リアのデッサン教室
街の喧騒も一段落し、陽射しが傾き始めたころ。リアの部屋の作業スペースには、ペンの走る音だけが淡々と響いていた。
部屋の中央、テーブルには幾つものスケッチブックと魔導具ペン、参考資料の小冊子が積まれている。
その中で――オタクミは呻いていた。
「……くぅっ……ダメだ……!」
彼の眉間には深いしわ。目の前のスケッチブックには、どうにか“それっぽく”描こうとしたミスティア様らしきものが、うつ伏せで倒れていた。
(ダメだ…! 完璧な構図とポージングが、脳内ではビシッと決まっているのに…この手がまったく言うことを聞かない!)
彼は拳を握りしめる。
(神よ…俺に“愛でる才能”は授けておきながら、なぜ“描く才能”は取り上げた!?)
描きかけの絵を見ていたリアが、そっと口を開いた。
「せ、先生……大丈夫ですか?」
「大丈夫な顔に見えるかぁぁああ!!?」
机に突っ伏すオタクミ。
リアは、おずおずと隣に座り直し、そっと言った。
「……あの、もしよかったら、一緒に描いてみませんか?」
「……ん?」
「先生の頭の中にある“尊い”を……私、もっと見てみたいんです。だから、少しだけお手伝いさせてください」
その目はまっすぐで、キラキラと光っていた。
「……リア、お前ってやつは……っ!」
オタクミは鼻をすすり、涙をこらえるように頷いた。
「よし……リア先生、弟子入りさせてくださいッッ!」
「じゃあ、まずは丸を描いてください。あ、ゆっくりでいいですよ。次に、縦と横の線を十字に――はい、そこが顔の中心になります」
「な、なるほど……ふむふむ……」
オタクミは本気だった。
いつもの熱量と気迫でペンを握るが、結果は無惨だった。
「くっ……なぜだ! 俺のミスティア様への愛は、こんな歪んだ円ではないはずだッ!」
「だ、大丈夫です、先生! その線、すごく勢いがあります! 元気で、情熱が伝わってきます!」
「フォローがうまいなッ!」
リアはくすっと笑いながらも、本気でそう思っていた。オタクミの線は荒く、ぶっきらぼうだったが、不思議な温かさがあった。
まるで――そのキャラが、誰かに愛されていることを誇りにしているかのような、そんな線だった。
⸻
「や、やっと……描けた……」
オタクミは、息も絶え絶えにスケッチブックを差し出した。
そこには、バランスの悪い輪郭、左右でズレた目、折れかけた杖を持つミスティア様が立っていた。
だが――そこには確かに、“愛”が宿っていた。
「先生……その絵、少しだけ魔法をかけてもいいですか?」
「ん? ああ……頼んだ、リア先生……」
リアは、柔らかな手つきでその絵に彩りを加えていく。
主線はそのままに。髪にツヤを、目に輝きを、肌に温もりを。まるで、命を吹き込むように、そっと、そっと描き加えていく。
数分後。
「……できました!」
そこには、オタクミの荒い線がそのまま活かされた――温かく、どこか懐かしい、唯一無二のミスティアの姿があった。
「これ……俺が描いたミスティア様、か……?」
「はい。先生の線の力強さと、私の魔法が合わさって……新しいミスティア様が生まれました!」
リアの笑顔は、それまでのどの完成イラストよりも誇らしげだった。
オタクミは言葉もなく、それをただ、見つめていた。
(……“上手さ”じゃない。“好き”の総量で描かれた絵って、こんなにも尊いんだな……)
⸻
数日後。
カフェの一角。そこには額縁に入った一枚のイラストが飾られていた。
リアが描いた完璧なミスティアたちの隣で、その一枚だけが、少しふぞろいで、手作り感に溢れていた。
けれど、その絵には、他にはない温かさがあった。
「ふふ……これもまた、尊いな」
オタクミがぽつりと呟く。
その隣でリアは、まるで子供の描いた絵を飾る母親のように、優しい笑みを浮かべていた。
そして、二人は肩を並べて座り、自分たちの“はじめての合作”を、静かに見つめ続けた。
それは、まだ未完成な絵だった。拙く、ぎこちない部分もあった。
でも、だからこそ――温かい。
それはまさに、“ふぞろいなスケッチブック”の中で生まれた、小さな奇跡のような一枚だった。