで数年はあるだろうから、今すぐの姿勢としては良いだろう。……また関係性を見て随時話をさせてもらう」
そう言うと、藤原は去っていった。




