終わらないこだわり
『ルミナス通信』の創刊から数日後。
カフェ『KIRABOSHI』は、新たな客層を獲得し、これまでにない賑わいを見せていた。
新聞を片手に、ミスティアの魅力について語り合う者。
次の4コマ漫画はまだかと話す子供たち。
オタクミたちが蒔いた文化の種は、確かに芽吹き始めていた。
そんな平穏な昼下がり。
カラン、と店のドアが、場違いなほど厳かに開かれた。
入ってきたのは、白銀の鎧に身を包み、腰に長剣を佩いた、アストリア王国の王宮騎士だった。
カフェの和やかな空気が、一瞬で緊張に包まれる。
騎士は、店内にいたオタクミの姿を認めると、まっすぐに進み出て、恭しく片膝をついた。
「『ラザリスの創造主』、オタクミ・ルミナス殿とお見受けいたします」
「へ? あ、はい」(創造主!?)
「我が主、芸術の王国アストリア女王、ロザリア陛下より、貴殿らに親書を預かって参りました。……ちなみに昨夜も陛下は、貴殿らの新聞を枕元に置かれ、二人の騎士の記事を読み返しては頬を染めておられました」
「え、ちょっ、それ今言う必要ある!?」
騎士が差し出したのは、アストリア王家の紋章で蝋封された、一通の豪華な招待状だった。
オタクミは、ゴクリと唾を飲み込み、その封を切った。
その内容は、表向きは極めて丁寧なものだった。
「――貴殿らが製作しているという、新規の水晶芸術品に大変興味がある。つきましては、一度王宮へお越しいただき、その素晴らしき技術と芸術を、わたくしに披露してはいただけないだろうか」
「ほう、女王陛下自らとは。これは大きなビジネスチャンスやもしれんな」
アーグが目を細める。セラも、その手紙の裏に何かあるのではないかと、警戒を解かない。
しかし、オタクミが注目したのは、手紙の最後に、女王本人の流麗な筆跡で添えられた、小さな追伸だった。
「追伸:先日、貴殿らが発行した『ルミナス通信』も拝見しました。特に、挿絵に描かれていた二人の男性騎士の関係性には、大変な『可能性』を感じております。その点についても、ぜひ、夜通し語り合いたく…」
「…………?」
オタクミの脳内には、はてなマークが浮かんだ。
(……あれ? 俺、騎士の記事には資料用の立ち絵を入れたはずだよな?)
彼が確認したはずの版下には、淡々とした設定資料用の図版しかなかった。
だが、実際に新聞に載っていたのは――
背中を預け合い、視線を絡ませる二人の騎士の姿。
指先が触れそうで触れない、妙に熱量の高い構図。
どう見ても「ただの資料絵」ではなかった。
それは、リアが密かにスケッチブックに描きためていた“自作の一枚”が、校了間際の混乱の中で紛れ込んでいたものだった。
リアは今、その追伸を読み上げるオタクミを見ながら、真っ青になっていた。
「(やばいやばいやばい……! まさか載ってるなんて……!)」
セラはそんな彼女を横目で見て、口の端を吊り上げる。
「……ふふ、なるほど。あんたも隠してたのね」
「ち、ちがっ……! あれは資料! 純粋な資料だからっ!」
「ふぅん?」
ゴルドスは気づいていない様子で、例のごとく実況する。
『むぅ! 女王陛下が感じ取った“可能性”……! これぞ創生エネルギーの飛び火でござるな!』
オタクミはまだ、自分の知らぬ「誰かの一枚」が新聞に紛れ込んでいたことを、まったく理解していなかった。
そして、一行はアストリアへ向かうことを即決した。
⸻
「というわけで、早速出発だ!」
オタクミが意気込むが、まずは移動手段の確保が必要だ。
アーグが馬車ギルドで手配したのは、長旅にも耐えうる、実用的で頑丈だが、飾り気のない普通の大型馬車だった。
それを見たオタクミは、「これではダメだ!」と絶叫した。
「我々はもはや、ただの冒険者ではない! ラザリスの文化を背負って立つ『文化特使』なのだ! この地味な馬車は、我々の顔に泥を塗るも同然! 我々が乗るべきは、走る広告塔! 動く芸術品!――その名も、『痛馬車輝号』だ!」
彼は、どこから取り出したのか、馬車全体にミスティアの巨大なイラストを貼り付け、車輪に魔法のLEDを仕込み、屋根にスピーカーを設置するという、狂気の設計図を広げた。
仲間たちは、その設計図を見て、顔を引きつらせる。
「正気? こんな派手な馬車、国中の盗賊に『獲ってください』って宣伝して回るようなものよ」
「ビジネス的な観点から言えば、資産価値の著しい低下を招く。言語道断だ」
「わ、私は…荷台でいいです…」
セラ、アーグ、シエルから、当然のように猛反対の声が上がる。
しかし、オタクミは怯まない。
「お前たちは分かっていない! これこそが、最強の防犯対策だ! 盗賊どもも、この圧倒的な『尊み』のオーラの前に、戦意を喪失するに違いない! これは『文化的防衛結界』なのだ!」
その常人には理解不能な情熱と勢いの前に、仲間たちは「…もう、好きにして…」と、根負けするしかなかった。
⸻
だが、それが悪夢の始まりだった。
オタクミの「推しへのこだわり」は、常軌を逸していたのだ。
馬車工房を借り切っての改造が始まったが、その進捗は絶望的なまでに遅々としていた。
【改造初日:塗装編】
「違う! このピンクはミスティア様の公式イメージカラーより彩度が2%高い! もっとこう、儚げな感じの色合いを再現して欲しい! やり直してくれ!」
オタクミは、塗装職人を相手に数日間に及ぶ色調論争を繰り広げた。
彼は、持参した限定グッズのパッケージと、馬車の車体を何度も見比べ、その微細な色の違いを決して許さなかった。
【改造一週間後:作画編】
リアが、身を削る思いで、馬車の側面に巨大なミスティアのイラストを描き上げた。
それは、誰が見ても完璧な、神がかった出来栄えだった。
「リア、これは神の御業だ…!」
オタクミは涙ぐみながら、虫眼鏡を取り出して絵をチェックし始める。
「引き続き、もう側面も描いてくれ!」
リアは、「もう側面にもっ!!?鬼…悪魔…!!」と呟きながら、泣きながら筆を握り直した。
その横で、アーグは「この車体、重すぎて馬が持たんぞ」と頭を抱え、
セラは「こんな馬車じゃ、隠密行動どころか遠くから丸見えよ…」とため息をつき、
シエルは「…せめて…終わりが見えれば…」と机に突っ伏していた。
一週間が過ぎても、痛馬車はまだ下地と主線の状態だった。
工房の隅では、仲間たちの魂が、少しずつ削り取られていく。
オタクミだけが、狂気に満ちた瞳で、設計図の第二段階――魔導LEDと音響設備の項目を、うっとりと眺めている。
彼らの旅が、始まる気配は、まだどこにもなかった。




