ラクケットに向けて その2
「……これは、どういうことだ?」
カフェ『KIRABOSHI』のテーブルに置かれた紙を見て、俺は首を傾げた。
紙には、アーグが調べてきた会場候補が書かれている。
候補その一。
広い。でも、高い。
候補その二。
安い。でも、狭い。
候補その三。
広さも値段も、まあまあ。
ただし、使用条件が厳しい。
「……全部、問題があるじゃん!」
「問題のない会場が、都合よく転がっていると思ったか?」
アーグが真顔で返した。
「思ってました!」
「そうか」
「そこは否定して!?」
先日のラクケット準備会議で、俺たちは役割を分担した。
アーグは会場と費用。
セラは参加に興味がある人への聞き取り。
リアは絵を描く人たちの声を集める。
そして俺は、ラクケットがどんな場所なのか説明できるようにする。
そんな調査を始めて、数日。
今日、ようやく具体的な話を持ち寄ることになった。
「まず言っておく」
アーグが紙を指で叩いた。
「使えそうな場所を調べて、管理している者に条件を聞いてきた。だが、どこも予約や使用許可を得たわけではない」
「……つまり?」
「まだ会場はない」
「現実が厳しい!」
『現実は、最初からそこにあったのだがのう』
「ゴルドス! 分かってるって!」
俺はもう一度、紙を見つめた。
広い場所を借りれば、それだけ費用がかかる。
狭い場所なら、費用は抑えられる。
でも、たくさんの作り手が参加したいと言ってくれたら、入りきらない。
「……難しいな」
「だから、先に人数を調べる必要がある」
アーグの言葉に、俺は頷いた。
「じゃあ、セラ!」
「はいはい」
セラが別の紙を広げた。
「こっちも、なかなか面白いことになってるわよ」
◇
「作品を見せたいって人は、いたわ」
「本当か!?」
「ええ。ただし、全員が売りたいわけじゃないの」
セラは、聞いてきた話を一つずつ教えてくれた。
刺繍を作っている女性は、ほかの人にも見てもらいたいらしい。
でも、値段をつけて売るとなると、自信がない。
木彫りをしている衛兵も、作品を見せることには興味がある。
ただ、勤務の都合があるし、まだ完成していないものも多い。
「……なるほど」
俺は腕を組んだ。
作るのが好き。
見せるのも、ちょっと楽しそう。
でも、売るとなると話が変わる。
「ほかにもね」
セラが続けた。
「家で絵を描いてる人がいたんだけど、その人は『お金をもらえるような絵じゃないから』って」
「……!」
俺は思わず立ち上がった。
「そんなことないだろ!」
「先生」
リアが、そっと俺の袖を引いた。
「……気持ちは分かりますけど」
「うっ」
「その人が、まだ見せたくないって思ってるなら……」
俺は、はっとした。
そうだ。
俺は、好きなものを誰かに見てもらう楽しさを知っている。
でも、だからといって。
誰もが今すぐ見せたいとは限らない。
「……そうだな」
俺は椅子に座り直した。
「無理に出てもらうのは違うよな」
「ええ」
セラが頷いた。
「その人が自分で決められるようにしたいわね」
俺は大きく息を吸った。
……危ない危ない。
また布教の勢いで、相手の気持ちを置いていくところだった。
『学習したようで、時々忘れるのう』
「思い出したからセーフ!」
『判定が甘すぎるわい』
◇
「私も、聞いてきました!」
リアが手を挙げた。
その手には、いくつかの覚え書きがある。
「お絵描き教室に来てくれた人たちや、絵を描いている人たちに、お話を聞いたんです」
「おお! どうだった!?」
「……あの」
リアは少し迷った。
「みなさん、興味はあるみたいなんです。でも……」
「でも?」
「『何を持っていけばいいのか分からない』って」
「……ああ!」
俺は頷いた。
そうか。
俺の頭の中には、前世の同人イベントの景色がある。
机に本を並べて。
値札を置いて。
買いに来た人と話す。
でも、この世界の人たちにとっては、それが当たり前とは限らない。
「絵を一枚だけ持っていってもいいのか、とか」
「うんうん」
「途中まで描いた絵でもいいのか、とか」
「なるほど!」
「それから……」
リアは、少しだけ声を落とした。
「自分の作品が、ほかの人の作品より下手だったら、恥ずかしいって」
「……そっか」
俺は、紙に書かれた言葉を見つめた。
上手い人しか参加できない。
売れる作品がなければ、出る意味がない。
もし、そんなふうに思われているなら。
俺が考えていたラクケットとは、少し違う。
「……なあ、みんな」
俺は顔を上げた。
「ラクケットって、絶対に何か売らなきゃいけない場所にする必要、ないよな?」
「……どういう意味だ?」
アーグが尋ねる。
「売る人は売る。でも、見せたいだけの人は、展示だけでも参加できたらいいんじゃないかって」
「展示だけ?」
「そう!」
俺は勢いよく頷いた。
「自分の絵を一枚持ってきてもいい! 木彫りを一つだけ置いてもいい! 誰かが見て『いいね』って言ってくれるだけでも、十分楽しいだろ!」
リアの顔が、ぱっと明るくなった。
「……それ、素敵です!」
セラも頷く。
「売るのは怖いけど、見せてみたいって人なら参加しやすいかもしれないわね」
アーグは少し考えた。
「……理念としては理解できる」
「おっ!」
「だが、展示だけでも場所は使う。机も必要だ。費用が消えるわけではない」
「ぐはっ!」
現実の二撃目!
「それに、展示物が壊れたり、持ち去られたりしないようにする方法も考えなければならん」
「……確かに」
俺は腕を組んだ。
見せたい人が安心して参加できる場所。
そのためには、運営する側にも責任がある。
「じゃあ、展示だけの参加もできるようにしたい。ただし、必要な場所や管理方法を調べてから、正式に決めよう」
アーグが頷いた。
「それなら検討できる」
「よし!」
俺は紙に書いた。
『展示だけの参加――検討!』
『また「検討」が増えたのう』
「今はそれでいいんだよ!」
決めていないことを、決めたふりはできない。
そのくらいは、俺も分かってきた。
◇
「それと、商品についても問題がある」
アーグが別の紙を取り出した。
「商品?」
「ああ。例えば、お前が話していた同人誌だ」
「おお! 同人誌!」
俺は思わず身を乗り出した。
「その言葉をアーグの口から聞ける日が来るとは……!」
「話を聞け」
「はい!」
「紙が高い。印刷を頼むにしても、今は以前ほど簡単に数を用意できない」
「……うん」
俺は頷いた。
ルミナス通信を印刷する時にも苦労した。
お絵描き教室の告知だって、少部数に抑えたばかりだ。
「つまり、リアの漫画を本にするにしても……」
「大量には作れないだろうな」
リアが、少し不安そうに目を伏せた。
「……それなら、やめた方がいいでしょうか」
「いや!」
俺は首を振った。
「やめなくていい!」
「……先生?」
「最初から何十冊も作らなくていいんだよ」
俺は、テーブルの上の紙を一枚手に取った。
「例えば、まずは見本を一冊だけ作ってみるとかさ。何ページにするか考えるだけでもいい」
「……一冊だけ」
「そう。そこから、何部なら無理なく作れるか考えればいい」
リアは、ゆっくり頷いた。
「……はい」
俺は笑った。
「大事なのは、無理に数を増やすことじゃない。リアが作りたい本を、ちゃんと作れることだと思う」
その言葉を聞いて、リアは少しだけ微笑んだ。
「……ありがとうございます」
アーグも、小さく頷いた。
「まず見本を作るだけなら、費用も確認しやすい。正式な印刷は、それから判断しよう」
「よし!」
俺は拳を握った。
「同人誌計画、第一歩!」
『まだ一冊もできておらぬがな』
「第一歩だからいいんだよ!」
◇
それから俺たちは、作品ごとに必要なものを整理していった。
絵なら、飾る場所。
漫画の冊子なら、並べる机。
木彫りなら、倒れたり落ちたりしない置き方。
刺繍なら、布を広げて見せられる場所。
「……こうして考えると、全然違うな」
俺は呟いた。
「同じ『作品』でも、必要なものはそれぞれ違う」
「そうね」
セラが頷いた。
「布なら畳めるけど、木彫りは形によっては壊れやすいもの」
「絵も、汚れないようにしたいです」
リアが付け加える。
「それに、誰かが触ってもいい作品と、触らないでほしい作品もありますよね」
「……確かに!」
俺は目を丸くした。
創作の楽しさを広めたい。
でも、そのために作品を傷つけてしまったら意味がない。
「じゃあ、見せ方も、作った人と相談して決めるのがよさそうだな」
「そうだろうな」
アーグが頷いた。
「運営側が勝手に決めるより、本人に希望を聞いた方がいい」
「……うん!」
俺は紙に書き足した。
『作品の扱いは、作った人の希望を確認!』
そして、ふと気づいた。
「……なあ、アーグ」
「何だ?」
「商品を売る場合って、値段も本人が決めるんだよな?」
「基本的にはそうだ。ただし、会場の規則や売買の取り決めは必要になる」
「そっか……」
俺は、少し考えた。
自分が好きで作ったもの。
それをいくらで売るのか。
そもそも、売るのかどうか。
そんなことも、作った本人が選べるようにしたい。
「……ラクケット、思ってたより考えることが多いな」
「ようやく理解したか」
「理解しました!」
アーグが、少しだけ笑った。
◇
夕方。
KIRABOSHIのテーブルには、何枚もの紙が並んでいた。
会場候補。
参加に興味がある人たちの声。
展示や販売の方法。
必要な机や道具。
そして、まだ分からない費用。
シエルは、紙に書かれた項目を一つずつ眺めていた。
「……絵は、飾る場所。歌は……?」
「歌なら、聞く人が集まれる場所も必要になるな」
俺が答えると、シエルは小さく頷いた。
「……そっか。みんな、違うんだね」
「そうだな」
「……でも、みんな、大事」
俺は思わず笑った。
「その通り!」
歌を披露するかどうかは、まだ決まっていない。
でも、こうして考えることならできる。
その時、アーグが全員を見回した。
「ここまで調べて、分かったことがある」
「何だ?」
「ラクケットを開くこと自体は、不可能と決まったわけではない」
「……!」
俺は顔を上げた。
「本当か!?」
「ただし、今のままでは開催を決定できない」
「……ですよね!」
アーグは紙を指で叩いた。
「会場候補はある。参加に興味がある人もいる。並べたい作品の種類も見えてきた」
「うん!」
「展示だけの参加を認める案もあるが、必要な場所と管理方法を確認してからだ」
「……分かった!」
「そして、費用と支援が足りない。今の状況では、必要なものをすべて用意できるとは限らん」
俺は黙って頷いた。
材料の値段は、まだ高い。
ギルドの公的な後援も、以前のようには受けられない。
それに、俺たち自身にも無制限の資金があるわけじゃない。
「……じゃあ、どうする?」
俺が尋ねると、アーグは少し考えた。
「まず、必要な費用をもっと絞り込む。そのうえで、どこまでなら自分たちで負担できるか確認する」
「うん」
「それでも足りないなら、別の支援方法を考える必要がある」
「……なるほど」
俺は、会議の紙を見つめた。
夢だけでは、イベントは開けない。
でも。
夢があるから、現実の問題にも向き合える。
「……よし!」
俺は顔を上げた。
「じゃあ、まだ諦めない!」
セラが笑った。
「最初から諦めるつもりなんて、なかったでしょ?」
「もちろん!」
俺は胸を張った。
「だって、まだ見たい景色があるんだよ!」
リアが、小さく頷く。
「……私も、見てみたいです」
「どんな景色?」
俺が尋ねると、リアは少し考えた。
「……みんなが、自分の作ったものを並べて……」
その目が、きらきらと輝く。
「それを見た人が、嬉しそうに笑ってくれる景色です」
「……最高じゃん」
俺は、思わず笑った。
ああ。
そうだ。
俺が見たいのも、そういう景色だ。
◇
「……でも、先生」
リアが、ふと何かを思い出したように言った。
「ん?」
「みなさんの作品を見ていたら、私も何か描きたくなってきました」
「おお!」
俺は身を乗り出した。
「ぴーちゃんの新作!?」
「……それも、いいんですけど」
リアは少し首を傾げた。
「まだ、何を描きたいのか、よく分からなくて」
「……そっか」
俺は頷いた。
「でも、描きたいって気持ちはあるんだろ?」
「……はい」
「だったら、急がなくてもいいんじゃないか?」
リアが顔を上げた。
「……急がなくても?」
「そう。何を描くかって、自分で決めることだろ?」
俺は笑った。
「リアが本当に描きたいものを、リアが見つければいいんだよ」
「……」
リアは、しばらく黙っていた。
そして、小さく微笑んだ。
「……はい」
けれど、その視線はまだ、鞄の中の白い紙へ向けられていた。
何かを描きたい。
でも、何を描くのか。
その答えは、まだ見つかっていないようだった。
俺は、その横顔を見つめた。
今は、無理に答えを出さなくてもいい。
描きたいものを探す時間だって、リア自身のものなんだから。
『……お主も、少しは教え方が変わったようだな』
「え?」
『以前なら、真っ先にミスティアを描けと言っておっただろう』
「……!」
俺は、思わず口を閉じた。
……確かに。
昔の俺なら、そう言っていたかもしれない。
でも今は。
「……リアが描きたいものが、一番だろ」
俺がそう答えると、ゴルドスは小さく笑った。
『ふむ。悪くない』
◇
KIRABOSHIの窓から、夕日が差し込んでいた。
ラクケットの開催は、まだ決まっていない。
会場も、費用も、解決していない。
でも。
準備会議の時には、ただの夢だったものが。
少しずつ、現実の形を持ち始めていた。
参加したい人がいる。
見せたい作品がある。
そして、それを実現するために必要なものが、少しずつ分かってきた。
「……アーグ」
「何だ?」
「大変だな、イベントって」
「今さらだな」
「今さらです!」
俺たちは笑った。
でも、その笑いは、決して諦めのものじゃなかった。
まだ見ぬラクケット。
その会場に並ぶ、誰かの『好き』。
俺は、その景色を想像した。
きっと、楽しい。
きっと、騒がしい。
そして、きっと。
俺が想像している以上に、いろんなものが集まる。
「……よし!」
俺は拳を握った。
「次は、足りないものを何とかする方法を考えよう!」
アーグが、静かに頷いた。
「まずは、何がどれだけ足りないかを確かめてからだ」
「了解!」
革命は、一本の線から始まった。
その線は、今。
人と人をつなぐ場所へ向かって、少しずつ伸び始めている。
ラクケット開催への道のりは、まだ遠い。
けれど。
俺たちは、確かに前へ進んでいた。




