キャラ弁
裏庭で男たちが油と汗にまみれ、二台の馬車を繋ぐために悪戦苦闘していた、その頃。
カフェ『KIRABOSHI』の厨房では、まったく別の戦いが始まろうとしていた。
「さあ皆さん! 王都までの道のりは長いですからね!」
フリル付きのエプロンを完璧に着こなしたリアが、木べらを高々と掲げた。
「スタミナ満点! 栄養バランスもばっちり! そして何より、愛情たっぷりのお弁当を作りますよ!」
「お、おお……!」
シエルが感嘆の声を漏らす。
リアの背後には、見えないはずの後光が差していた。
もはや料理人というより、すべてを包み込む母性の化身。
圧倒的な、おかんオーラである。
「でも、リアさん。お弁当って、普通におかずを詰めればいいんですよね?」
「もちろん、それでもいいんですけど……」
リアは、調理台の端に置かれた一枚の紙へ目を向けた。
そこには、丸いご飯の上に目と口を配置した、簡単なイラストが描かれていた。
「先生が、面白いことを教えてくれたんですよ」
「オタクミさんが?」
「はい! 先生の故郷では、食材を使って好きな人物やキャラクターの顔を表現する、『キャラ弁』という文化があるそうなんです!」
「きゃらべん……?」
セラが眉をひそめた。
「何それ。食べ物で絵を描くってこと?」
「そうです!」
リアは満面の笑みで頷いた。
「ご飯やおかずの色、形を工夫して、可愛いお顔を作るんですよ!」
「……わざわざ?」
「わざわざです!」
「面倒くさそう……」
「でも、考えてみてください!」
リアの目が輝いた。
「大好きなミスティア様のお顔が、お弁当箱の中にあったら!」
「……あ」
セラが少しだけ反応した。
「……まあ、ちょっと面白いかも」
「ですよね!」
シエルも勢いよく手を挙げる。
「私、分かりました!」
「はい、シエルちゃん!」
「つまり、推しを食べられるんですね!」
「言い方ァ!」
リアが思わず叫んだ。
「愛情を込めて表現するんです! 食べることが目的なのは合ってますけど!」
「でも、食べちゃうんですよね?」
「そ、それは……そうですけど!」
早くも、キャラ弁の根本的な問題が浮き彫りになっていた。
推しを愛でたい。
しかし、弁当は食べるものだ。
作ったそばから、存在意義が揺らいでいる。
「……まあ、いいわ」
セラは包丁を手に取った。
「とりあえず、料理を作ればいいんでしょ」
「はい! まずは基本のおかずからです!」
リアは気を取り直し、木べらを振り上げた。
「黄金コッコの卵焼き! 甘めと出汁巻き、両方いきますよ!」
「り、リア先生、手際が良すぎます……!」
シエルが尊敬の眼差しを向ける。
リアは卵を割り、混ぜ、味を整え、三口の魔導コンロを器用に使いながら、次々と調理を進めていく。
ひとつ目の卵焼きを巻き終える頃には、隣で次のおかずの準備に取りかかっていた。
「シエルちゃん、そちらのお野菜をお願いします!」
「はいっ!」
「セラさんは、お肉を食べやすい大きさに切ってくださいね!」
「分かった」
セラがまな板の前に立つ。
そこに置かれているのは、装甲ボアの赤身肉。
見た目からして、なかなか手強そうな塊だった。
「……硬そうね」
「筋が多いので、丁寧にお願いします。生姜焼きにする予定ですから、薄めに――」
「任せて」
セラの目つきが変わった。
普段、刀を握る時と同じ。
一切の迷いを捨てた、剣士の眼差しである。
「……シアッ!!」
ズバババババッ!!
一瞬だった。
刃が閃き、肉が宙を舞い、まな板の上に細かな欠片が降り積もる。
「……ふぅ」
セラは包丁を置いた。
「終わったわ」
「……セラさん?」
リアが振り返る。
そして、固まった。
そこにあったのは、薄切り肉ではない。
綺麗に刻まれた、ほぼ挽き肉。
さらに、その下のまな板には、真っ直ぐな切れ目が入っていた。
「セラさんんんん!?」
「えっ?」
「生姜焼きサイズって言いましたよね!? どうして全部ミンチになってるんですか!?」
「……あ」
「しかも、まな板まで切れてます!」
「……ごめん。つい、手癖で」
セラが気まずそうに視線を逸らした。
耳が少し赤い。
リアは額に手を当てた。
だが、すぐに肉を見つめ直す。
「……仕方ないですね」
「……怒らないの?」
「怒っても、お肉は元に戻りませんから!」
リアはにっこりと笑った。
「これはハンバーグにしましょう! 爆炎牛のお肉と合わせれば、ちょうどよさそうです!」
「……ハンバーグ」
「はい! セラさんのおかげで、予定より一品増えました!」
「……そっか」
セラが小さく息を吐く。
「……じゃあ、次は?」
「次は鋼鉄ガニのウインナーをお願いします!」
「分かった」
「タコさんの形に切ってくださいね!」
「タコ……?」
「足を何本か作るように切れ目を入れるんです。焼くと開いて、可愛くなりますよ!」
「……なるほど」
セラはウインナーを持ち上げた。
そして、包丁を構える。
「……シアッ」
「優しく! 優しくですよ、セラさん!!」
リアの悲鳴が厨房に響いた。
◇
「リア先生ーっ!」
しばらくして。
厨房の勝手口が勢いよく開いた。
そこには、満面の笑みを浮かべたシエルが立っていた。
両手いっぱいに、何かを抱えている。
「裏庭の茂みで、いいものが採れました!」
「まあ! 何でしょう?」
「じゃーん!」
シエルが差し出したのは、毒々しい紫色のキノコだった。
しかも、表面がぼんやりと明滅している。
「スタミナ幽霊茸です!」
「…………」
リアの笑顔が固まった。
「ほら、見てください! こんなにたくさん!」
シエルは誇らしげに胸を張った。
「これをすり潰してご飯に混ぜれば、すっごく元気になるんですよ! 三日三晩走り続けられるくらい!」
「ダメです!!」
リアの声が、厨房全体を震わせた。
「ひゃっ!?」
「シエルちゃん! それ、危ないキノコじゃありませんか!?」
「え? でも、すごく効くって聞いたことが……」
「効きすぎるんです! そんなものをお弁当に入れちゃ駄目です!」
「で、でも、旅にはスタミナが必要ですよね?」
「必要ですけど、食べた人がどうなるか分からないものは使いません!」
「……はぁい」
シエルがしょんぼりと肩を落とす。
リアは一瞬、困ったような表情を浮かべた。
しかし、すぐに優しく微笑む。
「みんなのために探してくれたんですよね?」
「……はい」
「その気持ちは嬉しいです。でも、せっかく一緒に王都へ行くんですから、みんなで元気に食べられるものにしましょう?」
「……!」
シエルが顔を上げた。
「はいっ!」
「それと、そのキノコは料理に使いません。ほかの食材と混ざらないよう、厨房の外へ持っていってくださいね」
「分かりました!」
シエルは元気よく頷き、抱えていたキノコを厨房の外へ運んでいった。
しばらくして、空になった手を振りながら戻ってくる。
「リア先生!」
「はい、シエルちゃん!」
「じゃあ、解毒草ならいいですか?」
「……え?」
「薬草もあります!」
「……シエルちゃん?」
「どっちも体に良さそうですよね!」
リアは、そっと額を押さえた。
この子は、この子なりに真剣なのである。
その隣では、セラがようやく一匹目のタコさんウインナーを完成させていた。
「……できた」
まな板の上に、足の太さが全部違う小さなタコが転がっている。
リアはそれを見て、ぱっと笑顔になった。
「セラさん! 可愛いです!」
「……そう?」
「はい! ちゃんとタコさんです!」
「……ふん」
セラは視線を逸らした。
しかし、その口元は少しだけ緩んでいた。
切り刻むことしかできないと思っていた食材が、可愛い形になっている。
それが、意外と悪くなかったらしい。
「……もう一個、作ってみる」
「はい!」
厨房には、再び包丁の音が響き始めた。
◇
一方、厨房の奥。
ほかの調理台から少し離れた場所で、一人の女性が真剣な面持ちで食材と向き合っていた。
女王ロザリアである。
「……ふむ」
その前には、豪華な食材が並んでいた。
王宮から運び込ませたという、見るからに高価そうな品々。
中でも目を引くのは、レッドドラゴンの極上霜降り肉だった。
一切れで平民の月収が吹き飛ぶ――そんな冗談が出ても不思議ではないほど、見事な肉である。
ほかにも、魔界の深湖でしか採れないとされる『漆黒の真珠』。
そして、不老不死の妙薬とも呼ばれる『黄金林檎』。
どれも、庶民の食卓にはまず並びそうにないものばかりだった。
ロザリアは腕を組んだ。
「料理……それは、錬金術にも通じる創造の営みですわね」
目の前の食材を見渡す。
「最高の素材を、最高の技術で組み合わせる。そして、そこに愛を注ぎ込めば……」
彼女はゆっくりと目を細めた。
「至高の尊みが生まれるはずですわ」
その手には、金箔張りの包丁。
「ふふふ……」
口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「見せて差し上げますわ。アストリア女王の、真の創造力を」
ロザリアは、作業を始めた。
目指すのは、ただのお弁当ではない。
先ほど聞いた、オタクミの故郷の文化。
――キャラ弁。
食材で、大好きなミスティアの姿を表現する。
それは、女王の創作意欲を猛烈に刺激していた。
「ミスティア様のお顔を、食材で表現する……」
ロザリアは真剣に呟いた。
「なんて素敵な文化なのでしょう」
ただし、彼女にはひとつ、大きな思い込みがあった。
高価な食材を使えば使うほど、作品の価値も高まる。
そう信じて疑わなかったのである。
「せっかくですもの。最高級の素材だけで仕上げましょう」
その瞳に、危険な輝きが宿った。
◇
夕暮れ時。
「おーい! 連結終わったぞー!」
厨房の扉が開いた。
入ってきたのは、オタクミ、アーグ、レジナルドの三人だった。
全員、服には油汚れ。
顔には煤。
髪は乱れ、見事なまでに働き終えた男たちの姿である。
「……おお」
オタクミは鼻をひくつかせた。
「すげえ、いい匂い!」
「お疲れ様です、先生!」
リアが満面の笑みで振り返った。
「ちょうど、こちらも一区切りついたところですよ!」
「マジで!?」
調理台には、色とりどりの料理が並んでいた。
卵焼き。
肉料理。
小さく切り分けた野菜。
タコの形に開いたウインナー。
そして、丁寧に詰められた弁当箱の数々。
「うおお……!」
オタクミの目が輝いた。
「すげえ! めちゃくちゃ美味そう!」
ぐうぅぅぅ。
その瞬間。
三人の腹が、ほぼ同時に鳴った。
「……」
「……」
「……」
オタクミは二人を見た。
アーグもオタクミを見た。
レジナルドだけが、気まずそうに咳払いをする。
「……長時間の作業で、体力を消耗しただけだ」
「誰も何も言ってねえよ!」
リアがくすくすと笑った。
「ふふっ。皆さん、本当にお疲れ様でした」
「リア、これ、今食っていいのか!?」
「お弁当用は、まだ駄目です!」
「ええーっ!?」
「ちゃんと別に作ってありますから!」
「さすがリア!」
「皆さんの分も用意しています。お腹いっぱい食べてくださいね!」
「女神かよ……!」
オタクミは感動した。
リアは得意げに胸を張る。
「ただ、旅用のものは、食べる時まで傷まないように気をつけないといけませんからね」
「なるほどな」
「傷みやすい料理は、今夜食べる分に回します。持っていくお弁当も、食材や保存の状態を確認して、無理のない形で用意しましょう!」
「了解!」
オタクミは頷いた。
「せっかく作ったのに、食べる頃には駄目になってたら悲しいもんな」
「そういうことです!」
リアはにっこりと笑った。
「さあ、まずは出来たてをどうぞ!」
その横から。
「……こっちは、私の」
セラが、小さな皿を差し出した。
「お?」
皿には、少し黒ずんだ火吹き鳥の唐揚げ。
それから、不格好だが大きな卵焼きが載っていた。
「……ちょっと、焦げたけど」
セラは目を逸らした。
「食べられないほどじゃないと思う」
「おお、セラが作ったのか!」
「……何よ」
「いや、意外だなって」
「……悪かったわね」
「悪いなんて言ってねえだろ!」
オタクミは唐揚げをひとつ摘まんだ。
ふう、と息を吹きかけてから、口へ運ぶ。
「……ん!」
その目が丸くなった。
「美味い!」
「……え?」
「焦げたところの香ばしさが、逆にいい感じだな! 味付けも好きだわ!」
「……っ!」
セラの耳が、一瞬で赤くなった。
「べ、別に……!」
「ん?」
「……あんたのために作ったわけじゃないから!」
「分かってるって!」
オタクミは笑った。
「でも、ありがとな」
「……っ」
セラは、ますます顔を赤くした。
「……勝手に食べれば」
そう言って、ぷいっと横を向く。
だが、その口元はわずかに緩んでいた。
料理を始めた時には、包丁で肉を切り刻むことしか考えていなかった。
誰かに食べてもらうことなど、ほとんど意識していなかった。
それでも。
美味しいと言われれば、悪い気はしない。
そんな自分に気づいてしまったことが、少しだけ悔しかった。
「……次は、焦がさないから」
ぽつりと呟く。
「え?」
「何でもない!」
セラは、勢いよく顔を背けた。
そのやり取りを見ていたリアは、何も言わずに微笑んでいた。
◇
「私のも見てください!」
今度はシエルが元気よく手を挙げた。
「おっ、シエルの弁当か!」
「はい!」
シエルは、得意げに弁当箱を差し出す。
蓋を開けると。
「…………」
オタクミが固まった。
そこには、ご飯があった。
そして、その上には。
青々とした草が、綺麗に二種類並べられていた。
「……シエル」
「はいっ!」
「これは?」
「解毒草と薬草のハーフ&ハーフです!」
シエルが胸を張った。
「旅の途中で何が起きても大丈夫なように、考えました!」
「……何が大丈夫なんだ?」
「毒攻撃とか!」
「弁当に毒攻撃前提を持ち込むなよ!」
オタクミは思わず叫んだ。
「しかも、草しか載ってねえじゃねえか! 草食動物の餌か!」
「ええーっ!?」
シエルが頬を膨らませた。
「ちゃんとご飯もあります!」
「そういう問題じゃねえ!」
アーグが真剣に弁当を覗き込む。
「ふむ……実戦的だな」
「だろ!?」
「万一に備えるという発想は、騎士として評価できる」
「お前まで乗るな!」
オタクミが叫ぶ。
リアはシエルの肩へ優しく手を置いた。
「シエルちゃん。気持ちは嬉しいんですけど、お弁当には美味しさも大切ですよ?」
「……美味しさ」
「はい。食べた人が、また元気に頑張ろうと思えるようなものにしましょう」
「……!」
シエルは、自分の弁当を見下ろした。
しばらく考え込む。
そして。
「……じゃあ」
顔を上げた。
「この草を、もっと可愛い形に並べたらどうですか!?」
「そこから離れましょう!?」
リアのツッコミが炸裂した。
◇
その時だった。
「……ふふふ」
厨房の奥から、優雅な笑い声が響いた。
全員が振り返る。
そこには、ロザリアが立っていた。
その腕には、王家の紋章が刻まれた豪華な三段重。
いつもと変わらぬ気品ある微笑み。
だが、なぜか妙な迫力があった。
「皆様」
ロザリアが、ゆっくりと歩み寄る。
「わたくしの『作品』も、ご覧になってくださる?」
「おおっ!」
オタクミが顔を上げた。
「女王陛下も料理してたんですか!?」
「ええ」
ロザリアは誇らしげに頷いた。
「わたくしも、初めて『キャラ弁』というものに挑戦してみましたの」
「マジで!?」
「先生から伺った文化が、あまりにも素敵でしたので」
ロザリアは、そっと三段重を持ち上げた。
「愛するミスティア様のお姿を、食材だけで表現する……なんて素晴らしいのでしょう」
「そうでしょう、そうでしょう!」
オタクミは嬉しそうに頷いた。
自分の故郷の文化が、こうして異世界で広がっていく。
それは、何とも言えない感動だった。
(……いやあ、キャラ弁文化まで布教できるとはな)
しかも、作ったのは女王陛下である。
期待は自然と膨らんでいった。
「では、皆様」
ロザリアが微笑む。
「ご覧なさい」
ゆっくりと、重箱の蓋へ手をかけた。
「愛と財力の結晶を!」
パカッ。
――沈黙。
厨房から、すべての音が消えた。
まるで、誰かが突然、世界の音量をゼロにしたかのようだった。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も、何も言わない。
いや。
言えなかった。
重箱の中には、確かにミスティアの顔があった。
白銀米の上に、最高級の肉が幾重にも重ねられている。
その配置は、驚くほど緻密だった。
顔の輪郭。
髪の流れ。
目元の形。
そして、満面の笑み。
ただし。
素材が、圧倒的に間違っていた。
艶めくレアステーキ。
生ハムの重なり。
虚無を湛えるような漆黒のキャビアの瞳。
血飛沫にしか見えないブラッドトマトのピューレ。
頬の色合いは、霜降り肉の脂身によって表現されている。
……キャラ弁。
間違いなく、キャラ弁である。
だが。
(……何だ、これ)
オタクミの背筋を、冷たいものが走った。
見れば見るほど、ミスティアの顔なのだ。
なのに。
笑顔が怖い。
目が怖い。
肉の光沢が怖い。
何より、こちらを見つめているように見える。
(……これ、弁当だよな?)
オタクミは、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
(猟奇事件の証拠品じゃなくて?)
「「ひっ……!」」
セラとシエルが同時に後ずさった。
リアは、笑顔のまま固まっていた。
レジナルドは、白目を剥きかけている。
オタクミは口を開けたまま、言葉を失った。
そんな中。
「……待て」
低い声が響いた。
アーグだった。
「……アーグ?」
オタクミが、恐る恐る振り返る。
アーグは一歩前へ出た。
そして、顎に手を当てる。
「……なるほど」
「……何が?」
「構図は中央配置」
「……は?」
「左右対称を意識しつつ、視線を集める位置にキャビアの黒を置いている」
アーグは、真剣な眼差しで弁当を観察し始めた。
「肉の赤と米の白。その強烈な対比が、見る者の目を引きつける」
「……おい」
「さらに、脂身の光沢を利用して、頬に立体感を与えている……!」
「おい、アーグ」
「これは、偶然の惨劇ではない」
アーグは、ゆっくりと頷いた。
「明確な意図を持って作られた、ひとつの造形作品だ」
「分析すなァァァッ!!」
オタクミのツッコミが炸裂した。
「いや、だが……!」
アーグは真剣だった。
「問題は、可食性だな」
「急に現実的になるな!」
「肉と生ハム、キャビア。食材としては見事だ。だが、保存状態によっては扱いに気を配らねばならん」
「そりゃそうだろ!」
「つまり、視覚的な破壊力と、食材としての価値が大きく乖離している……!」
「弁当に乖離とか言うなァ!」
その時。
「……美しい」
震える声が響いた。
「……え?」
全員が振り返る。
そこにいたのは、レジナルドだった。
彼は、ロザリアの弁当を見つめていた。
その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「……団長?」
オタクミが声をかける。
だが、レジナルドは応じなかった。
「見よ……!」
その声が、徐々に熱を帯びていく。
「この大胆な発想!」
「……え?」
「常識に囚われぬ素材選択!」
「……おい?」
「王家の財力を惜しみなく注ぎ込んだ、圧倒的な物量!」
レジナルドの頬を、一筋の涙が伝った。
「これは……戦場だ」
「は?」
「美と狂気の最前線……!」
「いやいやいやいや!」
「常人には理解されぬだろう……!」
レジナルドは拳を握った。
「だが、私には分かる!」
「分かんなくていいよ!」
「陛下は……本気なのだ!!」
「騎士団長が一番狂ってるゥゥゥッ!!」
オタクミが絶叫した。
ロザリアは、嬉しそうに微笑む。
「あら。レジナルド、分かってくれますの?」
「はっ!」
レジナルドは、今にも片膝をつきそうな勢いで頭を垂れた。
「陛下の美意識、しかと拝受いたしました!」
「ふふふ。嬉しいですわ」
「このピューレの流線……」
レジナルドは、感極まったように続ける。
「まるで、抑えきれぬ愛が溢れ出したかのよう……!」
「血飛沫にしか見えねえよ!」
「これこそ、愛の噴出だ!」
「愛が噴出してたまるかァ!」
セラが思わず包丁を握り直した。
「……ねえ、ちょっと。あれ、本当に食べ物なの?」
「食べ物だよ!」
オタクミは叫んだ。
「食べ物のはずなんだよ!」
シエルは、そっと自分の薬草を抱きしめた。
「……私のほうが、まだ食べやすそうな気がします」
「そこは否定しづらい!」
オタクミは頭を抱えた。
ロザリアは、相変わらず不思議そうだった。
「あら……?」
重箱を見下ろす。
「最高級の食材と、たっぷりの愛情を込めましたのに」
「いや、愛情は分かるんですけど!」
オタクミは必死に言葉を探した。
「何というか……見た目が……!」
「見た目?」
「……その……」
だが、改めて重箱を見た瞬間。
漆黒の瞳と、目が合った気がした。
「ひっ!」
オタクミは一歩後ずさる。
「……駄目だ」
「先生?」
「やっぱり駄目だ!」
そして、ついに。
「グロ画像じゃねーかァァァッ!!」
魂の叫びが、厨房を震わせた。
「どこの猟奇現場だよ! 見てるだけでSAN値がゴリゴリ削れるわ!」
「あら?」
ロザリアが首を傾げる。
「そこまで迫力がありましたの?」
「迫力の方向が違うんですよ!」
「まあ……」
女王は、どこか嬉しそうに頬へ手を添えた。
「それほど印象に残る作品になったのなら、挑戦した甲斐がありましたわね」
「ポジティブすぎる!」
アーグは静かに目を閉じた。
「……芸術とは、時に理解されぬものだ」
「お前までそっち側に行くな!」
レジナルドは、深く頷いた。
「陛下の御心を理解するには、まだ修練が足りぬようだな、オタクミ」
「修練したくねえよ!」
厨房には、再び騒がしい声が飛び交った。
その中心で、リアだけが小さく息を吐いた。
今日は、セラがまな板を切り、シエルが怪しいキノコを持ち込み、ロザリアは恐ろしいほど豪華な弁当を作り上げた。
予定どおりに進んだことなど、ほとんどない。
それでも。
調理台には、皆で作った料理が並んでいる。
不格好なタコさんウインナーも。
少し焦げた唐揚げも。
食べる人のことを考えて選んだおかずも。
どれも、それぞれの気持ちが込められたものだった。
「……さて!」
リアは、ぱん、と手を叩いた。
「皆さん! 今日はたくさん働いたんですから、まずはご飯にしましょう!」
「おおっ!」
オタクミが即座に反応した。
「待ってました!」
「旅に持っていく分は、食べる時まで傷まないように確認しておきますね。今夜食べる分とは、きちんと分けておきましょう!」
「了解!」
「それから、陛下の作品は……」
リアが、ちらりと豪華三段重を見た。
ミスティアの顔が、変わらぬ笑みでこちらを見つめている。
「……傷みやすいものもありますから、食べられる状態か確認して、今夜のうちにいただけるものはいただきましょう!」
「……食べるの?」
セラが低い声で呟いた。
「食べ物ですから!」
「……そうだけど」
シエルが、そっと手を挙げる。
「あの……」
「はい、シエルちゃん!」
「ミスティア様のお顔を、崩しちゃってもいいんでしょうか?」
その場が、静まり返った。
「…………」
オタクミは、ゆっくりとロザリアを見た。
ロザリアも、ゆっくりとオタクミを見た。
アーグが、深刻そうに腕を組む。
「……難題だな」
「難題にするな!」
「しかし、丹精込めて作られた御尊顔を、我らの手で崩すというのは……」
「弁当だろ!? 食うために作ったんだろ!?」
「そのとおりですわ」
ロザリアが、にっこりと微笑んだ。
「愛情を込めて作ったのですもの。皆様に召し上がっていただけたら、わたくしも嬉しいですわ」
「おお……!」
オタクミは、少しだけ感心した。
「陛下……!」
ようやく話の通じる人がいた。
そう思った、その直後。
「ただし」
ロザリアが扇を開いた。
「最初のひと口は、ミスティア様のお顔を最も美しく残せる場所からお願いいたしますわね」
「食べ方に作画監督の指示が入ったァァァッ!!」
厨房が、再び笑いと悲鳴に包まれた。
裏庭では、二台の馬車が一つにつながった。
厨房では、それぞれ違う考えを持つ仲間たちが、同じ食卓を囲もうとしている。
まだ、王都への旅は始まっていない。
連結馬車の走行確認も、旅の食事の最終準備も残っている。
それでも。
皆で旅をするための準備は、少しずつ形になっていた。
もっとも、その第一歩として用意されたのが、見る者の精神を削るミスティア弁当だったことについては――。
「……なあ、リア」
「はい、先生?」
「これ、食べる前に蓋を閉めてもいいか?」
「どうしてですか?」
「……目が合うんだよ」
誰も、否定しなかった。
厨房の片隅で、ミスティアのキャラ弁だけが、変わらぬ笑顔を浮かべていた。




