剥がれ落ちる仮面
謁見の間の空気は、女王ロザリアの一言で完全に凍りついた。
「――この芸術が、スライムの体液という、ほぼ無価値な素材から生み出されているという事実が、何よりも素晴らしい!」
オタクミの心臓が、ドクンと嫌な音を立てる。
(違う…この人は、同志なんかじゃ…ない…!)
ロザリアは、うっとりとした表情を崩さぬまま、冷徹な商人の声を続けた。
「この感情価値…素晴らしいですわ。大量生産も容易でしょうし、なにより、原価がほぼゼロというのがいい。ええ、実に、利益率が高い!」
彼女はオタクミに向き直り、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて、しかし有無を言わせぬ響きで告げる。
「わたくしが、あなたたちのパトロンとなりましょう。最高の工房と、無限の資金を与えます。その代わり、この『アクリルスタンド』に関する全ての権利を、このわたくし個人に譲渡しなさい。誰に、いくらで、いくつ売るか。その価値の全てを、わたくしが決めます」
それは提案ではなく、支配の宣告だった。
同志だと信じた女王の姿が、音を立てて崩れていく。
代わりに立ち上がったのは、怒りの炎だった。
「ふざけるなッ!!」
オタクミの絶叫が謁見の間を震わせる。
「『尊み』は、誰かに独占されるものじゃない! みんなで分かち合い、育てていくものだ! あんたのやり方は、俺たちが最も憎む転売魔と同じだ!」
その言葉に、ロザリアの優雅な笑みがすっと消えた。
いや、違う。消えたのではない。獲物を弄ぶ捕食者の笑みへと変わったのだ。
「転売魔、ですって? ふふ、面白いことを言いますのね」
彼女は、楽しげにクスクスと笑う。
「ええ、その通りですわ。わたくしこそが、あのプライス・カルテルの後援者であり、最高幹部の一人なのですから!」
その衝撃に、リアとシエルが息を呑む。
ロザリアは、世間話でもするかのように続けた。
「先日あなたたちに敗れたという、愚かなジルバという男…彼の上司も、このわたくしですのよ。彼の報告書は読みましたわ。随分と、面白い戦い方をするようですわね、あなた」
侮蔑を込めた視線がアーグに注がれる。
「アーグ・ビルダネス。あなたも、かつては『価値』の本質を理解していたはず。希少性こそが価値を生み、独占こそが利益を最大化する。その理念を忘れ、子供のままごとに付き合うとは…落ちぶれたものですわね」
全てが偽りだった。
彼女は同志などではない。転売魔たちの頂点に立つ、最強最悪の敵だったのだ。
ロザリアの視線が、オタクミの背にある異形の剣――痛武器へと移る。
「…そして、それ」
その瞳が、初めて妖しく輝いた。
「推しへの『愛』が武器の形を成す…? 下品で、野蛮で、抗いがたいほど独創的。ええ、素晴らしいですわ」
彼女は一歩近づき、愉悦を込めて囁く。
「気に入りました。賭けの対象に加えましょう」
「…なに?」
「わたくしたちの『市場』での戦い、もしわたくしが勝ったら――その痛武器もよこしなさい。世界に一つだけの究極の限定グッズとして、わたくしのコレクションに加えてあげます」
死よりも重い侮辱。だがオタクミは、恐怖を越え、鋼鉄のような闘志に変えた。
彼は笑った。
「面白い。いいだろう、その賭け、乗ってやる」
「ほう?」
「だが、賭けってのは対等じゃなきゃ面白くない。俺がアンタに魂を賭けるなら、アンタも、アンタの魂を賭けてもらうぜ」
オタクミは、女王を真っ直ぐに見据え、高らかに宣言した。
「もし俺たちが勝ったら――民衆の文化がアンタの独占思想に勝ったら! アンタは国家予算を使い、王都の中央広場に、全高50メートルの魔法戦姫ミスティア・ルミナスの巨大立像を建立しろ!」
「…………は?」
初めて、ロザリアの表情が凍りつく。
仲間たちに衝撃が走る。
「ご、50メートル…!?」リアは小声で呟き、目を輝かせた。
「……正気じゃないわ」セラは天を仰ぎ手で顔を覆った。
「全高50メートルの立像…」アーグは計算を始める。「莫大な損失、しかし唯一無二の観光資源…。馬鹿げている。だが…戦略として、あり、なのか…!?」
「(なんかすごそう……」シエルだけはよくわかっていなかった。
『いやデカすぎるだろ! ちょっと待て!』ゴルドスのツッコむ。
オタクミは構わず続ける。
「王国民を総動員し、経済も回す! そして台座には黄金のプレートでこう刻め!――『尊みは、世界を救う』と!」
ロザリアは絶句したが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「ふふ、あはははは! 巨大な像ですって!? 子供じみた、愚かな発想! 面白い! 実に面白いですわ!」
そして涙を拭い、鋭い視線を向ける。
「いいでしょう。その馬鹿げた賭け、受け入れますわ」
合図と共に近衛騎士たちが一斉に剣の柄へと手をかける。空気は一触即発。
「わたくしの『芸術の奴隷』となるか、それとも文化ごと踏み潰されるか。選びなさい」
最後通牒。
オタクミは恐怖を超え、痛武器の柄を固く握りしめた。
「俺たちの魂と、『尊み』は…!」
そして叫ぶ。
「絶対に、売り渡さない!!!!!」
ロザリアは楽しげにため息を吐く。
「そうですか。残念ですわ」
彼女は踵を返し、背中越しに言い放つ。
「ならば、市場で決着をつけましょう!」
武力ではなく、経済と権力による、ラザリス秋葉原化計画そのものへの全面的な「宣戦告」。
賭けられたのは、オタクミの魂と、一国の首都の景観。
かつてないほど壮大で、そして、あまりにも馬鹿げた文化戦争の火蓋が――今、切って落とされた。




