はじめてのお留守番
シエルが仲間(という名の三食おやつ付きボーカル・トレーナー)として、カフェ『KIRABOSHI』に迎え入れられてから、数日が経った――。
その朝、店内はいつにも増して活気に満ちていた。
「よし、みんな! 今日は新作グッズの素材を、市場に買い出しに行くぞ!!」
カウンター中央で、オタクミが長大な買い物リストを掲げて高らかに宣言する。
「アーグの情報によれば、市場の奥にあるドワーフの工房で、特注のSDキャラ・ピンバッジが作れるらしい! リア、お前のデザインセンスを生かす時が来たぞ!」
「はいっ、頑張ります!」
リアは期待に目を輝かせ、アーグは淡々と予算を再確認し、セラは腰のナイフを手入れしながら「護衛任務ね」と小さく呟いていた。
新しい計画に向けて、全員の士気は高い――ただ、一人を除いては。
にぎやかな雰囲気のなか、シエルだけがテーブルの隅で顔を青ざめさせていた。肩の上のぴーちゃんまで、心配そうに首を傾げている。
彼女の脳裏に広がっていたのは、「市場」と聞いて即座に想像した、地獄のような人混みの光景だった。
(し、市場…? 人がゴミのように詰め込まれ、視線が四方八方から突き刺さってくるあの場所……!)
あのトラウマ――
「呪いの歌声」と呼ばれ、村を追われ、群衆から石を投げられた記憶が、理不尽なフラッシュバックとなって彼女を襲う。
(無理…です……私なんかが行ったら……きっとまた……)
「よし、準備はいいな! 行くぞ、シエル!」
オタクミの声がかかると、シエルの体がビクッと跳ねた。
「ひっ…!」
その反応に最初に気づいたのは、リアだった。
「シエルちゃん…顔色が…もしかして、体調悪い?」
リアの声に、オタクミもハッとしてシエルに目を向けた。
その怯えきった表情に気づき、彼の中でプロデューサーのスイッチが入る。
「……そうか、無理するな。まだ人混みはしんどいよな」
彼は、静かに歩み寄り、シエルに優しく語りかけた。
「いいか? これは命令じゃない。俺たちの聖域を守る、大事な任務だ。留守番、頼んだぞ」
その言葉に、セラもそっぽを向いたまま小さく呟く。
「…アンタが来ても、荷物になるだけでしょ」
ぶっきらぼうだが、間違いなくそれは“思いやり”だった。
シエルの中で、胸の奥の何かが静かに溶けていくのを感じた。
この人たちは、自分を見捨てたりしない。怖がっても、責めない。
「は、はい……。わ、私……お留守番、がんばります……!」
小さな声ながら、自分の意志で答えたその一言は、彼女にとって大きな一歩だった。
* * *
仲間たちが出かけ、カフェには静寂が戻った。
カチ、カチ…と壁掛け時計の音が、やけに大きく響く。
(誰もいないと……逆に、ちょっと寂しいかも…?)
その静けさの中で、シエルは真面目にドア前に仁王立ちしていた。ぴーちゃんが、肩の上で不思議そうに「きゅる?」と鳴く。
だが、敵も現れず、異常は皆無。
シエルはそろりと店内を歩きはじめた。
カウンターをそっと撫でる。リアが磨いてくれた、優しい木の手触り。
壁に飾られた、仲間たちのイラスト。まるで、楽しい日常の断片を切り取った物語。
(ここは、追い出されない場所……)
そう思った瞬間、涙がにじみそうになる。
彼女は、おそるおそる窓際の席に座り、光だまりの中でぴーちゃんと目を合わせた。
「きゅる?」
その一言に、シエルの唇が自然と動き出す。
歌声が、ぽつりとこぼれた。
評価されるためではない。誰かに見せるためでもない。
ただ、この小さな幸せをそっと抱きしめるための、ひとりの少女の素顔の歌だった。
♪~この陽だまりも、いずれは夜に飲まれるのでしょう……
それでも、今は……温かいですね……
この一瞬に 胸がふるえる……
こんな気持ちを 信じてみたい……♪
* * *
カラン――
扉の鈴が鳴った。
「いやー、いい素材が手に入ったな! これで最強の推しグッズが……」
オタクミの声が、途中で止まる。
響くのは、店内を満たす歌声。
今までとはまるで違う、優しくて、柔らかくて、胸に沁みる――
シエルの、素の声だった。
「……!」
誰も言葉を発せず、ただその場に立ち尽くす。
カーテンの隙間からそっと覗くと、そこには――
陽だまりに包まれ、ぴーちゃんを撫でながら、ほんの少しだけ笑って歌う、シエルの姿があった。
歌い終わったあと、彼女は深く息を吐き、心底安心したように、窓辺でこくり、こくりと船を漕ぎ始める。
ぴーちゃんも、彼女の膝の上で丸くなり、目を閉じた。
隣を見ると、リアがその尊い光景に、無言で涙を流しながら、夢中でスケッチブックにペンを走らせている。
セラも、いつもは厳しいその表情を和らげ、釘付けになったようにシエルの寝顔をじっと見つめていた。
アーグは深く頷き、呟いた。
「……プライスレス、だな」
そして、オタクミは――
(……これが……日常系、尊み……!)
あまりの感動に、口から「ぐふっ」と奇声が漏れた。
「!?!?」
その音で、シエルが目を覚ます。
「「「やばっ!!」」」
一行は反射的にカーテンの影に隠れ、数秒後、まるで何事もなかったかのように店へ入る。
「ただいまー! 留守番ありがとう、シエル!」
「何か変わったことは……あったか?」
「お、おかえりなさいませっ! …い、異常ありませんでした! ホコリも敵も、ぜんぶ撃退しました!」
その様子に、仲間たちは誰も笑わなかった。
ただ、微笑みながら、その寝顔の記憶を心にしまった。
そしてその日から。
彼女はただの“逸材”ではなく、「大切な一員」として――
少しずつ、少しずつ、仲間たちの心に根を張っていくのだった。




