表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/66

はじめてのお留守番

シエルが仲間(という名の三食おやつ付きボーカル・トレーナー)として、カフェ『KIRABOSHI』に迎え入れられてから、数日が経った――。


その朝、店内はいつにも増して活気に満ちていた。


「よし、みんな! 今日は新作グッズの素材を、市場に買い出しに行くぞ!!」


カウンター中央で、オタクミが長大な買い物リストを掲げて高らかに宣言する。


「アーグの情報によれば、市場の奥にあるドワーフの工房で、特注のSDキャラ・ピンバッジが作れるらしい! リア、お前のデザインセンスを生かす時が来たぞ!」


「はいっ、頑張ります!」


リアは期待に目を輝かせ、アーグは淡々と予算を再確認し、セラは腰のナイフを手入れしながら「護衛任務ね」と小さく呟いていた。

新しい計画に向けて、全員の士気は高い――ただ、一人を除いては。

にぎやかな雰囲気のなか、シエルだけがテーブルの隅で顔を青ざめさせていた。肩の上のぴーちゃんまで、心配そうに首を傾げている。

彼女の脳裏に広がっていたのは、「市場」と聞いて即座に想像した、地獄のような人混みの光景だった。

(し、市場…? 人がゴミのように詰め込まれ、視線が四方八方から突き刺さってくるあの場所……!)


あのトラウマ――

「呪いの歌声」と呼ばれ、村を追われ、群衆から石を投げられた記憶が、理不尽なフラッシュバックとなって彼女を襲う。

(無理…です……私なんかが行ったら……きっとまた……)


「よし、準備はいいな! 行くぞ、シエル!」


オタクミの声がかかると、シエルの体がビクッと跳ねた。


「ひっ…!」


その反応に最初に気づいたのは、リアだった。


「シエルちゃん…顔色が…もしかして、体調悪い?」


リアの声に、オタクミもハッとしてシエルに目を向けた。

その怯えきった表情に気づき、彼の中でプロデューサーのスイッチが入る。


「……そうか、無理するな。まだ人混みはしんどいよな」


彼は、静かに歩み寄り、シエルに優しく語りかけた。


「いいか? これは命令じゃない。俺たちの聖域サンクチュアリを守る、大事な任務だ。留守番、頼んだぞ」


その言葉に、セラもそっぽを向いたまま小さく呟く。


「…アンタが来ても、荷物になるだけでしょ」


ぶっきらぼうだが、間違いなくそれは“思いやり”だった。

シエルの中で、胸の奥の何かが静かに溶けていくのを感じた。

この人たちは、自分を見捨てたりしない。怖がっても、責めない。


「は、はい……。わ、私……お留守番、がんばります……!」


小さな声ながら、自分の意志で答えたその一言は、彼女にとって大きな一歩だった。


*  *  *


仲間たちが出かけ、カフェには静寂が戻った。

カチ、カチ…と壁掛け時計の音が、やけに大きく響く。


(誰もいないと……逆に、ちょっと寂しいかも…?)


その静けさの中で、シエルは真面目にドア前に仁王立ちしていた。ぴーちゃんが、肩の上で不思議そうに「きゅる?」と鳴く。


だが、ホコリも現れず、異常は皆無。

シエルはそろりと店内を歩きはじめた。

カウンターをそっと撫でる。リアが磨いてくれた、優しい木の手触り。

壁に飾られた、仲間たちのイラスト。まるで、楽しい日常の断片を切り取った物語。


(ここは、追い出されない場所……)


そう思った瞬間、涙がにじみそうになる。

彼女は、おそるおそる窓際の席に座り、光だまりの中でぴーちゃんと目を合わせた。


「きゅる?」


その一言に、シエルの唇が自然と動き出す。

歌声が、ぽつりとこぼれた。

評価されるためではない。誰かに見せるためでもない。

ただ、この小さな幸せをそっと抱きしめるための、ひとりの少女の素顔の歌だった。


♪~この陽だまりも、いずれは夜に飲まれるのでしょう……

それでも、今は……温かいですね……

この一瞬ときに 胸がふるえる……

こんな気持ちを 信じてみたい……♪


*  *  *


カラン――


扉の鈴が鳴った。


「いやー、いい素材が手に入ったな! これで最強の推しグッズが……」


オタクミの声が、途中で止まる。

響くのは、店内を満たす歌声。

今までとはまるで違う、優しくて、柔らかくて、胸に沁みる――


シエルの、素の声だった。


「……!」


誰も言葉を発せず、ただその場に立ち尽くす。

カーテンの隙間からそっと覗くと、そこには――


陽だまりに包まれ、ぴーちゃんを撫でながら、ほんの少しだけ笑って歌う、シエルの姿があった。

歌い終わったあと、彼女は深く息を吐き、心底安心したように、窓辺でこくり、こくりと船を漕ぎ始める。

ぴーちゃんも、彼女の膝の上で丸くなり、目を閉じた。


隣を見ると、リアがその尊い光景に、無言で涙を流しながら、夢中でスケッチブックにペンを走らせている。

セラも、いつもは厳しいその表情を和らげ、釘付けになったようにシエルの寝顔をじっと見つめていた。

アーグは深く頷き、呟いた。


「……プライスレス、だな」


そして、オタクミは――


(……これが……日常系、尊み……!)


あまりの感動に、口から「ぐふっ」と奇声が漏れた。


「!?!?」


その音で、シエルが目を覚ます。


「「「やばっ!!」」」


一行は反射的にカーテンの影に隠れ、数秒後、まるで何事もなかったかのように店へ入る。


「ただいまー! 留守番ありがとう、シエル!」


「何か変わったことは……あったか?」


「お、おかえりなさいませっ! …い、異常ありませんでした! ホコリも敵も、ぜんぶ撃退しました!」


その様子に、仲間たちは誰も笑わなかった。

ただ、微笑みながら、その寝顔の記憶を心にしまった。


そしてその日から。


彼女はただの“逸材”ではなく、「大切な一員」として――

少しずつ、少しずつ、仲間たちの心に根を張っていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ