魂の響きと、閉ざされた心
一行はラザリス郊外の『嘆きの森』の、さらに奥深くへと足を踏み入れていた。目指すは、アーグが古文書から見つけ出した古代遺跡、『魂の残響洞窟』。その道中は、決して楽なものではなかった。
「本当に……この道で合ってるのでしょうか……?」
不安げなリアの声に、アーグがボロボロの地図を広げる。
リアが不安げに尋ねる。アーグが広げる古い地図は、ところどころが虫に食われ、判読が難しい。
「古文書によれば、この先のはずだ。この洞窟は、みだりに人が立ち入ることを拒むように、意図的に隠されているらしい。かつては、古代の精霊たちが己の魂を磨くために使った聖域だったとか」
アーグが、先導しながら説明する。
「聖域…」
その言葉に、シエルの体がこわばった。彼女は、仲間たちが作ってくれた痛バッグを、お守りのように胸に強く抱きしめている。中のSDミスティアのグッズたちが、カシャカシャと優しい音を立て、彼女の不安を少しだけ和らげてくれていた。
「心配するな、シエル!」オタクミが、彼女の気持ちを察したように、明るく笑いかける。「どんな聖域だろうと、俺たちの『推し活』の前では、ただのイベントステージに過ぎん!」
セラは、そんなシエルの肩を、何も言わずにポンと軽く叩いた。不器用だが、確かな励ましだった。
数時間の探索の末、一行はついに目的の場所にたどり着く。
苔むした巨大な岩壁に、ぽっかりと空いた洞窟の入り口。その内壁は、まるで意志を持っているかのように、淡い光を放つ無数の水晶で覆われていた。洞窟の奥からは、ひんやりとした、神聖な空気が流れてくる。
一行は、それぞれの想いを胸に、神秘的で、どこか近寄りがたい洞窟の奥へと進んでいった。
洞窟の最深部は、巨大な空洞になっていた。天井からは鍾乳石のように巨大な水晶が垂れ下がり、壁一面が淡い光を放っている。まるで、星空の中に迷い込んだかのような、幻想的な空間だった。
「よし、シエル! ここが君の新たなレッスンステージだ! まずは、何も考えず、いつも通りに歌ってみてくれ!」
オタクミに促され、シエルはおずおずと空洞の中央に立った。
(大丈夫…皆さんが、見ていてくれる…。それに、このバッグの中には、ミスティア様が…)
彼女は痛バッグをぎゅっと握りしめ、一度目を閉じ、息を吸う。そして、その唇から放たれたのは、技術的には完璧な、透き通るような美しい歌声だった。
すると、洞窟の水晶が、歌声に共鳴して輝き始める。
シエルの体から、オーラのような光が立ち上った。
しかし――その光は、あまりにも弱々しく、色もなかった。
まるで、今にも消えてしまいそうな、陽炎のような、「空っぽ」で「無色透明」のオーラだった。それは、彼女の歌声に「魂」が乗っていないことを、残酷なまでに示していた。
歌い終わったシエルは、自らの魂が生み出した、そのあまりに虚しい光景を見て、震える声で呟いた。
「……ほら、言ったでしょう。私の魂は…空っぽなんです…。色も、温かさも、何も…ないんです…」
彼女の瞳から、再び光が消えかける。やはり、自分の歌は呪いなのだ、と。仲間たちの期待に応えられない自分は、やはりここにいてはいけないのだ、と。
「違う!」
その絶望を打ち破ったのは、オタクミの魂の叫びだった。
「空っぽなんかじゃない! 今のは、まだ蓋が閉まっているだけだ! 鍵がかかった宝箱なんだよ! 宝物が入ってないわけじゃない!」
彼は、シエルの隣に立つと、まるで世界そのものに宣言するかのように、胸を張った。
「本当の魂の輝きってやつを、今から俺が見せてやる!」
オタクミは、天を仰いで、ありったけの想いを込めて叫んだ。
「ミスティア様あああああ! 俺だー! 好きだー!結婚してくれえええええ!!」
次の瞬間。
洞窟全体が、凄まじい光の奔流に飲み込まれた。
オタクミの体から放たれた「尊みエネルギー」のオーラは、一つの色に留まらない。
彼の体から立ち昇るオーラは、もはや人間のものではなかった。
赤、青、黄、緑、紫…あらゆる感情の色が混ざり合った、巨大な虹色の竜巻となって、洞窟の天井まで駆け上ったのだ。洞窟中の水晶が、彼の叫びに共鳴し、まるで賛歌を歌うかのように輝いている。
「す、すごい…!」
リアが、その圧倒的な光景に目を奪われる。
シエルもまた、目の前で渦巻く、純粋な「好き」という感情の塊に、呆然と立ち尽くしていた。
しかし、その時だった。
オタクミの放った、あまりに純粋で巨大なエネルギーが、この洞窟で永い眠りについていた「何か」を、無理やりこじ開けるように、目覚めさせてしまったのだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
洞窟全体が、地響きを立てて激しく揺れ始める。
壁の水晶が、バチバチと不吉な火花を散らす。
「な、なんだ!?」
アーグが叫ぶ。
空洞の最も奥、巨大な水晶の塊だったはずの場所が、ゆっくりと形を変えていく。
岩が剥がれ落ち、光が集束し、二つの巨大な目が、暗闇の中でギラリと光った。
それは、この洞窟そのものが意思を持ったかのような、古代の守護者。
全身を硬質な水晶で覆われた、巨人だった。
守護者「クリスタル・ゴーレム」の、覚醒である。
ゴーレムは、洞窟の静寂を乱した侵入者たちを、その無機質な瞳で捉えると、咆哮とも地鳴りともつかぬ、重低音を響かせた。
その手に握られた水晶の拳が、ゆっくりと、しかし確実に、一行に向かって振り上げられる。
「(やっべ…)」オタクミは、冷や汗を流しながら呟いた。
「俺の推しへの愛が、デカすぎた…!」
絶望的な状況を前に、シエルはただ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
彼女の強化合宿は、最悪の形で、その幕を開けた。




