リアの秘めたる才能
森を抜けると、遠くに大きな城壁が見えてきた。ようやく人の住む場所まで来たらしい。
その手前に小さな水場があり、俺とリアはそこで足を止めた。さっきまでスライム相手に走り回っていたせいで、手や服には泥や飛沫が残っている。リアもローブの袖口を見下ろし、少し困ったような顔をしていた。
「街に入る前に洗っとこう。さすがにこのままは嫌だろ」
「はい。ありがとうございます」
水は冷たかったが、森を歩き続けた後にはむしろ気持ちいい。俺が手を洗っている横で、リアも袖についた汚れを落としていた。
ひと通りきれいになったところで、リアの視線が俺の背中へ向く。
正確には、《タクミ・ブレイザー》へ。
「さっき見せてもらった絵なんですけど……もう一度見てもいいですか?」
「るみたん?」
「はい。その、ミスティア・ルミナスさん」
名前を覚えていたことにちょっと感動した。
「もちろん」
周囲を確認してから、《タクミ・ブレイザー》を慎重に抜く。ピンクメタリックの刀身に、大きく描かれたミスティアが現れる。
リアはすぐには何も言わなかった。
ただ、じっと見ている。
顔。
髪。
服。
ポーズ。
俺が見慣れている絵を、初めて見るものとして一つずつ確かめるように目で追っていた。
「そんなに気になる?」
「はい」
返事はすぐだった。
「こういう絵、見たことがなくて。でも……すごく目を引きます」
「だろ? るみたんだからな」
「それは関係あるんですか?」
「あるに決まってる」
リアが少し笑った。
俺は《タクミ・ブレイザー》を持ったまま、痛バッグからミスティアのアクリルキーホルダーを取り出した。これなら刀身ほど大きくないし、近くで見るにも扱いやすい。
「こっちも見る?」
「同じ人ですか?」
「同じ。ミスティア・ルミナス」
リアはアクリルキーホルダーと刀身を交互に見比べた。
しばらくして、首を傾げる。
「同じ人なのに、少し違って見えます」
「違う?」
「こっちは、もっと近くにいる感じがします。剣の方は、強そうで……遠くからでも目に入る感じです」
俺は二つを見比べた。
当然、絵柄も大きさも見せ方も違う。
でも、俺にとってはどっちもミスティアだ。どちらが正しいとか、片方が偽物だとか、そんな感覚はない。
「よく見てるな」
「絵を見るの、好きなので」
リアはそう言ってから、少し照れたように視線を落とした。
その言葉を聞いて、俺は森で抱えていた紙のことを思い出した。
「リアも描くんだよな?」
「はい。でも、そんなに上手じゃないです」
「見たい」
「えっ」
「絵、見たい」
「い、今ですか?」
「今」
リアが明らかに困った顔をした。
「初対面の人間に描いたもの見せるの、結構ハードル高い?」
「少し……」
「じゃあ無理には見ない」
そう言うと、リアは意外そうに俺を見た。
俺としては普通のつもりだった。
好きなものを無理やり見せろと言われても嫌だろうし、絵だって同じだ。
けれどリアは少し考えたあと、抱えていた紙の束へ手を伸ばした。
「……描くところなら、見てもらってもいいです」
「マジで?」
「はい」
俺は思わず身を乗り出しかけて、止まる。
「近すぎたら言って」
「ふふ。はい」
リアは水場の石縁へ腰を下ろし、紙を膝の上へ置いた。
そして、《タクミ・ブレイザー》を見る。
次に、俺が持っているアクリルキーホルダーを見る。
何度か二つの間を行き来したあと、筆記具を持った。
俺は横から眺めながら待つ。
最初に引かれた線は、俺の知っているミスティアの輪郭とは少し違っていた。
「ん?」
思わず声が出る。
リアの手が止まった。
「変ですか?」
「いや。続けて」
「はい」
また線が走る。
髪。
顔。
身体。
少しずつ形ができていく。
俺は途中から黙って見ていた。
写しているようで、写していない。
刀身に描かれたミスティアとも、アクリルキーホルダーのミスティアとも違う。
それでも、誰を描いているかはわかる。
ミスティアだ。
リアの描いたミスティアは、俺の知っているものより少し柔らかい表情をしていた。
「……なんか違うな」
その言葉に、リアの顔が固まった。
「す、すみません」
「いや、悪い意味じゃない」
俺は慌てて手を振る。
「むしろ面白い。俺が見せたるみたんと違うのに、ちゃんとるみたんに見える」
リアは紙へ視線を戻した。
「私には、こう見えたので……」
「こう?」
「うまく言えないんですけど」
リアは少し悩んだ。
「剣に描いてある時は強そうだったんです。でも、先生が話している時は、もっと大切な人みたいに聞こえて」
「大切な人ではある」
「だから、その両方を描こうとしたら……こうなりました」
リア自身も、うまく説明できないらしい。
けれど、その曖昧さが逆にしっくりきた。
俺が「ミスティアはこういうキャラだ」と全部説明したわけじゃない。
リアは見せられた絵と、俺の反応と、森での出来事から、自分なりに何かを受け取った。
そして、それを紙へ出した。
「これ、真似しただけじゃないんだな」
「真似した方がよかったですか?」
「いや、逆」
俺は絵を見る。
知っているミスティア。
知らないミスティア。
その両方が同時にそこにいた。
「これ、リアが見たるみたんなんだろ?」
「……たぶん」
「じゃあ、それがいい」
「いいんですか?」
「いいに決まってる」
即答すると、リアが目を丸くした。
「同じもの見ても、みんな同じところ好きになるわけじゃないし。同じキャラ見ても、印象が違うのは普通だろ」
言いながら、自分でも少し納得する。
俺にとってのミスティアと、リアが今見つけたミスティアは同じじゃない。
でも、それでいい。
むしろ、そこが面白い。
「俺が知ってるるみたんを、そのまま正解にしなくていいよ」
リアはしばらく何も言わなかった。
それから、描いた絵を見下ろして、小さく笑った。
「……もう少し描いてみてもいいですか?」
「もちろん」
「違う顔も描いてみたいです」
「いいね!」
俺の声が思ったより大きくなり、リアがびくっと肩を揺らした。
「ごめん。テンション上がった」
「分かります」
「分かるの?」
「少しだけ」
さっきまで自分の絵を見せるのをためらっていたのに、リアはもう次の紙へ手を伸ばしている。
その姿を見ているだけで楽しくなってきた。
「神絵師の芽を感じる」
「かみえし?」
「めちゃくちゃ絵が上手い人」
「私、まだ全然です」
「じゃあ将来候補」
「勝手に候補にしないでください」
困ったように言いながら、リアは笑っていた。
俺も笑う。
城壁の向こうには、これから入る街がある。どんな場所なのかも、どうやって暮らしていくのかも、まだわからないことだらけだ。
それでも、この世界で最初に出会った少女が、俺の推しを見て、自分の絵を描いた。
それだけで、少し先が楽しみになった。
俺は《タクミ・ブレイザー》を鞘へ戻し、痛バッグを肩へかけ直した。
「そろそろ行こうか」
「はい、先生」
数歩進んでから、俺は止まった。
「……先生?」
リアも止まる。
「いろいろ教えてもらったので」
「いや、俺、絵は描けないぞ?」
「でも、ルミナスさんのことを教えてくれました」
「それなら無限に教えられる」
「じゃあ先生です」
なぜか押し切られた。
まあ、いいか。
リアは自分の描いた絵を大事そうに抱え、俺と一緒に城壁の方へ歩き出した。




