静かなる経済戦争の始まり
女王ロザリアがラザリスを去った翌朝。
カフェ『KIRABOSHI』の空気は、鉛のように重かった。
テーブルの上には、飲み干されることのないハーブティーが、湯気を失って静かに冷めていく。
「全高50メートルの、ミスティア様立像…」
オタクミが、うわごとのように呟く。
「そして、俺の痛武器…」
賭けてしまった。自分たちの魂と、一国の首都の景観を。
あまりに壮大で、あまりに馬鹿げた賭け。しかし、相手は本気だ。
プライス・カルテルの大幹部にして、一国の女王。彼女が、本気で自分たちを潰しに来る。
その現実が、一行の肩に重くのしかかっていた。
「…まあ、やるしかないわよね」
沈黙を破ったのは、セラだった。彼女はナイフの手入れをしながら、努めて冷静に言った。
「まずは、開店準備を進める。守りに入ったら、じり貧になるだけよ」
その言葉に、皆が頷きかけた、その時だった。
バタン!と、店のドアが乱暴に開かれた。
「大変だ!」
息を切らして駆け込んできたのは、仕入れ先との交渉に出ていたアーグだった。
彼のいつも冷静な顔が、焦りで歪んでいる。
「どうした、アーグ!」
「アストリアの商人ギルドから、大陸全土の取引先に通達が出された!
『オタクミ・ルミナス、及びその関係者との一切の取引を停止せよ』と!」
「なんだと!?」
「我々がアクスタの材料として使っていた高品質な水晶、リア殿のイラストに不可欠な特殊インク、カフェで使っていた希少な茶葉…その全てが、今朝から供給を完全に止められた! これは、我々の生産活動を根元から断ち切るための、完璧な兵糧攻めだ!」
アーグの報告に、一行は言葉を失う。
しかし、悪夢はそれだけでは終わらなかった。
入れ替わるように、今度はラザリスのギルドマスターが、申し訳なさそうな顔で店を訪れたのだ。
「…すまないね、あんたたち」
彼女は、深いため息をついた。
「アストリアは、ラザリスのギルドの、最大の債権者なんだ。女王陛下から、直々に…『要請』があったよ。あんたたちの活動への、一切の公的支援を停止しろ、ってね」
「そんな…!」リアが悲鳴のような声を上げる。
「アイドルライブで使う予定だった、あの劇場も、もう貸し出すことはできない。ギルドとして、あんたたちを正式にバックアップすることも、もう…」
供給を絶たれ、後ろ盾も失う。
まさに、八方塞がり。
さらに追い打ちをかけるように、市場の様子を見てきたリアとシエルが、青ざめた顔で帰ってきた。
「先生…! 広場で、アストリアから来たっていう、吟遊詩人たちが…」
「私たちのカフェや、グッズのことを…」シエルが、震える声で続ける。
「『子供だましの、低俗な見世物』だって…」
リアが、悔しそうに付け加える。
「街の人たちも…何人か、頷いて聞いていました…。『やっぱりそうかも』って…私たちのやってること、おかしいのかなって、言い始めてる人も…」
シエルの耳には、まだその旋律が残っていた。
――「高貴な芸術こそ 真なる糧」「低俗な戯れは 心を腐らせる」
甘美で、誰もが口ずさみたくなる旋律。だからこそ、余計に苦しかった。
物資の供給停止。
政治的な圧力。
そして、大衆の心を蝕む、巧妙なプロパガンダ。
女王ロザリアの攻撃は、オタクミたちが想像していたよりも、遥かに速く、的確で、そして、容赦がなかった。
その証拠に――カフェの前を通った常連の老婆が、立ち止まり、小さく呟いた。
「…いい子たちだとは思うけどねえ。やっぱり、本物の芸術には敵わないのかねえ…」
彼女は気まずそうに目を逸らし、そのまま去っていった。
ラザリスに根付き始めた小さな秋葉原は、たった一日で、完全に包囲され、根ごと引き抜かれようとしていた。
カフェの中は、再び重い沈黙に包まれた。
今度は、誰もが、その絶望的な状況を、はっきりと理解していた。
オタクミは、希望を失いかけた仲間たちの顔を見渡し、怒りで奥歯をギリ、と噛みしめた。
(…これが、推し活を潰す“現実”か…
ふざけんな。俺はまだ――負けてねえ…!)




