リア覚醒
「……先生」
「ん?」
「ひとつ、聞いてもいいですか?」
カフェ『KIRABOSHI』の片隅。
俺がラクケットの準備資料と格闘していると、リアが遠慮がちに声をかけてきた。
「もちろん! 何でも聞いてくれ!」
「……先生は、どうしてミスティア様が好きなんですか?」
「…………」
俺は、そっと紙を置いた。
「リア」
「は、はい!」
「今、何時だと思う?」
「……え?」
「その質問に答え始めたら、日が暮れるぞ!」
『もう夕方じゃがな』
「じゃあ朝までコースだ!」
『やめんか』
ゴルドスの呆れた声が頭に響く。
リアは、くすっと笑った。
けれど、すぐにまた真剣な顔になった。
「……でも、本当に知りたいんです」
「……そっか」
俺は椅子に座り直した。
「じゃあ、なるべく短く話すよ」
『お主の「短く」は信用ならん』
「うるさい!」
俺は咳払いをした。
「ミスティアはさ、強くて、優しくて、でも何でもできるわけじゃなくて……それでも、自分が信じたものを守ろうとするんだ」
俺の大好きなアニメ、『輝星のルミナス』。
その中で何度も、ミスティアの姿に胸を熱くした。
「見てると、俺も頑張ろうって思えるんだよ」
「……頑張ろうって?」
「ああ。落ち込んでるときも、嫌なことがあったときもさ。あの子が諦めずに立ってる姿を思い出すと、もう一回やってみようって思える」
リアは黙って聞いていた。
「もちろん、見た目も最高! 声も最高! 衣装も最高! 変身シーンに至っては芸術そのもの!」
『結局そこへ戻るか』
「大事なことだから!」
リアが笑う。
俺も笑った。
けれど、彼女はしばらくして、ぽつりと言った。
「……先生には、あるんですね」
「ん?」
「自分が、本当に好きだって言えるものが」
◇
リアの手元には、一枚の白い紙があった。
いや、正確には白いままではない。
薄く描かれた線がいくつもあり、その上から何度も消した跡が残っていた。
「……ラクケットに向けて、何か描こうと思ったんです」
「おお!」
俺は身を乗り出した。
「ぴーちゃんの新作か!?」
「最初は、そう思いました」
「……最初は?」
「はい。でも……」
リアは、紙に目を落とした。
「『はしれ!ぴーちゃん』は、描いていて楽しいです。ミスティア様を描くのも、好きです」
「うん」
「それなのに、ほかの人たちの作品を見ていたら……何か、別のものも描いてみたくなって」
俺は黙って頷いた。
先日、ラクケットへの参加希望を聞いて回ったときのことだろう。
子供たちが描くドラゴン。
衛兵が彫る小鳥。
女性たちの刺繍。
どれも、俺が持ち込んだミスティアとは関係のない作品だ。
でも、それぞれの人が楽しそうに作っていた。
「……なのに、何を描けばいいのか分からないんです」
リアの指が、紙の端をそっと押さえた。
「先生に教えてもらったことは、たくさんあります。でも……」
「でも?」
「……先生が喜んでくれる絵なら、描けるんです」
「うん?」
「ミスティア様を描くと、先生がすごく嬉しそうにしてくれるから……私も嬉しくて」
リアは、少しだけ笑った。
「でも、それを考えないで描こうとすると……何を描けばいいのか、分からなくなるんです」
「……リア」
「自分で描こうとすると、何が正解なのか分からなくて」
……正解。
その言葉が、妙に胸に引っかかった。
「リア」
「はい」
「絵って、正解が必要なのかな?」
「……え?」
「いや、上手く描くための技術はあると思うんだ。形とか、色とか、いろいろ。でもさ」
俺は、彼女の紙を見た。
「何を描きたいかまで、誰かに決めてもらう必要はないんじゃないか?」
リアは、少し困ったように笑った。
「……それが、分からないんです」
「……そっか」
そうだよな。
自分で決めていいと言われても、何を選べばいいか分からないことだってある。
俺の場合は、好きなものが多すぎるくらいだから、つい忘れそうになるけど。
『お主のように、好きが暴走しておる者ばかりではないからのう』
「暴走じゃない! 全力疾走だ!」
『同じじゃ』
◇
「……ちょっと、外を歩くか?」
俺が言うと、リアは顔を上げた。
「外、ですか?」
「ああ。ずっと紙を見てても、疲れるだろ?」
「……はい」
「ラクケットの準備も、少し休憩だ!」
『お主は準備から逃げたいだけではないか?』
「違います!」
……半分くらいしか。
俺たちはKIRABOSHIを出た。
夕方のラザリスは、いつもと変わらず賑やかだった。
荷物を運ぶ人。
店先で話す人。
仕事を終えて帰っていく人。
少し歩いたところで、地面にしゃがみ込んでいる子供たちを見つけた。
「……あ」
リアが足を止める。
子供たちは、地面に絵を描いていた。
大きな羽。
長い尻尾。
それから、妙に丸い頭。
「……ドラゴンだ!」
俺が言うと、子供の一人が振り向いた。
「あっ、お絵描きの先生たち!」
「おお! 今日も描いてるのか!」
「うん!」
子供は嬉しそうに頷いた。
「今日はね、空を飛んでるところ!」
「なるほど!」
俺は地面の絵を見た。
前に見たドラゴンとは、少し形が違う。
羽が大きくなっている。
尻尾も長い。
何より、以前よりずっと楽しそうに描かれていた。
「すごいじゃん!」
「えへへ!」
子供たちは、また地面へ向き直った。
リアは、しばらくその様子を見ていた。
「……先生」
「ん?」
「あの子たち、迷わないんですね」
「……そうだな」
描きたいものがある。
だから描く。
たったそれだけのことが、今のリアには難しくなっているのかもしれない。
俺は何か言おうとして、口を閉じた。
ここで俺が答えを教えても、きっと違う。
リア自身が見つけなければならないものなんだ。
◇
帰り道。
店先に飾られた小さな木彫りの鳥を見つけて、リアが立ち止まった。
以前、衛兵が彫り始めたと聞いた小鳥。
その話を思い出したのだろう。
「……あの人も」
「ん?」
「鳥が好きだから、彫り始めたんですよね」
「そうみたいだな」
「……上手く作れるかどうか、分からなくても」
「ああ」
リアは、静かに頷いた。
そして、ふと何かを思い出したように空を見上げた。
夕暮れの空を、小さな鳥が横切っていく。
その先には、仕事を終えた人たちの姿。
道端では、さっきの子供たちがまだ地面に絵を描いている。
何でもない、ラザリスの日常。
リアは、その景色をじっと見つめていた。
「……先生」
「ん?」
「私、ちょっと……戻ってもいいですか?」
「もちろん!」
俺は笑った。
「KIRABOSHIに?」
「……はい」
リアは、少しだけ息を弾ませていた。
「描きたいものが、ある気がするんです」
◇
KIRABOSHIに戻ると、リアはまっすぐテーブルへ向かった。
鞄から紙を取り出す。
筆を持つ。
そして――。
止まった。
「……」
俺も、何も言わずに見守った。
少しの沈黙。
リアは何度か筆先を動かしかけて、また止めた。
「……リア」
「……はい」
「何を描こうとしてるんだ?」
リアは、窓の外へ目を向けた。
少し迷って、それから自分の手元の紙を見る。
「……今日は」
小さな声だった。
「私が好きなラザリスを、描きたいです」
俺は、思わず息を止めた。
「……そっか」
「はい」
リアは、もう一度筆を持ち直した。
そして、ゆっくりと線を引き始めた。
最初は、小さな輪郭。
次に、長い線。
その周りに、いくつもの形が増えていく。
俺は、少し離れたところから見ていた。
彼女が何を描いているのか、まだ分からない。
でも、その手はさっきよりずっと迷いが少なかった。
……ああ。
そうか。
リアは今、自分の絵を描いているんだ。
俺に頼まれたわけでもない。
ミスティアを描いてほしいと言われたわけでもない。
ラクケットに出すと決めたわけでもない。
ただ、自分が描きたいから。
その気持ちで、筆を動かしている。
なんだか、胸が熱くなった。
『……顔が緩んでおるぞ』
「……仕方ないだろ」
『ふむ』
「こういうの、嬉しいんだよ」
俺は、小さく答えた。
◇
どれくらい時間が経っただろう。
リアが、ようやく筆を置いた。
「……できました」
「おお!」
俺は、思わず立ち上がった。
「見てもいいか!?」
「……はい」
リアは少し緊張した様子で、紙をこちらへ向けた。
そこに描かれていたのは――。
ラザリスの街だった。
大きな建物でも、立派な城でもない。
道端で絵を描く子供たち。
店先で話す人たち。
小さな木彫りの鳥。
そして、その上を飛んでいく、本物の鳥。
いくつもの何気ない景色が、一枚の絵の中につながっていた。
「……リア」
「……はい」
「これ……」
俺は、思わず言葉を探した。
いつものミスティアとは違う。
『はしれ!ぴーちゃん』とも違う。
派手な戦いも、変身も、決めポーズもない。
でも。
そこには、確かにリアが見てきた世界があった。
「……すごいな」
俺が呟くと、リアは少し驚いた顔をした。
「……本当ですか?」
「ああ」
俺は頷いた。
「俺がいつも歩いてるラザリスなのに、リアの絵で見ると、こんなに違って見えるんだな」
「……え?」
「子供が絵を描いてるところも、店先で人が話してるところも、俺だって見てたはずなんだ。でも、リアの絵を見るまで、こんなふうにつながって見えてなかった」
リアは、絵へ目を落とした。
「……私」
小さな声だった。
「最初は、先生が喜んでくれるような絵を描こうと思ってたんです」
「……うん」
「ミスティア様なら、きっと喜んでくれるって」
「もちろん喜ぶぞ!」
俺は即答した。
「ミスティアなら何枚でも!」
『少し黙っておれ』
「はい!」
リアが、くすっと笑った。
それから、真剣な顔で続けた。
「でも……今日、街を歩いていたら」
「……うん」
「子供たちが楽しそうに絵を描いていて。鳥を彫っていた人のことを思い出して」
リアは、絵の中の小さな人物を指で示した。
「私、この街が好きなんだなって思ったんです」
「……」
「先生と出会って、いろんな人と出会って……」
その声が、少しだけ震えた。
「前は、こんなふうに街を見ることなんて、ありませんでした」
俺は黙って聞いていた。
「でも今は、誰かが何かを作っていると、嬉しくなるんです」
「……うん」
「だから……描きたくなったんです」
リアは、まっすぐ俺を見た。
「私が好きな、この街を」
◇
……参った。
これは、参ったぞ。
俺は今、ものすごく感動している。
ミスティアの新規イラストを見たときとは、違う感動だ。
いや、比べるものじゃない。
これは、リアの絵だ。
リアが見て、リアが感じて、リアが選んだ世界。
俺は、その一枚を見せてもらっている。
「……リア」
「はい」
「これ、ラクケットに出したい?」
リアは少し考えた。
「……まだ、分かりません」
「そっか」
「もう少し、描きたいところもありますし……」
「うん」
「でも……」
リアは、ゆっくり微笑んだ。
「これは、私が描きたくて描いた絵です」
その言葉が、何より嬉しかった。
「……最高じゃん!」
俺は、思いきり笑った。
「それでいいんだよ!」
リアが、少し目を丸くする。
「……それで、いいんですか?」
「もちろん!」
俺は頷いた。
「誰かに見せるためでも、売るためでもなくていい! リアが描きたいと思ったものなら、それが一番だ!」
リアの顔が、ぱっと明るくなった。
「……はい!」
俺は、もう一度絵を見た。
まだ、描きかけの部分もある。
線が少し重なっているところもある。
でも。
この絵には、リアの『好き』が詰まっている。
そして、それを自分で見つけたんだ。
◇
「……先生」
リアが、もう一度声をかけてきた。
「ん?」
「私、これからもミスティア様を描きたいです」
「おお!」
俺は拳を握った。
「もちろん大歓迎!」
「それから、ぴーちゃんも」
「最高!」
「でも……」
リアは、自分の絵を見つめた。
「それだけじゃなくて、もっといろんなものを描いてみたいです」
俺は、静かに頷いた。
「……いいじゃん」
「……はい」
「リアが見つけたものを、リアの絵にしてくれよ」
彼女は、少し照れくさそうに笑った。
「……頑張ります」
『……よかったのう』
ゴルドスが、珍しく優しい声で言った。
「……ああ」
俺は、小さく答えた。
最初は、俺の推しを描いてほしかった。
ミスティアの素晴らしさを、この世界でも形にしてほしかった。
それは、今でも変わらない。
でも。
リアが自分の好きなものを見つける姿を見て、気づいた。
俺が本当に嬉しいのは、誰かが俺と同じものを好きになることだけじゃない。
誰かが、自分の好きなものを見つけること。
そして、それを大切にできるようになること。
……ああ。
これも、布教の成功なのかもしれない。
『いや、そこは布教ではないじゃろ』
「細かいこと言うなよ!」
『まったく、お主は最後までお主じゃな』
俺は笑った。
◇
夕方の光が、KIRABOSHIの窓から差し込んでいた。
テーブルの上には、リアの絵がある。
ラザリスの街。
そこに暮らす人たち。
小さな創作の風景。
それは、まだ完成していない一枚だった。
少なくとも、今この絵に何を描きたいのか、リアは自分で分かっているようだった。
「……先生」
「ん?」
「明日も、描いていいですか?」
「もちろん!」
俺は笑った。
「ここでも、ほかの場所でも、リアが描きたいところで描けばいい!」
「……はい!」
リアは、嬉しそうに頷いた。
そして、もう一度筆を取った。
今度は、俺に何も尋ねなかった。
何を描くか。
どこに線を引くか。
どんな色を重ねるか。
そのすべてを、自分で考えていた。
俺は、そんな彼女の横顔を見つめながら思った。
……ああ。
リアは、もう。
俺の好きなものを描いてくれるだけの絵描きじゃない。
自分の世界を、自分の線で描く創作者なんだ。
「……すごいな、リア」
聞こえないくらいの声で、俺は呟いた。
ラクケットの開催準備は、まだ途中だ。
会場も決まっていない。
予算の問題も残っている。
それでも。
あのイベントを思いついた意味が、少しだけ分かった気がした。
誰かの作品を並べる場所を作りたい。
そう思っていた。
でも、本当に大事なのは、その前にある。
誰かが、自分の『好き』を形にすること。
その瞬間が、もっと増えてほしい。
リアの筆が、紙の上を走る。
俺は、その音に耳を澄ませた。
革命は、一本の線から始まった。
そして今。
その線を引く人は、もう俺の言葉を待っていない。
自分の意思で、自分の世界を描き始めていた。




