始まりのレッスン
戦いを終えて、ルミナスゴーレムがゆっくりと崩れ落ちていく。
操縦席から投げ出されたオタクミは、その場にへたり込み、顔を両手で覆った。
「……ぐぅっ……うぅぅ……! 推しが……推しの力で世界を救ってくれたんだ……尊すぎて……涙が止まらん……!」
ゴーレムの残骸の中で、胸部に突き刺さった痛剣が最後にきらりと光を放つ。
まるで「ありがとう」と囁くように。
オタクミは鼻水を垂らしながら剣に縋りつき、子どものように号泣した。
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夕暮れの黄金色の光が、『嘆きの森』の木々を長く、穏やかに照らし出していた。
その道を、ラザリスに向かって歩く、疲労困憊の一団がいた。
「腰が…俺の腰が…! 巨大ゴーレムの操縦、ライブで一日中立ちっぱなしでいるより腰に来るぞ…!」
オタクミは、プロデューサーらしからぬ情けない声を上げながら、腰をさすって歩いている。巨大ロボを操縦した後遺症は、彼の美少女ボディに深刻なダメージを与えていた。
「あんたが大声で叫ぶから、ゴーレムが起きたんでしょ。自業自得よ」
セラは、腕に巻いた包帯を締め直しながら、いつものようにぶっきらぼうに言う。しかし、その横顔は、戦闘の緊張から解放され、どこか清々しげだった。
「ふむ。あのゴーレムの残骸から回収した水晶片…極めて高い魔力伝導率を示している。これは、新商品の素材として活用できるかもしれんな」
アーグは、戦利品のクリスタルを鑑定しながら、早速ビジネスのことを考えている。彼らしい、ブレない姿勢だ。
『しかし、拙者を投げつけるという戦法…あれはもうやめてほしいでござるな…鞘としての尊厳が…』
ゴルドスのぼやきは、都合よくオタクミに無視された。
そんなやり取りの中、一行の中心を歩く二人の少女は、とても静かだった。
リアは、隣を歩くシエルの手を、そっと握っている。
「シエルちゃん、すごかったです! あの時の歌声、まるで女神様みたいでした!」
シエルは、リアの言葉に、はにかんだように少しだけ俯いた。
彼女は、もう一人の友達――肩の上で気持ちよさそうに眠るぴーちゃんの羽を、優しく撫でている。
彼女の表情には、以前のような怯えや絶望の色はなかった。
そこにあるのは、全てを出し切った後の心地よい疲労感と、これまで感じたことのない、穏やかで温かい安らぎだった。
自分の歌が、仲間を守った。
あの絶望的な状況を、覆す力になった。
「呪い」だと信じていた自分の力が、誰かの「希望」になった。
その事実が、まだ夢のように、彼女の胸を温かく満たしていた。
――幼い頃。村で何気なく口ずさんだ歌が、周囲の魔獣を呼び寄せてしまったことがある。
泣き叫ぶ大人たち。怖がる同年代の子どもたち。
「歌わないで」と突き放されたあの日から、シエルは自分の声を呪いだと思い込んできた。
だが今――仲間の笑顔と声援が、その記憶を上書きしていた。
「私の歌は……誰かを傷つけるものじゃない」
胸の奥で、そんな小さな確信が芽生えていた。
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カフェ『KIRABOSHI』に戻った一行を出迎えたのは、心配そうな顔のエルマさんと、温かいシチューの香りだった。
「まあ、みんな、大変だったんだねぇ。お帰りなさい……生きて帰ってきてくれて、本当にありがとう!」
その夜、一行はカフェのテーブルを囲み、ささやかな祝勝会を開いていた。
それは、先日までのバーベキューの狂騒曲とは違う、静かで、温かい時間だった。
「いやー、しかし、俺の操縦テクニックも神がかってたな! あの『ギャラクシー・ハート・パンチ』! まさに、アニメ史に残る最終回の一撃だった!」
オタクミが、身振り手振りを交えて、いかに自分の戦いが「尊かった」かを熱弁している。
「あんたが調子に乗って叫ばなければ、そもそもゴーレムは起きなかったんだけどね」
セラの冷静なツッコミに、オタクミが「ぐっ…」と詰まる。
リアは、思い出して、興奮気味に言った。
「でも、シエルちゃんの歌がロボットの力になった時、本当にすごかったです! 歌に合わせて、ロボットがキラキラ光って…!」
その言葉に、シエルは少しだけ顔を赤らめた。
そして、初めて、自ら輪の中に言葉を紡いだ。
「…私…怖かったです。また、私の歌が、何か悪いことを起こすんじゃないかって…。でも…」
彼女は、仲間たち一人ひとりの顔を、ゆっくりと見回した。
「皆さんが、戦っているのが見えて…。セラさんが、私の前に立ってくれて…。私にできるのは、歌うことだけだって、思ったんです」
それは、彼女の人生で初めての、誰かのために絞り出した、勇気の告白だった。
その言葉に、オタクミは、プロデューサーとして、そして一人の同志として、静かに、しかし深く頷いた。
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数日後。
仲間たちの傷も癒え、カフェの地下レッスンスタジオに、再び二人の少女の姿があった。
シエルと、セラ。
先生と、生徒。
しかし、数日前とは、二人の間に流れる空気が、全く違っていた。
セラは、以前のような疑いや苛立ちではなく、純粋な好奇心と、少しの敬意を込めた目で、シエルを見つめている。
そして、彼女は静かに、以前と同じ問いを投げかけた。
「…で、どうすれば、あんたみたいに歌えるのよ」
以前は、その問いに答えられず、うつむいてしまったシエル。
だが、今の彼女は違った。
洞窟での戦いを経て、彼女は、自分の力の源泉を、その魂の在り処を、確かに理解していた。
彼女は、はにかんだように、でも、これまでで一番芯の通った、先生の顔で、微笑んだ。
「はい。最初の授業を、始めます!」
彼女は、セラの目をまっすぐに見つめ返すと、静かに、しかしはっきりと告げた。
「最初の授業は…まず、自分が一番、大切にしたい人の顔を思い浮かべることです」
シエルは、脳裏に、仲間たちの顔を思い浮かべた。
お節介で、ハチャメチャで、でも誰よりも真っ直ぐなプロデューサー。
いつも優しくて、自分のことのように喜んでくれる、親友。
ぶっきらぼうで、口は悪いけど、いつも背中を守ってくれる、相棒。
そして、いつも静かに、確かな道を示してくれる、頼れる大人。
「そして…その人を守りたいって、強く、強く願うんです!!」
セラは、思わず耳まで赤くして、ぷいと顔を逸らした。
「な、なによ…べ、別にアンタの歌に守られたとか思ってないし! ただ……まあ、その……ちょっとは役に立った、かなってだけ!」
シエルはふふっと笑い、柔らかく頷いた。
その言葉は、もはや彼女の中から生まれた、揺るぎない真実だった。
「歌は、きっとそこから始まりますから」
先生として、そしてアイドルへの道を歩む者として、大きな一歩を踏み出したシエルの笑顔。
その笑顔こそが、最初の、そして何よりも強い「尊み」だった。
彼女たちの本当のレッスンは、今、始まったばかりだ。




