第6話:静寂を破る訪問者
昨日とは打って変わって、
澄み渡るような秋晴れの五日目。
図書室の空気は穏やかだった。
陽くんも、昨日の「手つなぎ」を意識させないような、いつも通りの明るさでペンを動かしている。
「よし! この公式、完全に覚えたわ!」
「……ええ。昨日よりもずっと、解くスピードが上がっていますね」
私は鞄から、約束のクッキーを取り出した。
「……はい。今日は、少しだけシナモンを効かせてみました」
「マジ!? うわ、いい匂い……。皐月、お前本当に――」
陽くんがクッキーに手を伸ばした、その時だった。
「――おーい、陽! やっぱりここにいたのかよ!」
静寂を切り裂くような大声とともに、図書室の扉が勢いよく開いた。
私は弾かれたように肩を震わせ、反射的に前髪を深く下ろして、スケッチブックを抱え込んだ。
入ってきたのは、日に焼けた肌とガタイの良い体格をした、二人の男子生徒だった。
一目でわかる。「陽くん側の世界」の人たちだ。
「なんだよ、お前ら。ここ、図書室だぞ。
静かにしろよ」
陽くんが少し困ったように眉を下げて立ち上がる。
「わりぃわりぃ。いや、顧問がお前の進み具合を見てこいって。……って、お前、誰だよその子。……え、もしかして、デート中?」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる彼らの視線が、私に注がれる。私は呼吸が浅くなるのを感じた。泥のように蘇る嘲笑の声。
不気味、呪われる、貞子。
指先が冷たくなり、視界がチカチカと点滅し始める。
「……あ、……えっと……」
声が出ない。早く、ここから消えなきゃ。
「おい、やめろって」
陽くんの声が、さっきまでの明るさを失い、一段と低くなった。
「彼女は、俺に勉強を教えてくれてるんだ。
俺が無理を言って、頼み込んでるの。……茶化すようなこと言うなよ」
「えー、なんだよ、マジかよ。
……でもさ、その子、ずっと顔隠してて不気味じゃね? せっかく陽が隣にいるんだから、もっとマシな――」
一瞬、図書室の空気が凍りついた。
ガタッ、と椅子が鳴る。
「……言葉に気をつけろよ」
陽くんが、二人の間に割って入るように立った。
彼の背中は、昨日雨の日に私を守ってくれた時よりも、
ずっと大きく、そして険しく見えた。
「俺が、この人の絵のファンで、この人の焼くクッキーが世界で一番美味いと思ってて、俺の方からここに居座らせてもらってるんだ。……文句があるなら俺に言え」
「あ……いや、悪かったよ、そんな怒んなって」
「……帰れ。報告なら俺が自分でする」
陽くんの放つ圧倒的な威圧感に押されるように、
水泳部の二人は逃げるように図書室を出ていった。
再び訪れた静寂。
私は指先の震えが止まらず、俯いたまま動けなかった。
陽くんは、ゆっくりとこちらを振り向くと、困ったように頭を掻いた。
「……ごめん、皐月。
あいつら、デリカシーがなくて。……怖かったよな」
「…………」
私は首を振ることしかできなかった。
怖かった。けれど、それ以上に驚いていた。
彼が、私のことを「不気味」だと言った彼らに対して、あんなに真っ直ぐに怒ってくれたことに。
私の絵を、クッキーを、そして私自身を、
あんな風に守ってくれたことに。
「……あ、クッキー、割れちゃったな」
陽くんが机の上に落ちた、小さなクッキーの
欠片を拾い上げて、ひょいと口に入れた。
「……ん。やっぱり、最高に美味いわ」
彼は何事もなかったかのように笑って見せたけれど、その瞳には、隠しきれない優しさが灯っていた。
「……鴻上、くん」
「ん?」
「……続き、……やりましょう。あと五ページ、終わらせないと」
私は、震える声でそう言った。
前髪の下で、涙がこぼれそうになるのを必死に堪えながら。
(この人の前でなら、灰色の世界から抜け出せるかもしれない……)
そんなことを一瞬でも願ってしまった自分に、
戸惑い、胸の奥が熱くなった。
第七話へ続く___




