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痛武器勇者~最強武器らしいけど、観賞用にして推しを布教します~  作者: 桝田キゲン
3 アイドルプロデュース編

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アイドリ

 霧の向こうから、歌が聞こえていた。


 姿は見えない。


 言葉も聞き取れない。


 それでも、湖面を渡ってくる声だけは不思議なくらい澄んでいて、オタクミは息をするのも忘れたように立ち尽くしていた。


「……これだ」


 小さく呟く。


「この声、もっと近くで聞きたい」


 リアも絵を胸元へ抱えたまま、静かに頷いた。


「きれいですね……」


 誰かが強く張り上げているわけでもない。むしろ遠く、薄く、霧へ溶けてしまいそうなのに、耳を離せない。


 オタクミは一歩踏み出しかけた。


「よし。まず会って――」


「待って」


 セラが鋭く制した。


「今度は何!?」


「静かにして」


 セラは歌声の流れてくる湖の奥ではなく、少し離れた岩場を見ていた。


 霧と木々の境目。


 大きな岩。


 その陰。


「……誰かいる」


「歌ってる人?」


「違う。声はもっと向こうから聞こえる」


 セラが目を細める。


「さっき、あそこで何か動いた」


 オタクミも目を凝らしたが、何も見えない。


「俺には岩しか見えん」


「だからあんたは正面だけ見てなさい」


「扱い!」


 アーグが湖と岩陰を交互に見る。


「二つを同時に追うのは効率が悪いな」


「じゃあ分かれる?」


 リアが尋ねる。


 オタクミは一瞬考えたあと、頷いた。


「俺とセラは歌声の方。リアとアーグは岩陰を見てきてくれ」


「分かりました」


「無理に近づくな」


 アーグが短く言った。


「逃げるなら追わない。それでいいな?」


「うん。まず誰なのか見るだけで」


 オタクミも頷く。


「よし。会う、見る、話す、聞く。忘れるなよ!」


「先生が一番忘れそうです」


「信用!」


     ◇


 岩陰に近づくにつれて、リアは小さな物音に気づいた。


 葉が擦れる音。


 衣服が岩へ触れた音。


 そして、もう一つ。


 きゅるる、と控えめに鳴った腹の音。


 リアが足を止めた。


「……」


 アーグも聞こえたらしく、黙ってリアを見る。


 二人の荷物には、昼に焼いた魚の残りが包んであった。食べ切れなかった分を、アーグが「捨てる理由はない」と持ってきたものだ。


 風向きが変わる。


 焼いた魚の匂いが岩陰へ流れた。


 今度は、明らかに枝が揺れた。


「誰かいますか?」


 リアはその場から動かず、穏やかに声をかけた。


 返事はない。


「驚かせたなら、ごめんなさい。近づきませんから」


 しばらく待つ。


 やがて、岩の陰からほんの少しだけ顔が覗いた。


 大きな瞳。


 その瞳がまずリアを見て、それからアーグを見て、最後にリアの手元へ移る。


 包みの中の魚。


「……」


「食べますか?」


 リアが訊いた瞬間、顔が引っ込んだ。


「警戒されてるな」


 アーグが小声で言う。


「当たり前です。知らない人ですから」


「それもそうだ」


 リアは包みを地面へ置いた。


「ここに置いておきますね。私たちは離れますから」


 二人で数歩後ろへ下がる。


 しばらく何も起こらなかった。


 しかし、やがて岩陰から細い腕が伸びた。


 魚の包みを掴む。


 また引っ込む。


「……食べてる」


 リアが思わず笑う。


 少しして、少女が姿を現した。


 腰まで伸びた、濡れ羽色の黒髪。


 霧の中でも分かるほど白い肌。


 大きな瞳。


 身にまとっているワンピースはところどころ擦り切れ、裾には泥がついている。


 細い身体で魚を抱え、こちらを警戒したまま、少しずつ食べていた。


 リアは思わず息を呑んだ。


 絵だ。


 あの一枚に描かれていた少女と、よく似ている。


 けれど、すぐには絵を取り出さなかった。


 目の前にいるのは、絵の中の人物ではない。


 お腹を空かせて、知らない人間を警戒している一人の少女だ。


「おいしいですか?」


 リアが訊く。


 少女は少し迷ってから、小さく頷いた。


「……うん」


 初めて声を聞いた。


 歌とは違う。


 普通の、少しかすれた少女の声だった。


「よかった」


 リアが笑う。


 アーグは何も言わず、その場で少女の逃げ道を塞がない位置に立っていた。


 少女は魚をもう一口食べる。


 そして、リアの胸元にある木炭画へ気づいた。


「……それ」


「え?」


「その絵……」


 リアはそこで初めて、手にしていた絵を見せた。


「これですか?」


 少女の目が大きくなる。


 食べる手が止まった。


「……どこで?」


「ラザリスの古いお店で見つけました」


 少女は絵をじっと見る。


「あなたに、似てると思ったんです」


「……」


 少女はすぐには答えなかった。


 否定もしない。


 ただ、困ったように眉を寄せた。


「これ……私に、似てる」


「やっぱり、そう思いますか?」


「でも……知らない」


「絵を描かれた覚えが?」


 少女は首を横に振った。


「ない」


 リアとアーグは顔を見合わせた。


 まだ分からない。


 だから、それ以上は聞かなかった。


     ◇


 一方。


 オタクミとセラは、歌声を追って湖沿いを進んでいた。


「静かに歩いて」


「分かってる」


 ぱきっ。


「今踏んだでしょ」


「枝が勝手に!」


「枝は動かない」


「異世界だからあるかも!」


「ない」


 さらに数歩。


 今度は顔に蜘蛛の巣がかかった。


「うわっ!?」


「声!」


「ごめん!」


『見事なまでの足手まといだな』


「ゴルドス、お前まで言う!?」


 セラはため息をつきながらも、歩みを止めなかった。


 歌声は近い。


 同じ旋律が何度も聞こえてくる。


「……同じところ、繰り返してない?」


 セラが言う。


「歌ってそういうもんじゃない?」


「でも、間まで同じ」


「間?」


 耳を澄ませる。


 確かに。


 歌声が途切れる。


 数秒。


 そしてまったく同じ高さ、同じ入り方で、また始まる。


「……録音?」


「何それ」


「いや、こっちの話」


 霧の先で枝が揺れた。


「いた!」


 オタクミが飛び出す。


「だから先に行くな!」


 セラが追う。


 木々の間を抜けた先にいたのは――


「……鳥?」


 丸い。


 思った以上に丸い。


 鮮やかな羽毛を膨らませた鳥型の魔物が、倒木の上へちょこんと乗っていた。


 そして嘴を開く。


 あの歌が流れた。


「…………」


 オタクミが固まる。


 セラも目を瞬いた。


『おお。歌真似鳥か』


 ゴルドスが言った。


「知ってるの?」


『聞いた音や声を真似る鳥だ。こうして気に入った音を繰り返すことがある』


「じゃあ」


 オタクミが鳥を見る。


 鳥がもう一度歌う。


「この歌、こいつ自身の歌じゃない?」


『少なくとも、どこかで聞いたものを真似ている可能性はあるな』


 数秒の沈黙。


 オタクミの肩が落ちた。


「歌ってたの鳥かぁぁぁ……!」


「何でちょっと残念そうなの」


「いや、鳥が悪いわけじゃない! めっちゃ上手い! でも俺たちが探してるのは!」


 鳥が首を傾げる。


「探してるのは!」


 鳥が言った。


「探してるのは!」


「……」


「……」


 オタクミの目が光った。


「この再現力……」


「やめなさい」


「まだ何も言ってない!」


「顔が言ってる」


 鳥が真似する。


「顔が言ってる」


「ほら! 完璧!」


「だから何」


「歌ってる人と組ませたら、コーラスとか合いの手とか――」


「人を探しに来たんでしょ」


「いやでも鳥まで加えた新時代ユニット!」


「却下」


「待てよ。アイドルじゃなくて鳥だから……アイドリ……?」


 セラが無表情になる。


「帰るわよ」


「タイトル級のひらめきだったのに!」


 鳥が元気よく鳴く。


「アイドリ!」


「ほら本人も気に入ってる!」


「真似してるだけ!」


     ◇


 二人が戻ると、リアとアーグのそばに誰かがいた。


 オタクミの足が止まる。


 長い黒髪。


 白い肌。


 ぼろぼろのワンピース。


 手には食べかけの焼き魚。


 そして、こちらを見た大きな瞳。


 オタクミは思わず、懐にある絵と少女を見比べた。


「……」


 頭の中で、何かが弾けた。


 いた。


 見つけた。


 奇跡の一枚の少女。


 新しい表現者。


 アイドル候補。


 言葉が喉まで出かかった。


 けれど、止まった。


 花屋の少女。


 酒場の歌い手。


 見ただけでは分からなかった人たち。


 それから、ついさっき鳥へまで話を広げかけてセラに止められた自分。


「……先生?」


 リアがこちらを見る。


 オタクミは一度息を吸った。


 少女を見る。


 絵ではない。


 噂でもない。


 歌声でもない。


 今、目の前にいる人を見る。


「……えっと」


 いつもの勢いが少しだけ消えた。


「俺、オタクミ」


 少女は警戒したまま、こちらを見ていた。


 それでも、少しして口を開く。


「……シエル」


 小さな声だった。


 霧の中で聞いた歌とは違う。


 ただ一人の少女が、自分の名前を名乗っただけの声。


 けれどオタクミは、その名前を聞いた瞬間、今まで集めてきたどんな噂よりも、はっきりと彼女がそこにいることを感じた。


「シエル、か」


 少女――シエルは、もう一度だけ小さく頷いた。

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