推しにはなれない俺だけど
ラザリス秋葉原化計画をぶち上げた翌日。
オタクミは朝から妙に静かだった。
昨夜までなら、宿の一室に紙を広げて「ここを売場に!」「ここを語り場に!」などと勝手な未来図を描いていてもおかしくない時間だというのに、今日は腕を組んだまま、やけに神妙な顔をしている。
リアが不思議そうに覗き込んだ。
「先生、どうしたんですか?」
「考えていた」
「珍しい」
セラが即座に言った。
「失礼だな!?」
「で、何を?」
オタクミはゆっくり立ち上がると、三人を見回した。
「昨日、俺はアイドルについて説明した」
「したわね」
「歌ったり踊ったり、その人自身を応援する存在!」
「そんな感じでした」
「そして俺たちは、そういう人を探すことになった」
アーグが頷く。
「まだ探す条件すら定まっていないがな」
「そこでだ!」
オタクミは指を突き上げた。
「お前ら、たぶんまだ本当の意味では分かってないだろ!」
「何を?」
「アイドルの尊さを!」
セラが目を細める。
「嫌な予感しかしない」
「なので――」
オタクミは大きく息を吸った。
「俺が見本を見せる!!」
「やめといた方がいいと思います」
リアの返事が速かった。
「リア!?」
「だ、だって先生、歌とか踊りって経験あるんですか?」
「ない!」
「じゃあ、やっぱり……」
「だが推しへの愛ならある!」
「それで全部押し切ろうとするの、そろそろやめない?」
セラの忠告を無視し、オタクミは部屋の中央へ移動した。
「いいか。まず歌だ」
「何を歌うんだ?」
アーグが聞く。
「ミスティア様の魅力を即興で!」
「即興なのか」
「準備してないからな!」
「見本とは」
オタクミは胸に手を当てた。
目を閉じる。
一呼吸。
そして――。
「みぃぃぃぃすてぃあさまぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!」
部屋が震えた。
いや、正確には音が震えていた。
高いのか低いのかも分からない声が壁にぶつかり、跳ね返り、妙なところで裏返る。
「その微笑みぃぃぃぃ!! 金色の髪ぃぃぃぃ!! そしてぇぇぇぇぇ――」
『止めろ!』
ゴルドスが耐えきれず叫んだ。
『歌ではない! 推し情報を音程らしきものへ乗せただけだ!』
「まだサビ前だぞ!」
『永遠に来なくていい!』
リアは両手で口を押さえている。
「す、すごいです先生……!」
「お、分かるか!」
「気持ちは……すごく伝わってきます!」
「他には!?」
「気持ちは!」
「二回言った!」
セラは壁の方を向いて肩を震わせていた。
「お前笑ってるだろ!」
「笑ってない」
「こっち見て言え!」
「無理」
アーグだけは、なぜか真面目な顔で観察していた。
「声量はある」
「ほら!」
「だが、それ以外を評価する尺度を私は持っていない」
「実質ゼロ点!」
「まだ終わってない!」
オタクミは懲りずに両腕を広げた。
「次! ダンス!」
「まだやるの?」
「歌だけでアイドルを語るな!」
腰を落とす。
右手を上げる。
左足を出す。
その時点で、本人の中では何か完璧な振り付けが完成していたらしい。
だが実際には、右手を上げた瞬間に左肩が下がり、足を踏み出せば身体が逆へ流れ、勢いを戻そうとして腰だけが妙な方向へ回った。
「ふっ! はっ! ここでターン!」
「先生、壁!」
「うおっ!?」
危うく棚へ突っ込みかけ、オタクミはその場で無理やり方向転換する。今度は足が絡まり、最後だけはどうにか片膝をついたポーズで止まった。
静寂。
リアが拍手した。
一人だけ。
ぱち、ぱち、ぱち。
「……ありがとうございました」
「終演後みたいに言うな!」
セラがようやく顔を戻す。
「ねえ」
「何だ」
「自分ではどうだった?」
「……」
オタクミは立ち上がり、窓に映った自分を見た。
記憶の中では、もっとこう、流れるような動きだった。
指先まで決まっていた。
表情も完璧だった。
今の現実には、息を切らして髪を乱した自分しかいない。
「おかしい」
「何が?」
「脳内では完璧だった」
『脳内公演だけにしておけば伝説だったな』
「ゴルドス、お前今日ちょっと辛辣じゃない?」
『耳を犠牲にした者の権利だ』
オタクミはその場へ座り込んだ。
「……向いてない」
セラが即答した。
「うん」
「少しは溜めろよ!」
「本人も分かったでしょ」
「分かったけど!」
悔しくないわけではない。
歌えたら楽しいだろうと思った。
踊れたら格好いいだろうとも思った。
実際、やっている最中はかなり楽しかった。
「でも先生」
リアが隣へ座る。
「楽しそうでしたよ」
「……まあな」
「じゃあ、やった意味はあったんじゃないですか?」
オタクミは少し考えた。
「楽しかった。でも……」
顔を上げる。
「俺、ミスティア様の良さ語ってる時の方がテンション高くない?」
「高いです」
「高いわね」
「高いな」
『比べるまでもない』
「全員即答!?」
四方向から刺された。
オタクミは胸を押さえた。
「そこまで!?」
リアが笑う。
「先生、自分のことを見てもらう時より、誰かの良いところを話してる時の方が嬉しそうです」
その言葉に、オタクミは黙った。
思い返せばそうだった。
自分がどう見られるかより、ミスティアを見てほしかった。
リアの絵を見てほしかった。
客が自分で選んだ一枚の話を聞く方が面白かった。
アーグが「このままでいい」と言った時だって、本人以上に嬉しくなった。
「……俺、自分が中心じゃなくていいのか」
「今さら?」
「セラさん容赦なくない?」
「ずっとそうだったでしょ」
アーグが腕を組む。
「お前は他人へ見せる対象を見つけると、急激に騒がしくなる」
「分析結果みたいに言うな」
「事実だ」
「でも……そうか」
オタクミは少し笑った。
「俺、推される側になりたいわけじゃなかったんだな」
誰かに自分を見てほしい。
自分を応援してほしい。
そういう気持ちがないわけではない。
だが、それより先に出てくるのはいつも「これを見てくれ」だった。
自分ではなく、好きになった何かを。
「じゃあ」
オタクミは立ち上がった。
「俺はプロデューサー側だ!」
「ぷろでゅーさー?」
リアが首を傾げる。
「応援する相手を見つけて、その良さをみんなに伝えて、活動を支える側!」
「さっきまで自分で歌ってた人が言うと説得力ないわね」
「失敗したから分かったんだよ!」
『立ち直りだけは早いな』
「長所!」
オタクミは机へ移動し、紙を引き寄せた。
「よし。じゃあ理想のアイドル条件を決める!」
「結局そうなるの?」
「探すなら条件いるだろ!」
勢いよく書き始める。
「まず歌が――」
止まる。
「上手い人、ですか?」
リアが聞く。
「……いや、上手い方がいいけど、それだけじゃないな」
別の言葉を書く。
「笑顔が――」
また止まる。
「笑顔がいい人?」
「それも……笑わないタイプでも推せるしな」
セラが横から覗く。
「見た目?」
「好みはある!」
「正直」
「でも見た目だけで決めるのも違う」
「根性?」
アーグが言う。
「それもあったら嬉しい。でも、弱いところがあるから駄目ってのも違うし……」
紙には、書きかけの言葉ばかりが残った。
オタクミは頭を抱える。
「決まらん!」
「さっきまであんなに偉そうだったのに」
「理想を言葉にすると急に難しい!」
リアが、しばらく紙を見ていた。
「先生」
「ん?」
「ミスティア様を好きになった時も、こういう条件を先に決めて探したんですか?」
オタクミの手が止まった。
「……いや」
「じゃあ、どうして?」
「それは……」
あの夜にも考えた。
いつから好きだったのか。
何を見て惹かれたのか。
今なら少しだけ分かる。
「見てたら、いつの間にか気になってた」
リアが頷く。
「だったら、次の人もそうなんじゃないですか?」
「……条件に合うから推すんじゃない」
「はい」
「推したあとに、好きなところがいっぱい見つかる」
「先生、いつもそうですよね」
「俺そんな単純?」
「かなり」
セラが答えた。
「お前には聞いてない!」
アーグが、書きかけの紙を見る。
「だが、条件を決めなければ探索範囲が広すぎる」
「そうなんだよなあ」
「歌える者だけでも相当数いるだろう」
「それもそうだ」
オタクミは少し考え、紙を裏返した。
「じゃあ、条件は決めすぎない」
「非効率だな」
「うん」
アーグはすぐには否定しなかった。
しばらく考えたあと、小さく息を吐く。
「……だが、今回はその方がいいのかもしれない」
「お?」
「数字で絞れば、数字に表れない理由を落とす」
オタクミが笑う。
「分かってきたじゃん」
「お前に言われると腹が立つな」
「なんで!?」
セラが紙を指先で叩く。
「で、結局どうやって探すの?」
「会う」
「広い」
「見る」
「雑」
「話す!」
「まだ雑」
「そして気になったらもっと見る!」
「もう条件じゃないでしょ」
「推しとの出会いを条件検索できるか!」
オタクミは胸を張った。
「俺はアイドルには向いてない!」
「うん」
「だからそこ即答するな!」
セラは肩をすくめた。
オタクミは少しだけ笑ってから、今度は真面目な顔になる。
「俺自身が誰かの推しになれるかは知らん。でもさ」
リアたちを見る。
「誰かの良さを見つけて、『こいつを見てくれ!』って叫ぶことならできる」
それだけは、自信があった。
「本人が嫌だって言うことまで勝手にやるのは違うけどな」
「昨日覚えたやつね」
「学習してます!」
『珍しくな』
「ゴルドス!」
リアが嬉しそうに新しい紙を取り出す。
「じゃあ、探しに行くんですね」
「行く!」
「歌が上手い人を?」
「それも見る!」
「踊れる人?」
「それも!」
「じゃあ、どんな人?」
オタクミは少し考えた。
そして笑う。
「まだ知らん!」
「そこを決める話じゃなかったの?」
「会ってから決める!」
セラが深くため息をつく。
「昨日より計画が雑になってる」
「違う! 余白が増えたんだ!」
「言い方」
アーグが立ち上がる。
「なら、まず情報を集めるべきだ。歌う者、踊る者、旅芸人、吟遊詩人。表現を仕事にしている者から当たればいい」
「よし!」
「ただし、お前一人で声をかけるな」
「なんで!?」
「怖いから」
「セラ!?」
「私も賛成です」
「リアまで!?」
『全会一致だな』
「俺のプロデューサー人生、信頼ゼロから始まるの!?」
笑い声が広がった。
オタクミも最後には笑った。
自分が舞台の真ん中に立つ必要はない。
自分が一番輝かなくてもいい。
まだ誰にも知られていない誰かを見つけ、その人自身が持つものを、誰かへ届ける。
それができるなら。
推しにはなれない俺でも、推す側としてやれることはある。
「よし!」
オタクミは拳を握った。
「次は街だ!」
「何するの?」
「聞き込み!」
「普通!」
「こういう時は基本が大事なんだよ!」
こうして、まだ顔も名前も知らない誰かを探すための一歩が始まった。
条件に合う理想の誰かではなく。
出会ってから、好きな理由を見つけたくなる誰かを探すために。




