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届かなかった願いたち その3

資料庫の中は静かだった。


ランプの魔石が放つ淡い光が、無数の棚の影を床へ落としている。


リアは、その光景を見つめたまま動けなかった。


ゴルドスの話を聞いても、答えには辿り着けない。


むしろ問いは増えていた。


未完の物語。


途中で終わった作品。


誰か一人にでも届いたなら、それは無価値ではないのかもしれない。


だが。


リアは棚に並ぶ箱を見た。


ここにあるものは違う。


オタクミが応援していた物語には、少なくともオタクミという受け手がいた。


けれど、この箱の中の作品たちはどうなのだろう。


誰にも届かなかったかもしれない。


作者すら忘れてしまったかもしれない。


そう考えると胸の奥が重くなった。


「アストリアでは」


ロザリアが静かに口を開いた。


彼女は棚の間をゆっくり歩いている。


「売れるかどうかだけが価値基準でした」


指先が古い木箱の表面をなぞる。


薄く埃が舞った。


「売れないと判断された時点で、多くの人は諦めました」


「……」


「筆を折り、物語を書くことをやめた」


ロザリアは振り返る。


「この資料庫は、その痕跡です」


リアは箱の中を見る。


途切れた線。


未完成の形。


終わらなかった言葉。


まるで時間だけが止められたようだった。


その時だった。


資料庫の入り口の方から、重い鉄扉が開く音が響いた。


ギギィ、と鈍い音が反響する。


「リアさん!」


聞き慣れた声だった。


「リアさん! ロザリア様!」


シエルが駆け込んできた。


肩で息をしながら周囲を見回す。


そして。


天井まで続く棚を見上げた。


「すごい……」


思わず呟く。


「ここ、何なんですか……?」


ロザリアが答える。


「売れなかったものを保管してる場所です」


「売れなかった……」


シエルは近くの箱を覗き込んだ。


そこには未完成の風景画が入っていた。


描きかけの空。


塗られていない山。


途中で終わった世界。


シエルは黙って見つめる。


次の箱を見る。


木彫りの人形。


その次を見る。


途中で終わった詩。


しばらく何も言わなかった。


やがて。


ぽつりと呟く。


「……この人たち」


皆がシエルを見る。


彼女は箱の中を見つめたまま言った。


「誰かに見てほしかったんでしょうか」


静寂が落ちた。


その一言は。


レジナルドの言葉とも。


ゴルドスの言葉とも。


少し違っていた。


リアは息を呑んだ。


聞いてほしかった。


その発想はなかった。


評価してほしかった。


褒めてほしかった。


売れてほしかった。


そうではなく。


ただ。


聞いてほしかった。


シエルは続ける。


「だって」


少し困ったように笑う。


「完成してなくても、残してるんですよね」


箱を見る。


「捨ててないんですよね」


誰も答えない。


だが。


その沈黙が答えだった。


ロザリアがゆっくり歩いてくる。


棚の中から木彫りの人形を一つ取り出した。


顔も未完成。


腕も片方しかない。


不格好な人形だった。


ロザリアはそれを見つめる。


しばらく黙っていた。


そして静かに言う。


「価値があったから残ったのではありません」


誰も口を挟まない。


「売れたから残ったのでもありません」


ロザリアの視線は人形へ向いていた。


まるで遠い誰かを見るように。


「残したかったから、残ったのです」


その言葉は。


静かだった。


だが資料庫全体へ染み込むように響いた。


リアは周囲を見渡した。


無数の棚。


無数の箱。


無数の未完成作品。


価値があるから残ったのではない。


成功したから残ったのでもない。


残したかったから残った。


その事実だけがそこにあった。


「……」


リアは胸の奥が少しだけ痛むのを感じた。


この場所は墓場ではないのかもしれない。


死んだ場所ではなく。


置いていかれた場所。


忘れられなかった場所。


諦めきれなかった場所。


そんな気がした。


彼女はスケッチブックを開く。


中には描きかけのキャラクターがいる。


名前もない。


物語もない。


ただ存在しているだけのラフ画。


もし。


リアは思った。


もし誰かが。


こういうものの隣に立てたなら。


完成しなかった絵。


終わらなかった物語。


届かなかった願い。


それらに寄り添える存在がいたなら。


「あなたは確かにここにいた」


そう言ってくれる存在がいたなら。


リアは目を閉じた。


姿は見えない。


顔も分からない。


男か女かも分からない。


何者なのかも分からない。


ただ。


誰かの隣に立つ存在。


それだけが。


霧の向こうにぼんやりと浮かんだ。


まだ形にはならない。


まだ言葉にもならない。


だが確かに何かが動き始めていた。


リア自身も気づいていないほど小さな胎動だった。


やがて一行は資料庫を後にすることになった。


鉄の扉の前で。


リアは最後に振り返る。


ランプの灯り。


棚の影。


積み上げられた箱。


届かなかった願い。


終わらなかった物語。


誰にも聞かれなかった声。


その全てが静かに眠っていた。


リアはまだ答えを持っていない。


生まれなかったものに価値はあるのか。


届かなかった願いに意味はあるのか。


分からない。


本当に分からない。


けれど。


今日この場所で見たものは。


きっと忘れない気がした。


胸の奥に残る小さな違和感。


小さな寂しさ。


小さな予感。


それらはまだ名前を持たない。


だがいつか。


いつの日か。


何かの形になるのかもしれない。


リアは静かに扉を押した。


王都の光が差し込む。


背後で鉄扉が閉じる音が響いた。


意志の残骸たちは再び静寂の中へ沈む。


そしてリアは。


まだ答えのない問いを抱えたまま、その光の中へ歩き出した。

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