終わらないこだわり
『ルミナス通信』創刊から数日。
ラザリスのカフェ『KIRABOSHI』では、今日も穏やかな時間が流れていた。
「……平和だなぁ」
俺は椅子にもたれ、ミスティア様のアクスタを眺める。
「お前が静かだと、確かに平和だ」
アーグが容赦なく言った。
「俺が騒音の原因みたいに言うなよ!」
「違うのか?」
「違う……と言い切れないのが悔しい!」
リアは次の漫画の下描き中。セラはグルメ記事の候補を整理し、シエルはぴーちゃんと窓辺で休んでいる。
そんな午後だった。
カラン、と店の扉が開いた。
「失礼する」
現れたのは、立派な鎧をまとった騎士だった。
「オタクミ殿はおられるか」
「はい! 俺です!」
騎士は俺の姿を見て一瞬だけ目を止めたが、すぐに姿勢を正した。
「女王ロザリア陛下より、親書を預かっている」
「……女王?」
俺の声が裏返った。
リアが顔を上げ、アーグが立ち上がる。
「王宮から直接か?」
「そのとおりだ」
騎士が差し出した封書には、見事な紋章が刻まれていた。
「……え、何? 俺、何かやらかした?」
「心当たりが多すぎるわね」
「セラさん!?」
『思い当たることを順に述べてみるか』
「日が暮れるわ!」
「自覚はあるのね」
恐る恐る封を切る。
内容を簡単にまとめると、こうだ。
ラザリスで広まりつつあるアクスタという工芸品に興味がある。
また、『ルミナス通信』に掲載された騎士の物語と挿絵も興味深く拝見した。
ついては、制作者たちに直接話を聞きたい。
「……招待状?」
俺は何度も読み返した。
「女王陛下が、俺たちに会いたいって?」
「そういうことだな」
アーグが頷く。
「すごいです、先生!」
リアが嬉しそうに身を乗り出した。
「私の絵も見てもらえたんですね!」
「そうだな!」
顔も知らない人へ届けようと作った通信が、まさか王宮まで届いていたとは。
セラが親書を覗き込む。
「でも、どうして騎士の絵が気に入ったのかしら?」
「顔の見えない騎士の背中って、想像が広がるだろ?」
「それはそうだけど」
「ロザリア陛下にも、何か思い浮かんだのかもしれないな」
リアは少し照れたように笑った。
「……そうだったら嬉しいです」
アーグが騎士へ向き直る。
「招待はありがたくお受けします。ただ、移動手段の手配が必要です。出発日については、改めて相談させていただけますか」
「承知した。王宮へその旨を伝えよう」
騎士は一礼し、店を後にした。
「……王宮か」
俺は拳を握った。
「女王陛下に直接、ミスティア様の魅力を布教できる……!」
「そこかよ!」
セラの突っ込みが響いた。
◇
「問題は移動手段だ」
翌日、アーグが地図を広げた。
「王宮までは距離がある。人数も荷物も多い。大型馬車を手配する」
「荷物?」
「アクスタや資料だ。招待された理由を忘れるな」
「もちろん! ミスティア様のアクスタ全種類と展示用の小物と――」
「量を考えろ」
「ぐっ!」
アーグはすでに、実用的な馬車の候補を調べていた。
「……馬車か」
俺は腕を組む。
広い車体。大きな側面。
そこに描かれる、麗しきミスティア様のお姿。
「……アーグ」
「何だ、その顔は」
「その馬車、外側はどうなってる?」
「普通の馬車だが」
「普通……?」
「ああ」
俺は静かに立ち上がった。
「もったいない!!」
「うるさい!」
「せっかく王宮へ向かうんだぞ!? ただ乗っていくだけでいいのか!?」
「いいだろう」
「よくない!」
俺は羊皮紙を広げ、大きく文字を書き込んだ。
『痛馬車輝号』
「……何だこれは」
「痛馬車だ!!」
アーグが額を押さえた。
「嫌な予感しかしない」
「車体いっぱいにミスティア様を描く! 走るたびに布教できる! まさに移動式の聖地!」
「目立ちすぎるだろ!」
「目立つためにやるんだよ!」
セラが図面を覗き込む。
「これ、窓まで絵で埋まってない?」
「……あ」
「外が見えなくなるわよ」
「窓は残す!」
「最初から考えてよ」
リアは図面をじっと見つめていた。
「……でも、馬車に大きな絵を描くのは面白そうです」
「だろ!?」
「車体の形に合わせて描くのは難しそうですけど」
「そこはリア先生のお力を!」
「先生はそっちでしょう!?」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
だが、アーグは笑わない。
「待て。塗装費用は? 完成までの日数は? 馬車の持ち主の許可は?」
「……あ」
「借りた馬車へ勝手に描くつもりだったのか?」
「そんなわけないだろ!」
「今、目を逸らしたな」
『見事に逸らしておったぞ』
「ゴルドスまで!?」
結局、馬車の手配先へ相談し、許可された範囲で装飾することになった。
王宮への出発を遅らせすぎない。それが条件だ。
「いいか、オタクミ」
アーグが念を押す。
「移動できなくなったら本末転倒だからな」
「分かってる!」
……その時の俺は、本当に分かっているつもりだった。
◇
作業が始まった。
リアが車体に合わせて下絵を描き、俺は隣で確認する。
「……リア」
「はい?」
「ここ、もう少しだけ髪を流せないか?」
「この辺りですか?」
「そう! いや、もう少し右……左か?」
「どっちですか!?」
「ミスティア様の魅力が最大になる方!」
「それが分からないんです!」
リアは笑いながら線を引き直した。
最初のうちは、俺も笑っていた。
「……うーん」
「先生?」
「目元が、少し違う気がする」
「さっき直したところですよ?」
「そうなんだけど……!」
悪くない。
いや、むしろ素晴らしい。
でも、俺の頭の中にあるミスティア様と比べると、ほんの少し違う気がした。
「……もう一回、お願いできる?」
リアの手が止まった。
「……はい」
その返事を聞いて、俺も止まる。
「……ごめん。細かすぎたか?」
リアは少し考えてから答えた。
「私も納得できる絵にしたいです。でも、どこを直せばいいのか分からないままだと、ずっと終わらないかもしれません」
「……そうだよな」
俺は下絵を見直した。
リアの描いたミスティア様は、俺の想像と完全には同じじゃない。
でも、その線にはリアらしい柔らかさがある。
「……よし。目元はこれでいこう!」
「いいんですか?」
「うん。これはリアが描いたミスティア様だ。それでいい」
リアが嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます!」
俺も胸を撫で下ろす。
……ところが。
「では、次は背景ですね!」
「背景!」
俺の中で何かが再び燃え上がった。
「星を散らそう!」
「星ですか?」
「そう! ミスティア様の周りに、キラキラっと!」
「なるほど!」
「いや、星だけじゃ足りない! 光の筋も!」
「光の筋!」
「それから――」
「オタクミ」
背後から低い声がした。
アーグだった。
「……今、何時だと思っている?」
「え?」
「今日の作業予定は、とっくに終わっている」
空を見上げる。
いつの間にか日が傾いていた。
「……あれ?」
「朝からずっと同じ面を描いているんだぞ」
「そんなに!?」
「そんなにだ」
セラが腰に手を当てる。
「リアも休ませなさいよ」
「あ、うん。そうだな」
リアは慌てて首を振った。
「私はまだ大丈夫です!」
「いや、今日はここまでにしよう」
「……はい」
シエルが少し離れた場所から車体を眺めた。
「……きれい」
「だろ!?」
「でも……まだ、乗れないの?」
その一言に、俺は言葉を失った。
きれいな馬車を作ることばかり考えていた。
本来の目的は、王宮へ向かうことだったのに。
『拙者も、そろそろ本来の目的を思い出してほしかったところだ』
「もっと早く言ってくれよ!」
『何度も申したわ!』
「そうでした!」
◇
翌朝。
「今日こそ仕上げるぞ!」
俺は気合十分で作業場へ向かった。
しかし、そこには険しい顔をしたアーグが待っていた。
「オタクミ。王宮から出発予定の確認が届いた」
「……え?」
「招待を受ける返答は済んでいる。だが、いつ出発できるのか、まだ伝えられていない」
「そ、そうだった!」
「馬車が完成するまで、いつまでも待っていただくわけにはいかないぞ」
俺は未完成の車体を見た。
片側には堂々たるミスティア様。
反対側には、まだ下絵が残っている。
背景も、装飾も途中だ。
「……あと少しなんだよ」
思わず呟いた。
「あと少しで、最高の痛馬車になるんだ」
アーグが腕を組む。
「その『あと少し』を昨日も聞いた」
「ぐっ!」
「一昨日もだ」
「ぐぐっ!」
「その前も――」
「もう分かったから!」
セラが呆れたように笑った。
「こだわるのはいいけど、出発できなくなったら意味ないでしょ」
「……そうだよな」
俺は大きく息を吐いた。
好きなものだから、妥協したくない。
でも、好きだからこそ、いつまでも完成させられないのも困る。
「……今日は残りの作業を整理する。仕上げる場所を決めて、間に合わない装飾は後回しにしよう」
アーグが頷いた。
「それなら手伝える。王宮への出発予定も、今日中に返答しよう」
「リアも無理しなくていいからな」
「はい!」
シエルが小さく首を傾げた。
「……完成したら、みんなで乗るの?」
「もちろん!」
俺は胸を張った。
「王宮への道中、ミスティア様と一緒に旅するんだ!」
「……楽しみ」
シエルが微笑む。
その笑顔を見て、俺も笑った。
「よし! じゃあ最後の仕上げを――」
そこで、車体の隅が目に入った。
「……ん?」
塗装の境目。
ほんのわずかに、線がずれている。
普通なら気にも留めない程度。
だけど。
「……アーグ」
「何だ」
「この線、ちょっとだけ直していい?」
沈黙。
「…………」
アーグのこめかみが、ぴくりと動いた。
「……お前」
「いや、本当にちょっとだけ!」
「昨日もそう言っていたな?」
「今度こそ!」
「何度目だ!?」
セラが頭を抱え、リアが苦笑いする。
シエルは、まだ半分しか完成していない痛馬車を見上げていた。
王宮へ向かうための馬車。
その馬車は、今日もまだ完成しない。
そして俺は、たった一本の線を前に、真剣に悩んでいた。
「……もう少し右かな」
「オタクミィィィ!!」
アーグの絶叫が、作業場に響き渡った。




