奇跡の一枚
あれから数日。
オタクミたちは、ラザリスのあちこちで話を聞いて回っていた。
歌う者。踊る者。旅芸人。吟遊詩人。人前に立つことを好む者。逆に、誰にも知られず歌っている者。
噂はいくらでも集まった。
ただし、どれも決め手には欠けていた。
「広い!」
宿の机に突っ伏したオタクミが叫ぶ。
「何が?」
セラが椅子にもたれたまま聞いた。
「『なんか気になる人を探す』って条件、広すぎる!」
「自分で決めたんでしょ」
「分かってる! でも実際やると広い!」
机の上には、聞き込みで集めた紙が散らばっていた。
声がよく通る大道芸人。
祭りで人気の踊り手。
酒場を渡り歩く歌い手。
子どもたちに昔話を聞かせる旅人。
面白そうな話はいくつもある。けれど、会ってみたいと思っても、すでに別の街へ移った者もいれば、名前すら分からない者もいた。
リアが紙を一枚ずつ整える。
「でも先生、前みたいに誰か一人を無理に決めなくなりましたね」
「成長!」
「自分で言わない」
セラが即座に返す。
その横で、アーグは集めた情報を黙って眺めていた。
「探し方を変えた方がいいな」
「お?」
オタクミが顔を上げる。
「人を直接探すから範囲が広すぎる。なら、先に痕跡を探せばいい」
「痕跡?」
「旅をする者は、必ず何かを残す。噂、品物、書き付け、歌詞、絵。本人が残さなくても、見た者が持ち帰ることもある」
「なるほど」
「吟遊詩人や商人だけではない。古物を扱う店にも、由来の分からない物が流れ込む」
オタクミは立ち上がった。
「よし!」
「行くの?」
「行く!」
「早い」
「思いついたら行動!」
『そこだけは一貫しておるな』
◇
中央通りから少し外れた裏路地に、その店はあった。
看板は傾き、窓には細かな埃が積もっている。
中へ入ると、棚という棚に雑多な品が押し込まれていた。
欠けた装飾品。
旅人が使っていたらしい革袋。
用途の分からない金具。
古い食器。
誰かの名前が刻まれた木札。
「……すごいですね」
リアが周囲を見回す。
「何に使うのか分からないものばっかり」
セラは棚の一角を覗き込んだ。
「盗品混じってないでしょうね」
「縁起でもないこと言うな」
「経験者としての警戒」
「説得力!」
アーグだけは、店へ入った時から棚の並びを見ていた。
値札。
置かれた位置。
埃の付き方。
品物ごとの扱われ方。
「こっちだ」
「何かあった?」
アーグが店の奥へ進む。
そこには、旅人が持ち込んだらしい雑貨がまとめて置かれていた。
「この棚だけ、品の出所が似ている」
「分かるの?」
「値札の付け方が同じだ。店主が一括で買い取った可能性が高い」
その中に、一枚の絵があった。
木の板に挟まれた、小さな木炭画。
少女が、水辺に座っている。
膝を抱え、横顔を水面へ向けていた。
口元はわずかに開いている。
歌っているのか。
ただ息を吐いているだけなのか。
絵だけでは分からない。
それでも、オタクミは目を止めた。
「……これ」
リアも隣へ来る。
「見せてください」
絵を手にすると、表情が変わった。
少女ではなく、まず背景を見る。
岩。
水際。
苔の付き方。
霧のように薄くぼかされた遠景。
「どう?」
「少し待ってください」
リアは指で線を追わず、目だけを動かす。
「この岩の形……それに、水辺がすぐ森へ続いてる。たぶん、かなり静かな湖です」
「場所分かる?」
「確信はないです。でも……似た話を聞いたことがあります」
「どこ?」
「嘆きの湖」
セラの顔がわずかに変わった。
「……そこ?」
オタクミが振り向く。
「知ってるの?」
「場所そのものはね。近づくなって噂も」
「何で?」
「森の奥から歌声が聞こえるって話がある。夜に聞いた奴が道を外れたとか、戻ってきてもしばらくぼんやりしてたとか」
「それ、本当?」
「知らない。そういう噂があるってだけ」
「歌声……」
オタクミはもう一度絵を見る。
水辺の少女。
開いた口元。
嘆きの湖。
そして、歌声の噂。
「店主!」
奥へ声をかけると、腰の曲がった老人が顔を出した。
「はいはい。壊したなら買い取りだよ」
「壊してない! この絵、どこから来たんです?」
「ん?」
老人は絵を受け取り、目を細めた。
「ああ、それか。旅人の荷物に混じってたやつだね」
「誰の?」
「そこまでは覚えとらんよ。何人分もまとめて買ったからね」
「値段は?」
「二シルバー」
「安っ!」
「作者も分からん。題もない。誰を描いたかも分からん。飾るには地味だしね」
アーグが絵を見る。
「安い理由は、絵そのものの価値ではなく、由来が分からないからか」
「まあ、そんなとこだよ」
「買う!」
オタクミが即答した。
「お前が?」
アーグが見る。
「何その顔!」
「今回はお前が一番食いついている」
「だって気になるだろ!」
金を払い、絵を受け取る。
リアが横からもう一度見た。
「場所の手掛かり、もう少し探せるかもしれません」
「よし。じゃあ次は――」
「人に聞く」
セラが先に言った。
「そう! 歌の噂なら、旅人か吟遊詩人!」
『少しずつ順番を覚えてきたな』
「俺の扱い、子どもじゃない?」
◇
その夜。
一行は、旅の吟遊詩人たちが集まる酒場を訪れた。
酒と演奏の音が入り混じる店内で、オタクミは例の絵を抱えて立っていた。
「すみませーん! この絵、見たことある人いませんか!」
「声がでかい」
「こういうのは目立たないと!」
「怪しい勧誘みたいになってる」
何人かが絵を覗き込んだ。
首を振る者。
知らないと答える者。
場所だけなら聞いたことがあると言う者。
その時だった。
「……おや」
店の奥から、聞き覚えのある声がした。
オタクミが振り返る。
「ん?」
白髪の老吟遊詩人が、杯を片手にこちらを見ていた。
オタクミの顔が明るくなる。
「あんた! 前に騎士の話してた人!」
「おお。物語の続きを気にしておった連中か」
「覚えてた!」
「声が大きかったからの」
「そこ!?」
老人は笑いながら近づき、オタクミの持つ絵を見た。
その表情が、少しだけ変わる。
「……その娘」
「知ってるんですか?」
リアが身を乗り出す。
「本人かどうかまでは分からん」
老人は慎重に答えた。
「だが、似た娘なら見たことがある」
「どこで!?」
「嘆きの湖の近くだ」
全員の空気が変わった。
「やっぱり……」
リアが絵を見る。
老人はゆっくりと記憶を辿るように話した。
「少し前、あの辺りまで足を伸ばしたことがあってな。森の奥へ入る気はなかったんじゃが、風に乗って歌が聞こえてきた」
「歌?」
「ああ。遠かった。言葉も全部は聞き取れんかった。だが、不思議な声だった」
「どんな?」
オタクミが聞く。
「静かなのに、遠くまで届く。悲しいようにも聞こえたし、ただ歌うことを楽しんでいるようにも聞こえた」
「それで、その子を?」
「湖のそばまで行った時、一度だけ姿を見た。黒い髪の若い娘だったと思う」
「この絵みたいに?」
「似ている。だが、ワシも近くで顔を見たわけじゃない」
オタクミはすぐには騒がなかった。
絵を見る。
リアの推測。
セラの知っていた噂。
今の証言。
全部が同じ場所へ集まり始めている。
「この絵は?」
アーグが尋ねる。
「どこで手に入れたか、心当たりは?」
老人は首を捻った。
「似たものを旅人が持っていた気もするが……すまんの。絵そのものについては覚えとらん」
「作者も?」
「分からん」
それ以上は出なかった。
だが、十分だった。
「先生」
リアが絵を見る。
「行きますか?」
オタクミは答える前に、セラを見た。
「危ない場所なんだよな?」
「噂通りならね。普通なら、準備なしで行く場所じゃない」
「じゃあ準備する」
セラが少し驚いた顔をした。
「即突撃じゃないんだ」
「俺だって学習する!」
『成長を毎回自己申告するな』
「いいだろ別に!」
オタクミは絵を両手で持ち直した。
湖で歌う誰か。
それが自分たちの探している相手なのかは、まだ分からない。
歌が上手いのか。
人前へ出たいのか。
そもそも誰かに聞かせるつもりで歌っているのか。
何一つ分かっていない。
だからこそ、会ってみたかった。
「決めた」
オタクミが言う。
「嘆きの湖へ行く」
「歌ってる人をスカウトしに?」
セラが聞く。
「まず会う!」
一本指を立てる。
「見る!」
二本。
「話す!」
三本。
「聞く!」
四本。
リアが笑った。
「増えたやつですね」
「そう!」
「で、そのあと?」
オタクミは少しだけ間を置いた。
「そのあと考える!」
「珍しくまとも」
「もっと褒めて!」
「調子に乗るから嫌」
笑い声が起きる。
オタクミはもう一度、絵の中の少女を見た。
一枚の絵。
一つの噂。
遠くから聞こえたという歌声。
それだけで、まだ何も決まってはいない。
けれど、その夜。
彼らの次の目的地だけは、はっきりと決まった。
――嘆きの湖。




