鋭い個性
街道沿いの休憩所は、静かな森の帳に包まれようとしていた。
防音と防振の魔導具が完備された『痛リムジン・トレーラー』の客室内では、女性陣が長旅の疲れを癒やして微睡んでいる。
その巨大な馬車の裏手、誰の目にもつかない切り株に腰掛け、レジナルドは一人、スケッチブックと向き合っていた。
「……まだだ。私の魂の鋭さは、こんなものではない...!」
彼はペンを握りしめ、自分が描いた騎士の『アゴ』の線を、黒々と、さらに鋭角に修正し続けていた。
オタクミの無自覚な笑い声が、耳の奥にこびりついて離れない。
『作画崩壊だろ』『凶器じゃん』。
その言葉は、レジナルドが長年胸の奥に秘め、初めて外に絞り出した「王国騎士としての矜持(美学)」を、根底から否定するものだった。
「所詮、理解されぬ道。なればこそ、私は我が道を征くまで……っ!」
彼が己の孤独な魂をさらに尖らせようとペンを走らせていた、その時だった。
「――ヒヒヒッ! こりゃあ、ずいぶんと『相場』を乱しそうな、価値のないゴミがあるじゃねぇか……!」
ガサリ、と背後の茂みが不自然に揺れた。
レジナルドが鋭い視線を向けると、そこに立っていたのは、常軌を逸した異形の魔人だった。
人間のような体躯だが、その全身には「限定」「非売品」「プレ値確実」「転売禁止(の上に貼られた偽装シール)」といった、無数の薄汚れた値札が呪符のように貼り付けられている。
プライス・カルテルの尖兵、『転売魔人セドラー』である。
彼は当初、この森に停車した巨大な馬車から漂う「特大のプレミアム品」の匂いを嗅ぎつけ、強盗(仕入れ)目的でやってきたのだった。
だが、木陰からターゲットである馬車を見た瞬間、セドラーは頭を抱え、文字通り発狂した。
「ああああッ!! なんてことだ! アストリア王家の『ロイヤル・リムジン・V8仕様』じゃねえか! オークションに出せば城が建つ超絶プレ値のヴィンテージ車両が……なんだこのフザケタ改造はァァッ!!」
セドラーは、血走った目で『痛リムジン・トレーラー』を指差した。
その口調は、完全に「純正至上主義の厄介な車(馬車)オタク」のそれへと変貌していた。
「おいこの極彩色のフルラッピング! 王家専用のミスリル銀の純正塗装の価値が台無しじゃねぇか! しかも前面にこんなデカデカと女の顔を描いたら、魔力流体の空気抵抗が最悪になるだろ! リセールバリュー(再販価値)を考えろ! それにこの連結部のヒッチ! なんだこのイケメン同士が絡み合う絵は! サスペンションへの重量配分を無視したクソダサい後付けパーツつけやがって! 馬車工学への冒涜だ!!」
息継ぎすら忘れたような、呪詛のような早口の批判。
魔人としての威厳など欠片もない、ただの厄介なクレーマーの姿に、レジナルドは眉間を深く寄せた。
「……何奴かと思えば、薄汚い盗賊か。貴様、何をごちゃごちゃとうるさいぞ」
レジナルドがスケッチブックを片手に立ち上がると、セドラーはギロリと彼を睨みつけた。
「お前か!? このプレ値車両の価値を暴落させた悪趣味なオーナーは! クソッ、これじゃあ中古市場で叩き売り確定だ! 慰謝料代わりに、てめぇの持ってる金目のものを置いてけ!」
言うが早いか、セドラーの長い腕が鞭のようにしなり、レジナルドの手からスケッチブックを強引に引ったくった。
「なっ……! 貴様、それを返せ!」
「ヒヒッ! なんだこの手描きの原画は! 馬車に乗ってた『リア先生』の未公開ラフか!? こりゃあ高く売れ……」
セドラーは下品に舌舐めずりをしながら、奪い取ったスケッチブックのページを開いた。
そこに描かれていたのは、レジナルドが己の魂を削って描き上げた、極端にアゴの尖ったストイックな騎士の姿。
ページを見た瞬間、セドラーの表情が、期待から一転、信じられないものを見たような顔に変わった。
「……なんじゃこりゃあ。……アゴ長ッ!!」
セドラーの口から漏れたのは、純粋なドン引きの声だった。
「骨格崩壊してんじゃねぇか! トレンド完全無視! なんだこのピッケルみたいなアゴは!」
「……っ!」
「あの痛馬車はな、まだ『特定のキモいオタク』に高く売れる需要(マニア価値)があるから、百歩譲って許せる! だがな、この絵はダメだ! 今の時代、こんな鋭角なアゴの男に金出す奴は、世界中探しても一人もいねぇ!」
セドラーの言葉は、オタクミの笑い声よりもさらに冷酷で、容赦のない「市場の宣告」だった。
「資産価値ゼロ! 1Gにもならねぇ在庫の無駄だ!」
ビリィッ!!
セドラーはゲラゲラと下品に笑いながら、レジナルドが魂を込めて描いた「アゴの騎士」のページを引きちぎった。
そして、泥のついた足で、その絵を無残に踏みにじり、ぐりぐりと地面に擦り付けたのだ。
「あ……」
レジナルドの喉から、掠れた声が漏れた。
自分の中の、誰にも見せてこなかった、一番柔らかくて、一番真剣だった部分。
それを、ただ「金にならない」という理由だけで、汚い足で蹂躙された。
「……貴様」
ゴウッ、と。
レジナルドの全身から、王国最強クラスの騎士としての凄まじい闘気が噴き上がった。
その瞳には、かつてないほどの昏い怒りが満ちている。
「私の魂の切っ先を、なんと言った……!」
シャキィィン!!
抜刀の音すら置き去りにする神速。激怒したレジナルドが放った長剣の斬撃は、森の木々を揺るがし、岩をも両断するはずの、文字通りの必殺剣だった。
だが。
「発動! 『買い占め在庫の絶対障壁』!」
セドラーが指を鳴らした瞬間、空間が歪み、魔人の周囲に「未開封の限定段ボール箱」が大量に出現した。それらはレンガのように積み重なり、強固な壁となってレジナルドの剣の前に立ち塞がった。
ガァァァァァンッ!!!
火花が散る。レジナルドの渾身の斬撃は、段ボールの壁に深い傷一つすらつけることなく、無残に弾き返された。
「な、ばかな……!? ただの紙箱が、私の剣を……!」
「無駄無駄ァ! 俺様が買い占めた『絶対に値崩れしない超硬質限定グッズ』の壁だぜ!? 市場の需要が集中したプレ値商品の硬度は、物理攻撃じゃ絶対に貫けねぇよ!」
転売屋特有の、理不尽極まりない概念防御。
剣士としての純粋な物理攻撃しか持たないレジナルドにとって、それは最悪の相性だった。
「おおおおッ!!」
レジナルドは咆哮し、連続攻撃を仕掛ける。上段、袈裟斬り、突き。
だが、そのすべてが、次々と湧き出す段ボールの壁に阻まれ、虚しく弾かれる。
「遅ぇ遅ぇ! そら、お返しだ! 『価格吊り上げ(インフレーション・ボム)』!」
セドラーがばら撒いた無数の「値札」が、レジナルドの鎧に貼り付く。
その瞬間、値札に書かれた数字が異常な速度で跳ね上がり――ドォン!という爆発と共に、レジナルドの体を吹き飛ばした。
「ぐわぁっ……!」
地面を転がり、膝をつくレジナルド。鎧は焦げ、息は上がり、全身から血が流れている。
「ヒヒヒッ、脆いねぇ。お前、さっき馬車の中で仲間にもその絵を笑われてたろ? 売れないモンを描く奴は、戦場でも無能なんだよ」
セドラーが、段ボールの壁の上から冷酷に見下ろして言い放つ。
「お前のその『鋭い美学』とやらも、結局は誰にも求められてねぇ、独りよがりのゴミなのさ!」
その言葉が、レジナルドの急所を、最も深い部分で抉り取った。
『(アゴ長すぎだろ!ww)』
『(市場価値ゼロですわね)』
『(先生……言いすぎです)』
フラッシュバックする、車内での痛切な記憶。
(……やはり、私の美学は、誰にも理解されないのか)
(国を護るための鋭さなど、今の世には、誰にも求められていないのか……!)
レジナルドの手から、完全に力が抜けた。
カラン、と。彼の誇りであったはずの長剣が、泥まみれの地面に力なく転がり落ちる。
折れた剣。そして、完全にへし折られた心。
自らの魂の敗北を悟り、レジナルドはゆっくりと目を閉じた。
「ヒャハハハ! 資産価値ゼロのゴミは、廃棄処分だァ!」
転売魔人が、トドメとなる特大のインフレ・ボムを振りかざし、無抵抗の騎士に向かって放とうとした、その刹那。
「――誰がゴミだって!?」
森の木霊を切り裂いて、若く、力強い怒声が響き渡った。
ドスッ!
セドラーの顔面に、凄まじい速度で飛来した「温かいマンドラゴラ・コーヒーの空き缶」が直撃し、魔人の体勢を大きく崩させる。
「痛ぇっ!? なんだてめぇは!」
「息を切らせて悪かったな、団長!」
夕闇を背負い、森の奥から飛び出してきたのは。
オタクミだった。
彼は、もう片方の手に握った未開封の温かい缶コーヒーをギュッと握りしめ、セドラー(市場価値の化身)を真っ向から睨みつける。
そして、へたり込むレジナルド(傷ついた魂)を庇うように、その前に力強く立ち塞がった。
「そのおっさんが描いた絵はな……万人に受けなくても! トレンドじゃなくても! 誰よりも鋭く尖った、最高の『個性』なんだよ!」
オタクミの目には、もう迷いはなかった。
己の過去の過ちを清算し、目の前の不器用な魂を全力で肯定する、真の「プロデューサー」の瞳が、転売魔人を射抜いていた。




