“魂の教え方”はどこにある?
翌朝。
一行が朝食を終えたあとも、オタクミだけは妙に落ち着きがなかった。
座っては立ち、立ってはまた座る。そのたびにセラが鬱陶しそうな目を向けるのだが、本人はまるで気づいていない。
「……昨日の歌」
とうとうオタクミが言った。
シエルの手が止まる。
「昨日?」
「俺たちが帰ってきた時の」
シエルは一瞬だけ考えて、それから目を逸らした。
「……聞いてたの?」
「事故です!」
「何が?」
「聞こうと思って盗み聞きしたわけじゃなくて、帰ってきたら聞こえてきたという不可抗力でありまして!」
「必死ね」
セラが呆れる。
リアはシエルの様子を見ながら、穏やかに言った。
「ごめんなさい。勝手に聞いてしまって。でも……すごく、あったかい歌でした」
「……あったかい?」
「はい。湖で聞いた時とは、少し違って聞こえたんです」
シエルはますます分からないという顔になる。
オタクミが身を乗り出した。
「そう、それ! 俺も思った! 昨日の歌、なんか違ったんだよ!」
「……同じように歌っただけだけど」
「そこなんだよ!」
「どこ?」
「分からん!」
「分からないのに大声出さないで」
セラの言葉に、オタクミがぐっと黙る。
アーグは少し離れたところで飲み物を口にしながら、一連のやり取りを見ていた。
「本人に聞けばいいだろう」
「聞いてる!」
「では質問が悪い」
「ぐっ」
正論だった。
オタクミは少し考えてから、改めてシエルを見る。
「昨日の歌さ。どうやって歌った?」
「……どうやって?」
「こう、声を出す時に何考えたとか。何を意識したとか」
シエルは黙った。
しばらく真剣に考えている。
「……帰ってくるかなって」
「うん」
「みんな」
「うん」
「それで……帰ってきたらいいなって思ってた」
オタクミたちが静かになる。
「あと、あったかかった」
「それは聞こえた」
「だから、歌った」
オタクミが首を傾げる。
「それだけ?」
「……それだけ」
答えはあまりにも単純だった。
歌い方の技術でもなければ、特別な呼吸法でもない。ただ、その時に感じたことが、そのまま歌になった。
「じゃあ」
セラが立ち上がった。
「私がやってみれば?」
「セラ?」
「同じように歌ってみて、何が違うのか見ればいいでしょ。考えてるだけじゃ分からないし」
現物と現場を見る。
いつものセラらしい結論だった。
「おお……!」
「何、その顔」
「なんか急に実験っぽくなってきた!」
「喜ぶところそこ?」
シエルは少し戸惑ったものの、セラに頼まれると断らなかった。
「……じゃあ、一回だけ」
「お願い」
二人が向かい合う。
ぴーちゃんはシエルの肩の上で、興味深そうに首を傾げていた。
シエルが息を吸う。
「……あー……」
たった一音。
長くもない。大きくもない。
けれど、その声が部屋へ広がると、リアがわずかに目を見開いた。
続いてセラが同じように息を吸う。
「……あー……」
高さも、長さも、ほとんど同じだった。
声質が違うのは当然として、それだけではない。
「……違う」
リアがぽつりと言った。
セラも眉を寄せる。
「私もそう思う」
「何が?」
シエルだけが分かっていなかった。
「シエルちゃんの方は……何か、奥にある感じがします」
「奥?」
「うまく言えないんですけど」
リアは自分の胸元へ手を置いた。
「声だけじゃなくて、その前に何かがあるような」
シエルは困ったようにセラを見る。
セラも腕を組んだ。
「で、それをどうやるの?」
「……え?」
「今の。私も同じようにしたい」
「同じように……」
シエルが固まる。
「まず、息を吸って」
「それはやった」
「声を出して」
「それもやった」
「……胸が」
「胸が?」
「ぎゅってなる感じを……」
「ぎゅって?」
「……ぎゅって」
「だから、その“ぎゅって”をどうするのよ」
「……分からない」
シエルの声が小さくなった。
セラは責めるつもりなどなかったのだろう。けれど、質問するほどシエルの表情は困っていく。
「昨日は?」
「昨日は……勝手に」
「勝手に?」
「歌ったら、そうなった」
「再現できないじゃない」
「……ごめん」
「いや、謝らなくていいけど」
セラも困る。
教える側も、教わる側も、どちらも悪くない。
それなのに、うまく噛み合わない。
「難しいですね」
リアがぽつりと言った。
オタクミが振り返る。
「リア?」
「絵と少し似てるかもしれません」
「絵?」
「はい」
リアは少し考えながら言葉を選ぶ。
「線の引き方は教えられます。色の混ぜ方も、道具の使い方も。でも……何を描きたいかまでは、その人の中にあるものだから」
「……」
「私が同じ線を真似しても、その人が何を見ていたかまで同じにはならないと思います」
オタクミが黙った。
リアの言葉は、歌の話をしているのに、そのまま別の何かへも届いている気がした。
技術。
形。
やり方。
そういうものは教えられる。
けれど、その人が何を見て、何を感じて、なぜそれを表したいと思ったのか。
そこまで同じものを渡すことはできない。
「……じゃあ」
オタクミが腕を組む。
「魂か」
「急に雑な言葉にまとめたわね」
セラが言う。
「いやでも、そういうことだろ! 技術じゃない何か! 本人の中から出てくるやつ!」
「魂って呼べば分かった気になってない?」
「なってない! むしろ何も分からなくなった!」
「威張るな」
アーグが静かに口を挟む。
「だが、本人にしかないものがあるという点は間違っていないだろうな」
「だよな!」
「ただし、それが他人へ届くかどうかは別問題だ」
オタクミの勢いが止まった。
「……別?」
「本人が強く感じていれば、必ず同じように他人へ伝わるのか?」
「それは……」
「受け取る側にも違いがある」
アーグは淡々と言う。
「同じ歌を聞いても、リアとセラと俺とお前では感じるものが違うだろう」
「確かに」
リアが頷く。
シエルは黙って聞いていた。
オタクミは頭を抱えた。
「待て待て待て。じゃあ、本人の気持ちがあって、それを声にして、さらに相手がどう受け取るかまで別ってこと?」
「そういうことになるな」
「難易度高すぎない!?」
『今さら気づいたのか』
「ゴルドスまで!」
空気が少し重くなりかける。
シエルは自分の手を見つめていた。
「……私、教えられないのかな」
その声に、オタクミが振り向く。
「いや!」
勢いよく否定したあと、少し考える。
「……いや、分からん!」
「どっち」
「分からないけど、今の時点で“教えられない”って決める必要もないだろ」
シエルが顔を上げる。
「シエル自身が、自分の歌のこと分かってないんだから」
「……うん」
「だったら、まずそこからじゃない?」
シエルは何かを言おうとして、やめた。
考えている。
その沈黙を吹き飛ばすように、オタクミが突然立ち上がった。
「よし!」
「嫌な予感」
「ここで俺が、魂とは何かを体で示してやろう!」
「もっと嫌な予感になった」
「リア! 見てろ!」
「はい?」
「セラ! 感じろ!」
「何を?」
「アーグ! 記録しろ!」
「断る」
オタクミは返事を待たず、両手を広げた。
そして踊った。
右へ一歩。
なぜか肩だけ二回動く。
腰をひねる。
戻る。
腕を振り上げたまま、妙に長い間止まる。
次の瞬間、足だけが細かく動き出した。
「……」
「……」
「……」
誰も声を出さない。
本人だけは真剣だった。
「ここで! 魂を!」
不自然に体を反らす。
「解放!」
決めポーズ。
静寂。
ぴーちゃんが一声鳴いた。
「変」
最初に吹き出したのはセラだった。
「ちょ、待って……何それ……!」
リアも耐えきれず口元を押さえる。
「先生、その動き……っ」
「なんだ!? 何がおかしい!?」
「全部!」
「そんな!」
シエルも最初は呆然としていた。
けれど、リアとセラにつられるように、少しずつ口元が緩んでいく。
「……ふふ」
やがて、小さな笑い声がこぼれた。
オタクミは決めポーズのまま固まる。
「……あれ?」
「何よ」
「俺、笑わせようとして踊ったんじゃないんだけど」
セラが笑ったまま言う。
「でしょうね」
「俺は格好よく魂を表現しようと……」
「全然違うものが届きましたね」
リアが目尻を拭いながら答える。
「……待て」
オタクミがゆっくり姿勢を戻す。
「本人が込めたものと、相手が受け取ったものも……違う?」
「今、自分で実証したわね」
「そんな実証いらなかった!」
また笑いが起きる。
シエルも笑っていた。
その姿を見て、オタクミはしばらく黙った。
技術だけではない。
気持ちだけでもない。
込めたものが、そのまま同じ形で届くとも限らない。
それでも、人は歌ったり、描いたり、踊ったりする。
「……分からんな」
オタクミが呟いた。
「何が?」
シエルが聞く。
「魂の教え方」
シエルは少し考えてから、自分の胸へ手を置いた。
「……私も」
「ん?」
「私も、知りたい」
その言葉に、オタクミは笑った。
「よし」
今度は大声を出さなかった。
「じゃあ、一緒に探すか」
答えはまだない。
けれど、教える側と教わる側を決めるより先に、分からないものを一緒に確かめるところから始めればいい。
シエルは小さく頷いた。
ぴーちゃんも、その肩の上で、
「一緒に探す」
と真似した。
「お前はほんと覚えるとこ選ばないな!」
静かだった部屋に、また笑い声が広がった。




