始まりのレッスン
森からラザリスへの帰り道。
「……もう一歩も動けん」
オタクミが道の真ん中で膝をついた。
「さっきから何回目よ、それ」
「違うんだセラ。これはただの疲労じゃない。巨大ロボを動かした主人公が、最終決戦のあとに迎える尊い脱力シーンなんだ」
「まだ帰り道なんだけど」
「エンディングテーマを流してくれ……」
「自分で歩きなさい」
セラは容赦なく言い放った。
巨大ゴーレムを動かすために尊輝を使い果たしたオタクミは、すっかり足取りが重くなっていた。途中で何度も《タクミ・ブレイザー》を抜いてはミスティアを拝み、回復を試みている。
だが、どうにも追いつかないらしい。
「ミスティア様……今日もお美しい……。でも今は、見るだけじゃなくて抱き枕になってほしい……」
『神器を抱き枕にするでない』
「じゃあゴルドスが背負ってくれ」
『拙者は鞘ぞ!?』
「役に立たんなぁ!」
『無茶を申すな!』
そんなやり取りを聞きながら、リアが小さく笑った。
「でも先生、あのゴーレムはすごかったですね!」
「だろ!? あれは男のロマンの結晶だ!」
「岩の塊だったけどね」
「セラ! ロマンに素材の話を持ち込むな!」
アーグが呆れたように首を振る。
「それにしても、あれだけ尊輝を消費するとはな。戦うたびに倒れられては困るぞ」
「安心しろ。次からはもっと燃費のいいロボを目指す!」
『そもそも次も出せるとは限らぬぞ』
「夢のないこと言うなよ!」
オタクミの叫びに、また笑い声が上がる。
その少し後ろを、シエルが歩いていた。
肩にはぴーちゃんが乗っている。小鳥は時折短く鳴き、シエルの顔を覗き込んでいた。
「……ぴーちゃん」
「ぴっ」
「さっきの歌……どうだったかな」
返事の代わりに、ぴーちゃんが首を傾げる。
シエルは森の方を振り返った。
親獣が子どもを連れて去っていった姿が、まだ目に残っている。
自分の歌を聞いていたのだろうか。
それとも、ただ子どもが無事だったから、襲わずに帰っていったのだろうか。
答えは分からない。
けれど、歌っている間、シエルは確かに親獣を見ていた。
怖がっていることも、子どもを心配していることも、全部分かったわけではない。
それでも、見ていた。
「シエル?」
隣に並んだリアが声をかける。
「どうしました?」
「……あのね」
「はい」
「私、今まで……歌えば伝わると思ってた」
リアは黙って続きを待った。
「ちゃんと歌えば、きれいに歌えば……きっと誰かに届くんだって。でも、そうじゃないこともあるんだね」
「……そうですね」
「それなのに、今日の歌は……少し楽しかった」
シエルが不思議そうに自分の胸へ手を当てる。
「怖かったのに。ちゃんと届いたかも分からないのに」
リアはしばらく考えてから、笑った。
「私も、絵を描いていて似たようなことがあります」
「絵?」
「はい。自分ではうまく描けたと思ったのに、先生が全然違うところを褒めてくれたり。逆に、私が大事だと思ったところに気づいてもらえなかったり」
「……そうなんだ」
「でも、だから次はどう描こうかなって考えるんです」
シエルが目を瞬かせた。
「次……」
「はい!」
リアは嬉しそうに頷いた。
「一回で全部伝わらなくても、また描けますから」
シエルはその言葉を、ゆっくり胸の中で繰り返した。
また、歌える。
そう思うと、少しだけ足取りが軽くなった。
◇
ラザリスへ戻る頃には、日も傾き始めていた。
カフェ『KIRABOSHI』の扉を開けると、温かな料理の香りが一行を迎えた。
「お帰りなさい!」
エルマが笑顔で振り返る。
「みなさん、お疲れさまでした。あら、オタクミさん?」
「……エルマさん」
「はい?」
「俺に……糖分を……」
「えっ!?」
「尊輝は空っぽ! 体力も限界! 今の俺に必要なのは、推しと甘味と休息だぁ……!」
オタクミは近くの椅子へ崩れ落ちた。
「最後までうるさいわね」
セラが呆れながら向かいの席に座る。
エルマは事情を聞いて目を丸くしたが、すぐに笑顔を取り戻した。
「それなら、今日はたくさん食べていってくださいね!」
「女神だ……!」
『拙者の前で軽々しく神を増やすな』
ほどなくして、テーブルには温かな料理が並んだ。
香ばしく焼かれたパン。野菜のたっぷり入ったスープ。柔らかく煮込まれた肉料理。
オタクミは目を輝かせた。
「うおおお! これだよこれ! 戦闘後の飯イベント!」
「食べる前に叫ばないで」
「セラには分からんのか!? 死闘を終えた仲間たちが囲む食卓! これもまた物語の醍醐味!」
「分かったから冷める前に食べなさい」
「いただきまぁぁぁす!」
騒がしい食事が始まった。
アーグは倒木の重さについてリアと話し、セラは親獣が最後まで襲ってこなかったことに安堵していた。
シエルはその会話を聞きながら、静かにスープを飲んでいた。
すると、オタクミがこちらを見る。
「そうだ、シエル」
「……なに?」
「今日の歌、よかったぞ!」
シエルの手が止まった。
「……本当?」
「もちろん! あのタイミングで歌が入るとか最高すぎた! 巨大ロボ! 怪獣! 仲間の歌! あれはもう劇場版クライマックスだ!」
「先生、そればっかりですね」
リアが笑う。
「だって最高だったんだもん! ……いや、それだけじゃないぞ」
オタクミは勢いよく答えたあと、シエルへ向き直った。
「俺が一番嬉しかったのは、シエルが自分で歌うって決めたことだ」
シエルが顔を上げる。
「俺が歌えって命令したわけじゃない。あの親獣をどうにかしたくて、お前が自分で歌ったんだろ?」
「……うん」
「だったら、まずはそこが大事なんじゃないか?」
シエルは黙って考えた。
「……でも、私の歌が届いたかは分からない」
「おう」
「本当に、あの子を安心させられたかも……」
「うん」
オタクミは頷いた。
「じゃあ、これから確かめていけばいいだろ」
「……これから?」
「そうだ! 歌うのは今日で終わりじゃないんだからな!」
その言葉に、シエルは少し驚いた顔をした。
今まで、歌はただ歌うものだった。
上手に歌う。
きれいに歌う。
聞いてもらう。
けれど、誰かが何を感じたのか、どうしてそう感じたのか。そこまで考えたことは、あまりなかった。
「……私、もっと知りたい」
小さな声だったが、テーブルの仲間たちには届いた。
「歌うことも……聞いてくれる人のことも」
リアが嬉しそうに微笑む。
「いいですね!」
「そうね」
セラも頷いた。
「歌が上手なのは分かってるけど、シエル自身が何を歌いたいのかも大事だもんね」
「……セラ」
「何?」
「私……まだ、うまく説明できないと思う」
「別に今すぐ全部説明しなくていいでしょ」
セラはスープをひと口飲んでから、続けた。
「分からないなら、一緒に考えればいいじゃない」
シエルは目を丸くした。
それから、ゆっくり微笑んだ。
「……うん」
その様子を見ていたオタクミが、突然立ち上がった。
「決めたぁぁぁ!!」
「今度は何!?」
「シエル! レッスンだ!」
「……レッスン?」
「そう! 歌って、試して、考えて、また歌う! これぞアイドル育成の王道!」
「今いい話だったのに、また変な方向へ持っていこうとしてる!」
「変じゃない! アイドルは一日にして成らずだ!」
『お主の場合、まず本人が何を望んでおるか聞くべきではないか?』
「……あ」
オタクミが固まった。
セラが冷たい視線を向ける。
「ほらね」
「いや、待て! ちゃんと聞く! シエル!」
「……はい」
「レッスン、やってみたいか?」
シエルは少し考えた。
知らないことが、たくさんある。
自分の歌についても、誰かに聞いてもらうことについても。
だから。
「……やってみたい」
その返事を聞いた瞬間、オタクミは両手を突き上げた。
「よっしゃあああ! アイドル育成編、本格始動ぉぉぉ!!」
「だから、あんたが一番楽しんでるでしょ!」
「当然だろ! 仲間が自分で歌いたいって言ってるんだぞ! 応援するに決まってるだろ!」
セラの突っ込みとオタクミの叫び声が、店内に響いた。
エルマはそんな一行を見ながら、楽しそうに笑っていた。
◇
数日後。
ラザリスの地下レッスンスタジオには、シエルとセラの姿があった。
オタクミとリアも様子を見に来ている。
「さあ! 記念すべき第一回レッスンだ!」
オタクミが腕を組み、満足そうに頷く。
「まずは発声練習! そしてリズム! 表現力! 最後は俺の考えた最強のアイドルソングを――」
「先生」
「はい」
「今日はシエルの歌を聞くところから始めませんか?」
リアの提案に、オタクミが止まった。
「……なるほど」
セラが腕を組む。
「それに、教えるって言っても、シエルはもう十分歌えるじゃない。何を習うの?」
「確かに!」
「あんたが決めたんでしょうが!」
オタクミは腕を組み直し、真剣な顔で考え始めた。
「……よし。じゃあ、まずはシエルに聞こう」
シエルが顔を上げる。
「シエル。お前は、どんな歌を歌いたい?」
「……どんな歌」
「そう。上手いとか下手とかじゃなくて、お前が歌いたい歌だ」
シエルはすぐには答えられなかった。
歌いたい。
それは確かだ。
けれど、どんな歌を歌いたいのか。
何を伝えたいのか。
誰に聞いてほしいのか。
考えてみると、まだ分からないことばかりだった。
「……分からない」
シエルは正直に答えた。
「でも……この前、森で歌った時みたいに……誰かを見て歌いたい」
オタクミは黙って頷いた。
「怖がっている人がいたら……その人が怖いって思ってることを、ちゃんと見たい」
「うん」
「楽しい人がいたら……何が楽しいのか、知りたい」
シエルは自分の胸に手を当てた。
「その人が何を思ってるか、全部は分からないけど……」
少しだけ笑う。
「私も、何かを感じながら歌いたい」
スタジオに静けさが落ちた。
最初に口を開いたのはセラだった。
「……じゃあさ」
「……?」
「私にも教えてくれない?」
シエルが驚いて顔を上げる。
「……セラに?」
「そう。私、歌なんてちゃんと習ったことないし」
セラは少し照れくさそうに視線を逸らした。
「それに、森で親獣が飛びかかってきそうになった時、私にはあの子を止めることしか考えられなかった」
「……うん」
「でもシエルは違ったでしょ。怖がってるあの子を見て、それでも歌おうとした」
セラはシエルへ視線を戻した。
「私には、あんな状況で歌おうなんて思えなかった。だから、シエルが何を考えてたのか、ちょっと知りたいのよ」
「……私が、教えるの?」
「嫌?」
「ううん!」
シエルは慌てて首を振った。
「でも……私もまだ、分からないことがいっぱいある」
「だったら、一緒に試せばいいじゃない」
セラは笑った。
「最初から全部知ってる先生じゃなくても、別にいいでしょ?」
シエルは、その言葉を聞いてしばらく考えた。
誰かに歌を教える。
今まで、自分がそんなことをするとは思っていなかった。
歌の答えを知っているわけでもない。
けれど、誰かと一緒に声を出して、聞いて、考えることならできるかもしれない。
「……うん」
シエルが頷く。
「一緒に、やってみよう」
セラが微笑んだ。
「よろしくね、シエル先生」
「……先生?」
シエルが目を丸くする。
その瞬間。
「尊いぃぃぃぃ!!」
オタクミが叫んだ。
「シエル先生! セラ生徒! これはもう師弟ユニット結成じゃないか! リア先生もいるし、うちの事務所、先生だらけだぞ!」
「勝手に事務所にしないで!」
「いや待て! 先生同士でユニットを組む可能性もある! 教師系アイドル! これは新しい!」
「もう黙って見てなさい!」
セラが怒鳴る。
リアは笑いながら、オタクミの袖を引いた。
「先生、二人の邪魔になっちゃいますよ」
「……む」
オタクミは口を閉じた。
シエルとセラが、スタジオの中央に並んでいる。
「じゃあ、何から始める?」
セラが尋ねた。
シエルは少し考えてから答えた。
「……まず、声を出してみようか」
「声?」
「うん。うまく歌おうとしなくていいから……どんな声が出るか、聞いてみたい」
「分かった」
セラは息を吸った。
「あー……」
少し不安定な声が、スタジオに響く。
セラが眉をひそめた。
「……何か変じゃない?」
「……ううん」
シエルは首を横に振る。
「セラの声だよ」
「そりゃそうでしょ」
「……うん」
シエルは小さく笑った。
「だから、まずはそこからでいいと思う」
セラは一瞬きょとんとして、それから笑った。
「何よ、それ」
「……私も、まだ考えてるところ」
「先生も勉強中ってわけね」
「……うん」
二人は顔を見合わせて、笑った。
その横で、ぴーちゃんが楽しそうに鳴く。
「ぴっ、ぴぴっ!」
「おお! ぴーちゃんも参加するのか!」
オタクミが目を輝かせる。
「これは三人ユニットか!? いや、一羽混ざってるから二人と一羽!? ユニット名はどうする!?」
「先生!」
「はい、静かにします!」
リアに叱られ、オタクミは慌てて口を押さえた。
スタジオには、再びセラの声が響き始める。
今度はシエルも一緒に声を出した。
二つの声は、まだ揃っていない。音程も、息を吸うタイミングも違う。
セラが途中で声を止めると、シエルも止まった。
「……今、私の方が早かった?」
「……うん、少しだけ」
「じゃあ、もう一回」
「うん」
二人はもう一度、息を吸った。
今度は、さっきより少しだけ長く声が重なった。
シエルは隣を見る。
セラもまた、シエルを見て笑っていた。
その笑顔を見て、シエルも笑う。
そして二人は、もう一度声を合わせた。
ラザリスの小さな地下スタジオで、最初のレッスンが始まった。




