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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
8 王都への道と、譲れない美学

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その鋭利さは、誰かを護るために

 王都アストリアへと続く石畳の街道。


 そこを、ひときわ異様な馬車が進んでいた。


 前方には、推しへの愛をこれでもかと詰め込んだ極彩色の痛馬車。


 後方には、王家の威厳を象徴する黄金の客室。


 相容れるはずのなかった二つの馬車が連結された、その名も――。


 痛リムジン・トレーラー。


 道行く人々が二度見する。


 すれ違う馬車の御者が、思わず手綱を引く。


 子供が指を差し、大人が目を擦る。


 それでも、当の乗客たちは気にする様子もなかった。


 何しろ、客室の中は思いのほか快適だったのだ。


 柔らかな座席。


 広々とした空間。


 窓の外を流れていく、のどかな景色。


 車輪が石畳を踏むたびに多少の揺れは伝わってくるものの、腰を落ち着けて過ごすには十分だった。


 そして何より。


「……やっと、普通に呼吸できるようになってきた」


 オタクミが、ソファの背もたれへ深々と沈み込んだ。


 昼食の時間は、すでに過ぎている。


 あの、ロザリア渾身のミスティア弁当。


 最高級の食材とありったけの愛情によって生み出された、あまりにも生々しいキャラ弁である。


 食事そのものは、どうにか終わった。


 しかし、キャビアの瞳とブラッドトマトの笑みは、未だオタクミの脳裏に焼きついていた。


『オタクミ殿……』


 腰に帯びた鞘から、ゴルドスの声が響く。


『拙者、しばらく赤い食材を見るたびに、あの弁当を思い出しそうでござる』


「やめろ。せっかく忘れかけてたのに」


『申し訳ないでござる。だが、あの目力はなかなか……』


「やめろっつってんだろ!」


 オタクミの悲痛な抗議に、客室の一角から小さな笑いが起こった。


 こうして、ようやく。


 一行には、穏やかな旅の時間が戻ってきたのだった。


◇


「ふふっ。移動しながら絵を描くのも、楽しいですね」


 窓際のソファで、リアがスケッチブックを開いていた。


 膝の上に載せた紙へ、ペンをさらさらと走らせる。


 その表情は、実に楽しそうだった。


「おっ、リア。何描いてんの?」


 オタクミが隣から覗き込む。


「騎士様です!」


「騎士?」


「はい。最近、ラザリスでもこういう雰囲気の男の人を描く方が増えているそうなので、私も少し試してみようかと」


 そう言って、リアがスケッチブックを傾けた。


 描かれていたのは、一人の若い騎士だった。


 大きく澄んだ瞳。


 柔らかな癖毛。


 穏やかな微笑み。


 細身の体を包む鎧は、戦うための装備というより、どこか物語の王子様を思わせる。


 そして、その手には剣ではなく、小さな花束が握られていた。


「おおおっ!」


 オタクミの目が輝いた。


「いいじゃん! めっちゃいいじゃん!」


「本当ですか?」


「この柔らかい線! 優しそうな目! しかも鎧なのに花束持ってるところが最高!」


 オタクミは、興奮気味にスケッチブックを指差した。


「これ絶対、アクスタにしたら映えるぞ! 背景に花びら散らして、ちょっと透明感のある加工にしたら……」


「ふふっ。先生、もう商品にすることを考えてるんですね」


「いいもの見たら、形にしてみたくなるだろ!」


 隣から、セラも絵を覗き込む。


「あら、可愛いじゃない」


 紅茶のカップを片手に、彼女は素直に頷いた。


「線が細いのに、弱々しくは見えないのね。こういう騎士も悪くないわ」


「ありがとうございます!」


「わあ……」


 シエルも目を輝かせる。


「おとぎ話に出てくる王子様みたいです……!」


 リアは、少し照れたように笑った。


「まだ途中なんですけど、柔らかい感じを出してみたくて」


「十分出てるって!」


 オタクミが親指を立てる。


 すると、向かいの席から優雅な声が響いた。


「まあっ! 素晴らしいですわ、リア先生!」


 女王ロザリアである。


 彼女は扇を閉じると、身を乗り出して絵を見つめた。


「この瞳の憂い! 繊細な輪郭! 鎧を纏っているのに、こちらが守って差し上げたくなるような雰囲気!」


 うっとりと息を吐く。


「これはきっと、王都の令嬢たちにも喜ばれますわね」


「えへへ……そうでしょうか」


「もちろんですわ。こういう表現がお好きな方も、きっといらっしゃいますもの」


 ロザリアは、満足げに頷いた。


「それに、今まで見慣れていた騎士像とは違うところも面白いですわ」


 リアが描いた騎士を囲み、車内には和やかな空気が流れていた。


 それぞれが違う言葉で絵を褒める。


 リアは、その感想を嬉しそうに聞いている。


 だが。


「……お待ちください、陛下」


 低く、重々しい声が響いた。


 和やかな空気が、ぴたりと止まる。


 声の主は、ロザリアの隣に座っていた男。


 騎士団長レジナルドだった。


 彼は、それまで静かに腕を組んでいた。


 だが今は、何か重大な問題に気づいたかのように、険しい表情でリアの絵を見つめている。


「……レジナルド?」


 ロザリアが首を傾げる。


「どうしましたの?」


 レジナルドは、ゆっくりと立ち上がった。


 そして、主君の前に片膝をつく。


「陛下。恐れながら、申し上げます」


 その声は、あまりにも真剣だった。


「斯様な騎士像に、安易に心を奪われてはなりませぬ」


「……はい?」


 ロザリアが瞬きをした。


 レジナルドは構わず続ける。


「大きな瞳。柔らかな髪。華奢な首筋。そして、丸みを帯びた輪郭……」


 ひとつずつ、噛み締めるように口にする。


「確かに、優美ではありましょう。しかし!」


 彼は拳を握った。


「騎士とは、ただ優しく微笑むために存在するものではありません!」


「……は、はあ」


「刃を受け! 敵を退け! 己の身を盾として、護るべきものの前に立つ!」


 レジナルドの声が熱を帯びる。


「その覚悟は、姿にも表れるべきなのです!」


 オタクミは、しばらく呆然としていた。


 そして。


「……団長?」


「何だ、オタクミ殿」


「これ、リアの描いた架空の騎士だぞ?」


「存じている!」


「だったら、そこまでマジにならなくても……」


「架空であればこそ!」


 レジナルドが即座に言い返した。


「理想を描くのであれば、その理想に妥協があってはならぬ!」


「いや、リアの理想はこれなんじゃ……」


 オタクミが口を開きかける。


 しかし、レジナルドはすでに別の方向へ燃え上がっていた。


「陛下を護る騎士の姿とは、かくあるべきだというものが、私にはある!」


 彼は堂々と胸を張った。


「リア殿!」


「は、はいっ!」


「その紙とペンを、少し借りてもよろしいか!」


 リアが目を丸くする。


「えっ……レジナルド団長も、絵を描かれるんですか?」


「達者とは申せぬ」


 レジナルドは、真顔で答えた。


「だが、伝えたいものがある」


 その言葉に、リアの表情が少し変わった。


 彼女はスケッチブックの新しいページを開き、ペンと一緒に差し出した。


「……どうぞ」


「感謝する」


 レジナルドは、恭しく受け取った。


 オタクミは、その様子を見て口元を緩める。


「へえ。団長が絵を描くのか」


『これは意外でござるな』


 ゴルドスも、興味深そうに声を上げた。


『あの堅物な騎士団長殿が、自ら筆を執るとは』


「ちょっと楽しみだな」


 オタクミは笑った。


 その時の彼は、まだ知らなかった。


 これから目にする一枚の絵が、この穏やかな客室の空気を一変させることを。


◇


 レジナルドは、スケッチブックを膝の上に置いた。


 大きな手で、細いペンを握る。


 そして。


 ジリッ。


 紙を強く擦るような音が響いた。


 ジリッ、ジリッ。


「……おい、団長」


 オタクミが、思わず声をかける。


「そんな力入れたら、紙破れねえか?」


「……問題ない」


 レジナルドは、短く答えた。


 その額には、うっすらと汗が浮かんでいた。


 眉間には深い皺。


 視線は、紙の一点へ注がれている。


 それは、剣を構える時と同じくらい真剣な眼差しだった。


「……」


 リアは、黙ってその手元を見つめていた。


 線は、決して滑らかではなかった。


 慣れない手つきで引かれる輪郭は、ところどころ揺れている。


 だが、レジナルドは途中で投げ出さなかった。


 一度描いた線を見つめ、考え込む。


 そして、さらに引き直す。


 特に、顔の輪郭には長い時間をかけていた。


 頬から顎へ。


 顎から、その先端へ。


 何度も角度を確かめるように、ペンを動かす。


 まるで、そこに何より大切な意味があるかのように。


「……ふむ」


 ロザリアも、興味深そうに見守っていた。


「そこまで真剣に描かれるのですね」


「当然でございます、陛下」


 レジナルドは、紙から目を離さずに答えた。


「これは、私の理想でございますゆえ」


 その言葉を最後に、再び沈黙が訪れた。


 聞こえるのは、馬車が走る音と、ペン先が紙を擦る音だけ。


 やがて。


「……できました」


 レジナルドが、深く息を吐いた。


 まるで、長い戦いを終えたかのような声だった。


 彼はスケッチブックを両手で持ち上げる。


「陛下。ご覧ください」


 その表情は、誇らしげだった。


「これが、私の考える騎士の理想像です」


 そして。


 バッ!


 スケッチブックが、全員の前に掲げられた。


「……」


 オタクミが目を見開く。


「……」


 セラが、カップを持つ手を止める。


「……あら?」


 ロザリアが、わずかに首を傾げた。


 描かれていたのは、一人の騎士だった。


 広い肩幅。


 分厚い胸板。


 筋骨隆々とした腕。


 切れ長の鋭い瞳。


 いかにも歴戦の猛者らしい、堂々とした体格である。


 そこまでは、よかった。


 問題は。


 顔の下半分だった。


「…………」


 オタクミは、無言で絵を見つめた。


 頬の線が、耳の下からまっすぐに伸びている。


 そして、その二本の線は。


 信じられないほど遠い一点で、鋭く交わっていた。


 アゴ。


 それは、アゴだった。


 いや。


 アゴと呼んでいいのか、少々悩むほどのアゴだった。


 槍の穂先。


 あるいは、岩を砕くための尖った道具。


 そうしたものを連想させるほど、長く、鋭い。


 顔の輪郭そのものが、下へ向かって突き刺さるように伸びている。


 オタクミの頭に、どうしようもなく懐かしい、ある種のゲームのキャラクター造形が浮かんだ。


(……いや、待て)


 彼は、必死に口元を引き締めた。


(なんだこれ)


 もう一度、見る。


 やはり尖っている。


(……いやいやいや)


 さらに見る。


 ますます尖って見える。


「……っ」


 オタクミの肩が、小さく震えた。


 レジナルドは、その様子に気づかない。


「この鋭さをご覧ください」


 彼は、実に真剣に説明し始めた。


「敵に屈せぬ意志。何ものにも惑わされぬ覚悟。そして、護るべきものの前に立つ者の揺るぎなさ」


 指先で、顎の輪郭を示す。


「そのすべてを、この線へ込めました」


「……こ、この線に?」


 オタクミが、掠れた声で聞き返す。


「うむ」


 レジナルドは大きく頷いた。


「特に、顎の角度には苦心した」


「……アゴの?」


「そうだ」


 力強い返答。


「強さとは、曖昧であってはならぬ。だからこそ、輪郭もまた鋭くあるべきなのだ」


 オタクミの脳内で、何かが限界を迎えた。


「……ぶっ」


 小さな音が漏れる。


 レジナルドが眉を動かした。


「……オタクミ殿?」


「い、いや……」


 オタクミは、口を押さえた。


「ちょっと……待って……」


 しかし、もう遅かった。


「アハハハハハハッ!!」


 盛大な笑い声が、客室に響き渡った。


「ちょっ、アゴ! アゴ長すぎだろ!!」


 オタクミは、腹を抱えてソファに倒れ込んだ。


「いや、確かに鋭いけど! これもう剣いらねえじゃん! アゴで戦えそうだろ!!」


「……何?」


 レジナルドの表情が固まった。


 だが、オタクミは止まらない。


「しかも先端めっちゃ尖ってるし! どういう骨格だよ! そこだけ気合い入りすぎだろ!」


『た、確かに……』


 ゴルドスまで、驚きを隠せない。


『その鋭さでは、剣を抜くより先にアゴが相手へ届きそうでござるな……!』


「だろ!? もうアゴが本体じゃねえか!」


 オタクミは、笑いながら涙を拭った。


 その勢いにつられ、セラも思わず口元を押さえる。


「……っ、ちょっと……」


 肩が小さく震えた。


 シエルも、予想外の造形に驚いたように目を丸くしている。


 ロザリアは、扇の陰で困ったように視線を泳がせた。


「……レジナルド」


 慎重に声をかける。


「あなたが何を描こうとなさったのかは、伝わりますわ」


 彼女は、絵をもう一度見た。


「ただ……わたくしには、少々見慣れない表現ですのね」


 レジナルドは、答えなかった。


「ですが、あなたが真剣にお描きになったことは――」


 ロザリアが言い終えるより先に。


「いやもう、作画がすげえことになってるって!」


 オタクミの声が重なった。


「リアの絵と並べたら、別ジャンルすぎるだろ! どんだけアゴに全振りしたんだよ!」


 笑い声。


 それは、悪意から生まれたものではなかった。


 見慣れない造形に、ただ驚いた。


 面白いと思った。


 だから、笑った。


 オタクミにとっては、それだけのことだった。


 しかし。


「…………」


 レジナルドは、スケッチブックを持ったまま動かなかった。


 先ほどまで誇らしげだった顔から、少しずつ表情が消えていく。


 何かを言いかける。


 だが、言葉にならない。


 大きな手が、紙の端を握り締めた。


 くしゃり。


 わずかに、紙が歪む。


「……」


 その時。


「……先生」


 静かな声が響いた。


◇


「……先生」


 もう一度、リアが呼んだ。


 オタクミは、まだ笑いの余韻を残したまま振り返る。


「ん? どうした、リア――」


 そこで、言葉が止まった。


 リアは、笑っていなかった。


 普段の柔らかな表情は消え、まっすぐにオタクミを見つめている。


 その目には、静かな怒りがあった。


「先生。それは、笑うところではありません」


「……え?」


 オタクミが瞬きをする。


 リアは、ゆっくりと言葉を続けた。


「レジナルド団長は、真剣に描かれたんです」


 客室が静かになる。


「慣れないペンを持って、何度も線を引き直して……」


 リアは、レジナルドの手元へ目を向けた。


「ご自分の理想を、どうにか形にしようとしていたんです」


「……いや、俺は」


「先生」


 声は大きくない。


 けれど、その一言には、オタクミの言い訳を止める力があった。


「先生だって、自分の好きなものを笑われたら、嫌でしょう?」


「……っ」


 オタクミの息が止まる。


 リアは、視線を逸らさなかった。


「私の絵を褒めてくださったのは、嬉しかったです」


 彼女は、小さく息を吸う。


「でも、私の絵を褒めるために、誰かの絵を笑っていいわけではありません」


 その言葉が、まっすぐ胸へ刺さった。


「……」


「技術のことなら、話し合えると思います。ここを直したらもっとよくなるとか、こういう描き方もあるとか」


 リアは、静かに続けた。


「でも、今の先生の言葉は……」


 そこで、一度言葉を切る。


「レジナルド団長が大切にしているものを、面白がって笑っているように聞こえました」


 オタクミは、何も言えなくなった。


 その紙を握っているレジナルドの手が、目に入る。


 大きな手。


 剣を握り慣れた手。


 その指先が、わずかに震えていた。


「あ……」


 オタクミの口から、かすかな声が漏れた。


 レジナルドは、ふざけて描いたのではない。


 笑わせるつもりでもなかった。


 あの不器用な線の一本一本に、自分の理想を込めていたのだ。


 そして、自分は。


 それを見て、腹を抱えて笑った。


(……俺)


 胸が、嫌な音を立てた気がした。


(何やってんだ……)


 好きなものを馬鹿にされる痛みを、知らないわけではない。


 誰かの「好き」を、他人が勝手に値踏みすることのおかしさも、散々語ってきた。


 それなのに。


 目の前の相手が、自分とは違う美学を見せた途端。


 何も考えずに、笑ってしまった。


「……団長」


 オタクミが、声をかける。


「俺……」


「……もうよい」


 レジナルドが、低く答えた。


 オタクミの言葉が止まる。


 レジナルドは、ゆっくりとスケッチブックを下ろした。


 先ほどまでの誇らしげな表情は、もうなかった。


「私の考える騎士の姿は……貴殿らには、そのように映るのだな」


「……いや、違う。そういうつもりじゃ――」


「違わぬだろう」


 静かな声だった。


 それがかえって、重かった。


「笑ったではないか」


「……」


「私は、陛下を護る騎士の理想を描いた」


 レジナルドは、自分の絵へ目を落とした。


「剣を抜く前から、敵に屈せぬ姿。迷いなく、前を向く強さ」


 ごつごつした指が、鋭く伸びた顎の線をなぞる。


「その鋭さに、私は意味を込めたのだ」


 彼の声が、わずかに震えた。


「……だが」


 顔を上げる。


「貴殿には、ただ滑稽だったらしい」


「団長……」


 オタクミが、手を伸ばしかける。


 レジナルドは、スケッチブックをそっと胸元へ引き寄せた。


「……触れないでくれ」


 その一言に、オタクミの手が止まった。


 レジナルドは、視線を落とす。


「……もうよい」


 もう一度、そう言った。


 今度は、言い聞かせるような声だった。


「これ以上、何も聞きたくはない」


 オタクミは、口を開きかけた。


 謝らなければ。


 そう思った。


 だが、レジナルドはすでに顔を背けていた。


 その背中に、今すぐ言葉を投げかけることが正しいのか。


 オタクミには、分からなかった。


 レジナルドはスケッチブックを抱えたまま、客室の隅へ向かう。


「……少し、一人にしていただきたい」


 そう言って、窓際の離れた席へ腰を下ろした。


 大きな背中が、わずかに丸くなる。


 普段は誰よりも堂々としている騎士団長が、ひどく小さく見えた。


「……」


 オタクミは、その背中を見つめていた。


 何か言わなければならない。


 けれど、何を言えばいいのか分からない。


 頭の中で、さっきの笑い声だけが繰り返されていた。


「……先生」


 リアが、静かに呼ぶ。


 オタクミは、力なく頷いた。


「……うん」


 声が掠れる。


「俺……」


 そこまで言って、言葉が途切れた。


 リアは、それ以上急かさなかった。


 ただ、少しだけ悲しそうに目を伏せた。


◇


 客室に、気まずい沈黙が満ちていた。


 先ほどまでの笑い声は、もう聞こえない。


 セラは紅茶のカップを置き、何かを考えるように窓の外を見ている。


 シエルは膝の上で手を重ね、時折レジナルドの方へ心配そうな視線を送っていた。


 ロザリアも、扇を閉じたまま黙っている。


 いつもなら真っ先に騎士団長へ声をかける彼女も、今は言葉を選びかねているようだった。


 そして、レジナルドは。


 客室の隅で、再びペンを握っていた。


 シャッ。


 シャッ。


 紙を擦る音がする。


 誰も、それを止めなかった。


 オタクミは、そっと視線を向けた。


 レジナルドは、自分が描いた騎士の顔を見つめている。


 その目は、先ほどまでと同じくらい真剣だった。


 だが、誇らしげな輝きは消えていた。


 何かを確かめるように。


 あるいは、失いかけたものを繋ぎ止めるように。


 彼は、顎の輪郭へ一本の線を加えた。


 さらに、もう一本。


 尖った輪郭が、わずかに鋭さを増す。


「……」


 オタクミは、その手元から目を離せなかった。


 今も、その造形を見慣れたとは言い難い。


 けれど、もう笑えなかった。


 レジナルドは、あの線を消していない。


 笑われたからといって、丸く描き直してはいない。


 むしろ、同じところへ何度もペンを走らせている。


(……なんでだろうな)


 オタクミは、膝の上で拳を握った。


(なんで、俺……あんなに笑っちまったんだ)


 見た瞬間、面白いと思ったのは事実だ。


 だが、それをそのまま口に出して、相手が何を込めたのかも聞かず、笑い続けてしまった。


 では、どうすればよかったのか。


 面白いと思ったこと自体が間違いだったのか。


 理解できないものを前にした時、何を言えばよかったのか。


 答えは、まだ出なかった。


『……オタクミ殿』


 ゴルドスが、小さく声をかける。


 いつもの軽口はなかった。


『……拙者も、軽率であった』


「……うん」


 オタクミは、小さく頷いた。


 それきり、二人とも黙った。


 馬車は、王都へ向けて進んでいく。


 窓の外には、穏やかな景色が流れていた。


 その中で。


 シャッ。


 シャッ。


 レジナルドのペンが、紙を擦る音だけが響いていた。


 オタクミは、もう一度その背中を見た。


 あの線に何が込められているのか。


 まだ、うまく理解できない。


 そして、自分の言葉で傷つけてしまった相手へ、どう声をかければいいのかも分からない。


 ただ、ひとつだけ。


 笑う前に、もっと話を聞けばよかった。


 その思いだけが、胸の奥に残っていた。


 レジナルドは振り返らない。


 オタクミも、まだ席を立てない。


 広い客室の両端で、二人の間には沈黙が横たわっていた。


 シャッ。


 もう一本、鋭い線が引かれる。


 その音を聞きながら、オタクミは唇を噛んだ。


 馬車は進んでいる。


 けれど、二人の距離だけは、まだ縮まらなかった。

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