三食おやつ付き契約
「……ごはん、毎日あるの?」
シエルの問いに、その場にいた全員が一瞬だけ黙った。
湖畔には薄い霧が残り、少し離れたところではぴーちゃんが羽を整えている。シエルは食べ終えた魚の包みを大事そうに持ったまま、冗談を言っている様子もなく、真剣な顔でオタクミたちを見ていた。
「あるぞ」
オタクミが答える。
シエルの目が少し見開かれた。
「……毎日?」
「毎日」
「一日に……一回?」
「いや、普通は三回くらいじゃない?」
「三回」
シエルが固まった。
「朝と、昼と、夜ですね」
リアが指を折りながら説明する。
「朝」
「はい」
「昼」
「はい」
「夜」
「はい」
「……三回」
どうやら数え直しているらしい。
オタクミはその様子を見て、胸の奥が妙にざわついた。
彼にとって一日三食は、あまりにも普通のことだった。もちろん旅の途中では多少前後するし、保存食だけで済ませることもある。それでも、目の前の少女にとっては、今初めて聞いた夢のような話らしい。
「しかも!」
オタクミが勢いよく人差し指を立てた。
「状況次第では、おやつもある!」
「おやつ?」
「三食とは別枠で食べる、心を豊かにする食べ物だ!」
「説明が怪しい商人なのよ」
セラが即座に突っ込む。
だがシエルは真剣だった。
「ごはんじゃないのに、食べていいの?」
「いい!」
「先生、あんまり無責任に断言しないでくださいね」
リアが笑いながら釘を刺す。
「毎日絶対豪華なおやつ! とかじゃないぞ!? ある時はある! でも俺は前向きに努力する!」
「急に現実的」
「継続可能性を考えた」
アーグが小さく頷いた。
「それならまだ信用できる」
「なんでお前の審査通さなきゃいけないんだよ!」
「一緒に生活する話なら当然だろう」
「まだ生活するって決まってないけどな!」
そう言いながら、オタクミは改めてシエルを見る。
シエルはまだ「三回」と小さく呟いていた。
ぴーちゃんが横で、
「三回」
と真似する。
「お前も覚えたのか」
「三回」
「食いしん坊ユニット結成する気か?」
シエルが少しだけ笑った。
その笑顔を見て、オタクミは一度息を吐いた。
「シエル」
「なに?」
「だったらさ」
言葉を選ぶ。
以前の自分なら、ここで勢いだけで決めていただろう。
歌える。
目を引く。
物語がある。
だから連れて帰る。
そんなふうに。
でも今は、そこから一歩だけ離れて考えられる。
「俺たちと一緒に、ラザリスへ来ないか?」
シエルの表情が止まった。
「……ラザリス」
「俺たちが今いる街。人も多いし、店もある。飯もある。寝る場所もある」
「人……多い?」
そこだけ、シエルの声が少し硬くなる。
「多い」
オタクミは誤魔化さなかった。
「だから、怖いと思う」
シエルは黙る。
「でも、いきなり人の前に出ろとか、歌えとか言うつもりはない」
「……歌わなくても?」
「いい」
答えたあとで、オタクミは少しだけ苦笑した。
「いや、本音を言えば聞きたい。めちゃくちゃ聞きたい。もっと聞きたいし、いつか他の人にも聞いてほしいって思ってる」
「先生」
「でも!」
リアに止められる前に、オタクミは続けた。
「それを決めるのはシエルだ」
シエルがじっと彼を見る。
「怖いのに無理やりやらせても、たぶん違う。だから今は、歌わなくてもいい」
セラが腕を組んだまま、小さく頷いた。
「嫌なら断ってもいいし、行ってから無理だと思ったら、その時また考えればいい」
リアも続ける。
「まず、一緒に行ってみませんか? ラザリスには私たちもいますから」
シエルの視線が一人ずつ移る。
オタクミ。
リア。
セラ。
アーグ。
最後に、ぴーちゃん。
「……ぴーちゃんも?」
「もちろん」
オタクミが即答する。
「鳥だから宿で問題になる可能性はあるが、その場合は考える」
アーグが現実的な補足を入れる。
「そこは私たちで何とかしましょう」
リアが言う。
ぴーちゃんは何も分かっていない顔で羽を膨らませた。
「もちろん」
「お前が答えるな!」
少しだけ笑いが起きる。
けれどシエルはまだ考えていた。
「……私、何をすればいいの?」
オタクミの口が開く。
「歌――」
そこまで言って止まった。
セラがじっと見る。
リアも見る。
アーグまで見る。
「……何もしなくていい」
オタクミは言い直した。
「最初は」
「最初は?」
「いや、ずっと何もしなくていいって意味じゃなくて! 一緒に暮らすなら、できることはみんなでやる。片付けとか、買い物とか、そういうの。でも歌を仕事にしろとか、アイドルになれとか、そういう話じゃない」
「……」
「シエルが自分からやりたいと思ったことがあったら、その時に考えよう」
シエルはしばらく黙っていた。
やがて、手元の空になった包みを見る。
次にぴーちゃんを見る。
そしてもう一度、オタクミたちを見る。
「ラザリスに行ったら」
「うん」
「ごはん、三回?」
「基本は!」
「おやつ」
「可能な限り!」
「可能な限りって何」
「大人の事情!」
「先生、そこで格好つけないでください」
「だって永久確約とかしたらアーグに怒られるし!」
「当然だ」
アーグが即答した。
「提供できない条件を契約に含めるな」
「ほら!」
シエルは少し考えてから、また訊いた。
「……食べられない日も、ある?」
今度は誰もすぐには笑わなかった。
オタクミは答える。
「旅なら、予定通りいかない日はある」
「うん」
「でも、俺たちが食べるのに、シエルだけ食べさせないみたいなことはしない」
リアも頷く。
「みんなで分けます」
「そういう意味なら、食事に困らせるつもりはない」
アーグも言った。
セラは少しだけ顔を逸らしながら、
「まあ、一人増えたくらいでどうにかなるでしょ」
と付け加えた。
シエルが、ゆっくりと息を吐く。
「……変なの」
「何が?」
「知らないのに」
「うん」
「私のこと、まだ何も知らないのに」
その言葉に、オタクミは少し考えた。
「だから、これから知ればいいんじゃない?」
シエルが目を丸くする。
「俺たちだって、会ったばっかりだし」
「……怖くないの?」
「何が?」
「私」
オタクミは首を傾げた。
「歌を怖がられたって話?」
シエルが頷く。
「今のところ、俺が一番怖いのはセラが本気で怒った時かな」
「は?」
「ほら怖い!」
セラの拳が飛び、オタクミの頭に軽く落ちる。
「痛っ!」
リアが笑い、アーグがため息をつく。
シエルは呆気に取られていた。
やがて、その口元が少しだけ緩んだ。
「……行ってみたい」
小さな声だった。
「ん?」
「ラザリス」
今度は少しだけはっきり言う。
「……行ってみたいです」
オタクミの顔が一気に明るくなる。
「よっしゃああああ!」
「声!」
セラが叩く。
「ごめん!」
シエルがびくっとしたが、逃げなかった。
オタクミは咳払いをして、少しだけ落ち着く。
「では改めまして」
どこからともなく細い枝を拾い、地面へ一本線を引く。
「ここに、歴史的な契約が成立しました」
「何してるの?」
「気分!」
「紙も署名もないぞ」
「だから気分!」
オタクミは指を一本立てる。
「第一条! 三食!」
シエルの目が輝く。
「第二条! できる限りおやつ!」
「そこだけ弱い」
セラが言う。
「第三条! 歌うかどうかはシエルが決める!」
シエルが瞬きをする。
「第四条! ぴーちゃん同行可!」
鳥が羽を広げる。
「同行可!」
「覚えた!」
オタクミは最後に胸を張った。
「以上! 三食おやつ付き契約、成立!」
「契約っていうか、一緒に暮らす約束じゃない?」
「リア、それ言っちゃう?」
「でも、その方が私は好きです」
シエルが小さく頷いた。
「……私も」
◇
湖を離れる頃には、霧は少し薄くなっていた。
来た時は四人と一振りだった道を、今は一人と一羽が増えて歩いている。
シエルは何度か後ろを振り返った。
湖。
森。
これまで過ごしてきた場所。
ぴーちゃんも一度だけ空へ舞い上がり、湖の上を大きく回ってから戻ってきた。
オタクミは何も言わず、少し先を歩いた。
戻りたいと言うなら止めない。
そう思っていた。
けれどシエルは、最後には自分から前を向いた。
「オタクミ」
「ん?」
「おやつって」
「うん」
「どんなの?」
オタクミが振り返る。
シエルは真剣だった。
「そこから!?」
「知らないから」
「よし分かった! ラザリス着いたら、おやつ文化について基礎から――」
「先生、布教始めないでください」
「これは生活教育!」
「同じよ」
シエルがまた少し笑った。
まだ歌わなくていい。
まだ人前へ出なくていい。
今はただ、一緒に歩いている。
いつか彼女自身が、誰かへ歌いたいと思う日が来たなら。
その時に、自分が何をできるのか考えればいい。
オタクミはそう思いながら、ラザリスへ続く道を歩いていった。




