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黄昏の鏡面

息が詰まるような車内の沈黙に耐えきれず、オタクミは「……ちょっと、外の空気吸ってくる」と逃げるように席を立ち、馬車を降りた。


王都へと続く街道沿い。馬を休ませるために立ち寄った森の開けた休憩所は、昼と夜の境界線――逢魔がおうまがときの、冷たい茜色に染まっていた。


「……はぁ」


オタクミは、夕陽に照らされた痛馬車の巨大な車体に背中を預け、深く、重い溜息を吐き出した。

冷たい風が頬を撫でる。頭を冷やそうとしたが、脳裏に焼き付いているのは、スケッチブックを胸に抱え込み、誰とも目を合わせようとしないレジナルドの、あの痛々しい背中だった。


「いや……だって、あのアゴは反則だろ……誰だって笑うって……」


誰に言い訳するでもなく、一人ごちる。

だが、心の奥底で警鐘を鳴らすもう一人の自分がいた。

リアの『それは、笑うところではありません』という、静かで底冷えのする怒りの声が、オタクミの良心を鋭く突き刺していた。


オタクミはふと、背中を預けていた痛馬車の車体――朝、自分たちでピカピカに磨き上げたミスリル銀の装甲に目をやった。

そこには、夕闇に沈む自分の顔が、ひどく歪んで映り込んでいた。


『(……なんだよ、この顔。あの時と……同じじゃねえか)』


歪んだ自分の顔を見つめるうち、オタクミの脳裏に、いつの間にか心の奥底に仕舞い込んでいた「ある記憶」が、ふつふつと蘇ってきた。


――まだ、日本にいた頃の話だ。

学生から社会人になりたての、一番忙しくて、余裕がなかったあの時期。

親友のケイスケと、いつものようにファミレスで終電近くまでダベっていた夜のこと。


『おい、オタクミ! 見ろよこれ、昔の神ゲーのリメイク版が出るんだぜ! 俺の最推しの「紫刃しじん」様、最高にクールだろ!?』


ケイスケが興奮気味にスマホの画面を見せてきた。

そこに映っていたのは、少し昔の作品に特有の、極端にエッジの効いたキャラクターデザイン。目は細く吊り上がり、そして何より、目がとても大きかった。


それを見たオタクミは、悪気など一切なく、純粋な反射で吹き出してしまったのだ。


『ぶっ……! なんだこれ、目デカすぎんだろ!ww バランスおかしいって、完全に作画崩壊じゃん! ww』


当時のネットのノリそのままに、ゲラゲラと笑い転げるオタクミ。

その瞬間、満面の笑みだったケイスケの表情が、スッと凍りついたのを、今でも覚えている。


『……お前には、この目の大きさの良さが分かんねえんだな』


ケイスケはそうポツリとこぼし、スマホをスッとポケットにしまった。

その後、どうやって会話を終わらせたのかは覚えていない。ただ、ひどく気まずい空気が流れたことだけは確かだった。


「……あの後からだったな」


オタクミは、痛馬車に映る自分に向かって自嘲気味に呟いた。

社会の荒波に揉まれ、お互いに仕事が忙しくなったこともあり、ケイスケとの連絡は徐々に減っていった。

いつしか、新しいアニメの感想を言い合うこともなくなり、気がつけば完全に疎遠になっていた。

「社会人になったら、オタク友達と疎遠になるなんてよくあることだ」と、自分に言い聞かせていた。


だが、本当は気づいていたのだ。

あの夜、自分がケイスケの「好き」という感情を、自分の浅はかな物差しで無自覚に嘲笑し、踏みにじってしまったことが、二人の間に決定的な亀裂を生んでしまったのかということに。


「……バカか、俺は」


オタクミは、両手で自分の顔を覆った。

成長した気でいた。この異世界で「プロデューサー」を名乗り、みんなの「好き」を肯定して、形にする手伝いをしてきたつもりだった。


だが、本質はあのファミレスの夜から、何一つ変わっていなかったのだ。

レジナルドは、技術こそ稚拙だったかもしれないが、彼の中にある「陛下を護る騎士の鋭さ」という崇高な理想を、初めて、不器用に、一生懸命に形にして見せてくれた。

それを、自分は「作画崩壊だ」「アゴで人が刺せる」と、ケイスケの時と一言一句違わぬ言葉で、ゲラゲラと笑い飛ばしたのだ。


『……思い知ったか、オタクミ殿』


腰に帯びた鞘神ゴルドスが、静かに念話で語りかけてきた。


「ああ……。俺は、最低のクソ野郎だ。あのおっさんの『初めての表現』を、一番ダサい形で笑いものにした……」

『レジナルド殿にとって、あの絵は己の魂の産声のようなもの。形がいびつなのは当然だ。……それを笑うことは、彼の騎士としての矜持そのものを笑うことと同義なのだよ』


ゴルドスの言葉が、すとんと腑に落ちた。

オタクミは顔を上げ、両手で自分の頬を、バァン!と強く叩いた。

痛みが、自己嫌悪の霧を晴らしていく。


「……後悔してる暇はねえな」


ケイスケには、もう謝れない。お互い別の道を歩み、連絡先すら分からないのだから。

だが、レジナルドは違う。彼は今、あの馬車の中で、傷ついたプライドを抱えて座っている。


「プロデューサーの仕事は、他人の表現を笑うことじゃない。その歪さの中にある『熱』を見つけて、誰よりも最初に肯定してやることだろ」


オタクミの目から、迷いが消えていた。

彼は、馬車から少し離れた場所にある、街道沿いの小さな無人魔導販売機(自販機のようなもの)へ向かって駆け出した。

温かい缶の「マンドラゴラ・コーヒー」を二本買う。

一本は自分に。もう一本は、あのアゴを、ひいては不器用な騎士団長の美学を、全力で肯定し、謝罪するための手土産として。


「待ってろよ、団長。……今度こそ、間違えないからな!」


決意を胸に、コーヒーの熱を手に感じながら馬車へと引き返そうとするオタクミ。

――だが、彼が自らの過去と向き合い、目を離していたほんの十数分の間に。


「ヒヒヒッ……なんだなんだぁ? こりゃあ、ずいぶんと『相場』を乱しそうな、価値のないゴミがあるじゃねぇか……!」


無防備な痛馬車の影に、無数の「値札」を全身に貼り付けた、異形の魔人が、音もなく忍び寄っていた。

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