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痛バッグは最強の盾である

「魂の残響洞窟」での強化合宿を数日後に控え、カフェ『KIRABOSHI』の空気は期待と不安が入り混じっていた。特に、当事者であるシエルは、日に日にその顔色を曇らせていた。

「私の魂が、可視化される…。きっと、真っ黒で、醜くて、歪んだ形をしているに違いありません…。それを見たら、皆さん、きっと私を化け物だと思います…」


テーブルの隅で、彼女は膝を抱えて、いつものネガティブポエムを呟いている。

その様子を見ていたリアが、いてもたってもいられなくなり、オタクミに駆け寄った。

「先生! このままでは、シエルちゃんの心が特訓の前に折れてしまいます! 私、シエルちゃんを元気づけたいんです!」


その言葉に、オタクミのプロデューサー魂に火が付いた。

「ただのお守りじゃダメだ! アイドルには、ファンの愛を可視化した、究極の装備が必要だ! リア、お前の出番だ! 俺たちの愛と『尊み』を結集し、シエルのための『痛バッグ』を製作するぞ!」


「い、痛バッグ…ですか?」

きょとんとするリアに、オタクミがその歴史と哲学を熱く語る。

「痛バッグとは、携帯可能な推しの祭壇! 愛の質量で悪霊さえも退ける、聖なる結界なのだ!」

作戦が決まれば、行動は早い。リアは、まずシエルに「こういうものですよ」と参考を見せるため、自分のスケッチブックを開いた。そこには、彼女が練習で描いたたくさんの**「SDミスティア」**のイラストが、生き生きと描かれていた。


「……」

シエルは、その絵を人生で初めて見るかのように、不思議そうに、そして少し困惑した表情で見つめた。

「…これは…先生の『推し』の、戦士の女性ですよね? ですが…頭と体の比率が、生物学的にありえません。手足は短く、瞳は過剰に大きい…。これは、正確な写実画ではないのですね。なぜ…なぜ、このように描くのですか?」


その純粋な問いに、リアは一生懸命、オタクミから教わった概念を説明した。

「えっと、これは『カワイイ』っていうんです! 正確に描くのとは違って、その人の『可愛い』っていう本質を、ぎゅーっと凝縮して描くんです! 見ていると、なんだか守ってあげたくなりませんか?」


シエルは、その理屈を完全には理解できなかった。しかし、目の前のSDミスティアの絵から、不思議と目が離せない。

(理解できません…非論理的で、解剖学的にも不正確…。ですが…この絵を見ていると、胸の奥が、少しだけ…温かくなるような…。これが、『カワイイ』という魔法…?)


『ふむ…ついにこの世界の人間が、デフォルメという概念に触れた歴史的瞬間でござるな。カワイイは国境も次元も超える…!』

ゴルドスの感慨深げな声が、オタクミの脳内に響いた。オタクミは、シエルのその反応を見て、満足げに頷いた。

「そうだ、シエル君! それが第一歩だ! 己の絶望を乗り越えるには、まず他者の『尊み』を受け入れることから始まる! つまり、君にも『推し』が必要なんだ!」


「というわけで、作るぞ!」

オタクミの号令一下、仲間たちの総力戦による「ミスティア痛バッグ」製作が始まった。シエルに、推しの尊さを教えるための、最高の教材作りだ。


リアは、丈夫なトートバッグを縫い上げ、前面に魔法で透明化した革で「窓」を取り付けた。そして、中を飾るための「グッズ」を、愛情を込めて手作りしていく。SDミスティアの木製チャーム、ぴーちゃんに似たミスティアの使い魔のぬいぐるみ、ミスティアの名言をデザインした缶バッジ…。

「くだらない」と呆れていたセラも、リアの真剣な姿と、出来上がっていくグッズの可愛らしさに、いつの間にか手伝っていた。シーフとしての手先の器用さで、細かい金具の取り付けなどを担当している。「…別に、暇だっただけよ」

アーグも、「推しへの供物は、最高級の素材で作るべきだ」という謎の持論を展開し、チャームに使う希少な香木や、輝きの違う金属板などを調達してきた。

そして、オタクミは、その全てを監督する、完璧なプロデューサーだった。

「そこ! その缶バッジの配置は2ミリ下だ! それでは、ミスティア様の完璧な黄金比構図が崩れてしまうだろうが! やり直せ!」


数時間後。

仲間たちの愛情と、オタクミの狂気が詰まった、世界に一つだけの痛バッグが完成した。


一同は、完成した作品を前に、感無量といった表情で息をのむ。

(BGM:壮大なコーラスが脳内に流れ始める)


……なんということでしょう。


あれだけ使い古され、シミのついていたただの麻のトートバッグが、リアの手によって、A4サイズの魔導書もすっぽり入る大容量かつ、内ポケット付きという、機能性まで考慮された逸品に生まれ変わりましたではありませんか!

『いや、元からA4は入ったし、内ポケットはリア殿が後から縫い付けただけでござる!』


そして、注目すべきはこの前面。猪の体当たりにも耐えうるという、高純度の魔法水晶を薄く削りだして作られた、傷一つない『クリアビニールウォール』。これにより、中の神聖な展示物を、ラザリスの砂埃から完璧に守ることができるのです!

『クリアビニールウォールて! ただの魔法で透明にした革じゃないか! 猪が当たったら普通に破れるわ!』


窓の内側で、リアが描いた、様々な表情のSDミスティアが並ぶ『七色の感情エモーション缶バッジ』が輝きを放ちます。アーグが提供したミスリル銀の土台が、道行く者の嫉妬の視線さえも跳ね返す、上品な輝きを宿しています!

『七色の感情エモーションて! 喜、怒、哀、楽の4種類しか描いてないでござるぞ! 3色足りん!』


中央には、スライムの体液から作られたとは思えない透明度を誇る『涙の結晶ティアドロップアクリルチャーム』。セラの神業的な手つきによって取り付けられた金具が、歩くたびに持ち主の心を癒やす、天上の音色を奏でます!

『っていうか、セラの神業、ただの丸カン通しじゃないか! さっき「面倒くさい」って舌打ちしてたぞ!』


そして、この空間に温かみを与えるのが、ぴーちゃんをモデルにしたという『翼持つウィングド・フレンドミニマスコット』。その柔らかな手触りと、つぶらな瞳は、孤独だった少女の心を、優しく包み込むことでしょう!


オタクミは、涙を流しながら、完成した痛バッグを両手で掲げた。

「完璧だ…! これこそ、匠たちの魂の結晶…! 見ろ、この圧倒的なまでの『尊み』の質量を!」


「シエル、これを受け取ってくれ」

オタクミは、この「匠たちの魂の結晶」を、まるで聖杯でも捧げるかのように、シエルの前に差し出した。

しかし、シエルはそれを受け取らず、戸惑った表情でオタクミを見つめ返した。

「…これは…私に…? ですが…私は、この『ミスティア』という方を、知りません…。なぜ、これを私に…?」


その問いに、オタクミは教会の神父のように、厳かに答えた。

「これはただのバッグじゃないぞ、シエル! これは、我らが推しミスティア様の魂を宿した『分霊わけみたま』だ! これを持ち歩くことで、ミスティア様の勇気と『尊み』が、君をあらゆる災厄から守ってくれるだろう! 今日から君も、我々と同じ信仰の道を歩む同志だ!」

『分霊て! そんな大層なものではないでござる! オタクミ殿の妄想がすごいことになっておる!』


シエルは、オタクミの言っていることの意味は半分も分からなかった。

だが、目の前の、キラキラしたバッグから、自分を元気づけようとしてくれる仲間たちの、不器用で、まっすぐな「想い」が、温かいオーラのように伝わってきた。

「(分霊…? よく分かりません…。でも…このバッグ、とても…温かいです。みんなの…気持ちが、詰まっているような…)」

彼女は、おずおずと、そのバッグを受け取った。



そして、強化合宿の日。一行は『魂の残響洞窟』へと向かっていた。

シエルは、もらったばかりの痛バッグを、落とさないように、宝物のように、胸に抱きしめて歩いている。

その時、森の茂みから、凶暴な魔物(森のイノシシ)が牙を剥いて飛び出してきた。


「ひゃっ!?」

驚きのあまり、咄嗟にシエルは胸に抱いていた痛バッグを盾のように前に突き出した。

魔物は、シエルに突撃しようとした瞬間、目の前に突き出された痛バッグに気づく。

バッグの窓から、何十ものSDミスティアの、潤んだ上目遣いの瞳が一斉に魔物を見つめ返してきた。


「ブモッ!?」

純粋な「守ってあげたい」と思わせる尊みの波動(物理)を、至近距離から浴びた魔物は、脳が処理いきれずに混乱。戦意を完全に喪失し、悲鳴のような鳴き声を上げて、森の奥へと逃げていった。


「……今の、あのバッグで魔物を追い払わなかった!?」

セラの呆れた声が響く。

「言っただろ! 痛バッグは、愛の質量で悪霊さえも退ける、聖なる結界なのだ!」

オタクミが、ドヤ顔で胸を張った。


シエルは、自分の手の中にある痛バッグを、不思議そうな、そして少しだけ誇らしげな目で見つめた。

バッグの窓の中のSDミスティアが、にっこりと微笑んで、彼女にウィンクしたように見えた。

(もしかして、この『推し』というものは、本当に…お守りに…なるのかもしれません…)


彼女が、特訓を前にして、仲間からもらった「勇気」を一つ、確かに手に入れた瞬間だった。

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