はじまりの街 ラザリス
ラザリスは、思っていたより生きている街だった。
城壁の門をくぐった瞬間、肉を焼く匂いと革と油の匂いと、遠くの鐘の音が一度に来た。石畳の大通りには露店が並んでいて、商人の呼び込みが重なり合う。行き交う人の服装も顔つきも様々で、どこか異国の祭りの始まりみたいな雑多さがある。
「おおおおお……!」
俺とリアは並んで、しばらくその景色を眺めた。
「先生、うるさいです。」
「異世界の街というやつだ……! 俺ついにここに来た……!」
感動の余韻に浸りながら歩いていると、痛バッグがジャラジャラと鳴った。缶バッジの鈴なり音が、商人の呼び込みに混じって響く。
呼び止められたのは、すぐだった。
「ねえ、それ」
二十代そこそこの男が立っていた。身なりは小綺麗で、薄笑いを浮かべている。目線は俺の胸でも鞘でもなく、痛バッグにまっすぐ向いていた。
「かわいい。その丸いやつ、たくさんあるしひとつくれない?」
俺はその目を一瞬見て、それからバッグを開けた。
(ルミナス様の良さがわかるか! 布教チャンスだ!)
「どうぞ! ルミナス様の缶バッジです! 俺の推しで──」
男はすばやく受け取って、光に透かした。にこ、と笑った。
「ありがと。限定っぽいね。大切にするよ」
「うん、してして! 今日から同志だ!」
『……オタクミ』
ゴルドスが脳内でぽつりと言った。
「なんだ」
『渡した相手を、もっとよく見ろ』
男はすでに人混みに紛れていた。
横でリアが小さく言う。
「先生、私も一つ欲しいです!」
「ああ、もちろん」
リアは受け取った缶バッジを嬉しそうに服の胸元に取り付けた。俺はもう一度、さっきの男が消えた方向を見た。
(缶バッジを見る目が……「好き」じゃなくて、「値踏み」に見えたのは、気のせいか)
「ゴルドス。どういうことだ」
『タダでもらったものを大事にするやつと、タダだから軽く扱うやつは、顔でだいたいわかる。お前の布教は、思わぬ場所まで届くことがある。それが良い方向とは、限らない』
「……もっと丁寧に、渡す相手を選ぶ」
『うむ』
ゴルドスは、それ以上何も言わなかった。
────
その日の夜。ラザリスの外れにある古い倉庫。
ランタンの光が石壁を低く照らす中、男は受け取った缶バッジをランタンの火に透かした。
ピンクのメタリックな縁。中心に、女性のシルエット。
男の手が、一瞬だけ、止まった。
(──なんだ、これは)
何かに似ていた。昔、どこかで見た。そう思った瞬間、男はバッジを伏せた。
「仕入れ価格に情はいらん」
低い声で独り言を言って、バッジを皮袋に放り込んだ。他にも同じような「もらい物」が入っている。
「この街に来てよかった。希少な外来品。同じものが二度と手に入らないと触れ込めば、北の連中が高値で買う」
魔導板を取り出し、何かを打ち込む。
倉庫の外で、夜風が一度だけ鳴った。
────
翌朝、ゴルドスが静かに言った。
『昨夜、バッジを受け取った男がいる。名前はアーグ・ビルダネスという。転売組織──プライス・カルテルの幹部だ』
「プライス・カルテル……」
『北に本拠がある。ラザリスにも手が伸びている』
俺は手の中の残りの缶バッジを握った。
「……俺の布教が、そいつの手に届いた」
『そうだ』
「許せねえ」
ゴルドスは何も言わなかった。ただ鞘の中で、小さな光が一度だけ強く灯って、静かに消えた。
「だったら、そいつの手が届かない場所に、正規の通路を作ればいい」
リアがそばで「先生……?」と呟いた。
「なんでもない。今日はギルドに行く」
ギルドは時計塔のそば、石造りの堂々たる建物だった。
扉を押して入ると、高い天井と梁、大きな掲示板。酒場スペースでは昼前から冒険者たちが酒を飲んでいる。期待通りの匂いがした。
その酒場スペースの隅で、一人で安酒を飲んでいる大男と目が合った。
顔に古い傷跡。肩幅が広い。安酒のジョッキが、手の中で小さく見える。
「……その鞘」
「え?」
「派手だな」
それだけ言って、酒に戻った。
(……怖。でも目が悪くない)
受付には、貫禄のあるおばちゃんが座っていた。書類を捌く手が速い。俺は姿勢を正してカウンターへ。
「冒険者登録をお願いします」
「はいはい。書類に必要事項を」
「えーと、オタクミ・ルミナス、十八と……武器は、推しのすべてが詰まった最高の痛武器です」
鞘を机上にそっと置く。おばちゃんは眉をひとつ上げ、首をかしげた。
「……痛武器?」
「街中は鞘運用が基本なので。中を見ますか、一センチだけ」
「見せて。抜刀はここでは禁止。一センチだけよ」
鞘口から一センチだけ、刃を引く。
シャキ……
ピンクメタリックの刀身に、ミスティア。
受付の背後で、通りすがりの冒険者が二度見した。
「かわ……(ゴホン)。……ふざけてる?」
「ふざけてないです! 真剣に推しに命かけてます!!」
「個性的でいいとは思うわ。でも登録は規約で動くの。その見た目は余計な注目を集める。公共空間での演出にも制限があって──」
「規約を読めばわかりますか?」
おばちゃんが、少し目を細めた。
「読む気があるの? あの分厚いの全部」
「全部」
「……今日中に?」
「今日中に」
おばちゃんはしばらく俺を見て、それから判子を取り出した。
「今日は仮の見習いカードだけ渡す。依頼は受けられないが、施設の利用はできるわ。規約はよく読んで。特にここ──公共空間での抜刀と演出禁止の条項」
カードと、分厚い小冊子を受け取る。
「それから──その鞘の扱い、きれいね。磨いてる。展示は信仰、って顔してるわ。嫌いじゃない」
「! ありがとうございます!」
────
ギルドを出て、俺は小冊子を開いた。
リアが隣で覗き込む。
「……読むんですか。あの分厚いの」
「全部」
「今日中に?」
「今日中に」
リアが「先生……」と呟いた。尊敬とも哀れみともつかない声だった。
────
その夜、宿の灯りの下で規約を読破した俺は、一つの条文を見つけた。
「……あった」
第十七条。希少物品の公正配布に関する条項。そして別の章に、製作所の試験刊行制度。発行部数百部未満の場合、絵師の資格要件は「製作所所属者であること」のみ。
(使える。これは使えるぞ!)
『何を見つけた?』
「制度を味方にする方法だ。渡す相手を間違えれば布教は汚染される。でも正規の仕組みを作れば、転売ヤーの手が届かない場所で届けられる」
『……お前、今日一日でずいぶん遠くへ来たな』
「感情で動いて失敗したからな。次は構造で戦う」
規約を折りたたんで、痛バッグに収めた。
酒場で会った大男──ガルドが言った「派手だな」という一言が、まだ頭の端に残っていた。
(あの目、悪くなかった。嫌ってる目じゃない)
明日、もう一度会えたら、少し話してみてもいいかもしれない。




