ラザリス秋葉原化計画
昨夜の思いつきは、一晩寝ても消えなかった。
むしろ朝になったら悪化していた。
宿の一室。いつもの机の上に紙を広げたオタクミは、そこへ大きな字を殴り書きすると、満足そうに腕を組んだ。
「よし!」
向かいに座るリアが、紙を覗き込む。
「先生、なんて書いてあるんですか?」
「読めない」
セラが即答した。
「字じゃなくて勢いで書いてない?」
「失礼な。魂を込めた文字だ」
「読めないなら意味ないでしょ」
アーグまで無言で紙を眺めている。しばらく考えたあと、真顔で言った。
「新種の商標か?」
「違うわ!」
オタクミは紙を持ち上げた。
「ここに書いてあるのは――『ラザリス秋葉原化計画』だ!」
沈黙。
リアが首を傾げた。
「……あきはばら?」
「秋の、原?」
セラも続く。
『また始まったな』
腰の鞘からゴルドスの声がする。
「またとはなんだ、またとは! 今回は昨日の夜からちゃんと考えた!」
「それ、考えた時間が長いって意味にはならないから」
「セラさん今日も厳しい!」
オタクミは咳払いを一つすると、紙を机へ戻した。
「いいか。昨日、俺たちは話しただろ。見るだけじゃなくて、作って、選んで、語れる場所があったら面白いって」
「言ってたわね」
「それを考えてたら思い出したんだよ。俺のいた世界に、それに近い場所があった」
オタクミは立ち上がった。
「秋葉原――通称アキバ。それは、このオタクミという男を育てた聖地にして沼!」
「育てた場所を沼って言うの?」
「褒め言葉だ!」
「そうなの……?」
リアが不安そうにメモを取る。
「アキバにはな、いろんな店がある。絵もある。グッズもある。本もある。人もいる。何かを作る奴がいて、それを売る奴がいて、買う奴がいて、語る奴がいる。イベントを見に行く奴もいれば、たまたま通りかかって、今まで知らなかったものを好きになる奴もいる」
アーグが少しだけ眉を動かした。
「要するに、特定の商品や趣味へ需要が集中した市場か」
「市場だけじゃねえんだよ!」
「違うのか?」
「違う! いや市場でもあるけど、それだけじゃない!」
オタクミは机を叩きそうになって、一度手を止めた。昨日までの注文票が置かれているのを見て、そっと位置をずらしてから叩く。
「こう、なんていうか……好きなものを持ってる奴らが、それぞれ勝手に集まってんだよ!」
「急に説明が雑になった」
「でも大事なんだって!」
リアが少し考える。
「知らなかった絵を、そこで初めて見ることもあるんですか?」
「ある!」
「描いた人に会えることも?」
「ある!」
「自分で描いたものを持っていく人も?」
「いる!」
リアの表情が明るくなる。
「それ、楽しそうです」
「だろ!?」
「待って」
セラが二人の間へ手を出した。
「つまり、ラザリスをその……アキバって場所みたいにするってこと?」
「そう!」
「街を?」
「そう!」
「全部?」
「できれば!」
「規模!」
「夢はでかく!」
セラが額を押さえた。
「昨日より話が大きくなってる……」
「文化ってのはな、育つ時は育つんだよ!」
「誰が世話するの」
「みんな!」
「一番危ない答え出た」
アーグが紙へ視線を落とす。
「だが、完全な空想でもない」
「お?」
「すでに近いものはある」
その言葉に、オタクミが口を閉じる。
アーグは指を一本ずつ折った。
「リアは描く。職人は加工する。客は選ぶ。贈る者もいる。複数を並べる者もいる。売場では、知らない客同士が絵について話していることもある」
セラが付け足す。
「勝手に変な解釈する人もいるし」
「誰のことかなあ?」
「知らない」
「こっち見て言え!」
リアが苦笑する。
オタクミは黙ったまま、机の上の紙を見た。
描く人。
作る人。
選ぶ人。
語る人。
昨夜の吟遊詩人だってそうだ。誰かが昔の物語を語り、それを聞いた少年が続きを知りたがった。
「……あれ?」
「何?」
「もう始まってない?」
セラが眉を上げる。
「何が」
「アキバ化」
「してない」
「いやでも、要素はあるだろ!」
「街を勝手に改造したみたいに言うな」
「違う違う。そうじゃなくてさ」
オタクミは紙の空いている場所へ、丸をいくつも描き始めた。
「俺が全部作る必要ないんだよ」
リアが手元を見る。
「どういうことですか?」
「リアはもう描いてる。職人はもう作ってる。客は勝手に選び始めた。セラは勝手に話を盛り始めた」
「最後だけ言い方悪くない?」
「アーグは売れ方とか、人が何を選ぶか見てる」
「私は分析しているだけだ」
「それでいいんだよ。もう、それぞれ始めてるんだ」
丸と丸の間に線を引く。
「だったら、あとはつなげればいい」
誰かが描いたものを、別の誰かが見る。
見た人が語る。
語られたものに興味を持った人が、別の何かを探す。
売るためだけではなく、知るために。
知ったものを、自分の好きな形で持つために。
「俺さ、昨日まで『何を作るか』ばっか考えてたんだけど」
オタクミはペンを止めた。
「『誰がいるか』も大事なんだな」
リアが笑う。
「人が集まる場所にするんですね」
「そう!」
オタクミの勢いが戻る。
「絵を描く奴! 物を作る奴! 語る奴! 売る奴! 買う奴! なんかよく分からんけど見に来た奴! そういう連中が一緒になったら絶対面白い!」
「最後の人、かなり雑だけどね」
「新規層は大事だぞ!」
アーグが頷く。
「未知の客が入ってくる導線は重要だ」
「ほら!」
「そこで急に商売の顔しないで」
オタクミは笑いながら、さらに紙へ書き足そうとして手を止めた。
「……人、か」
昨夜の言葉が頭へ戻る。
自分がどうしてミスティアを好きになったのか。
物語を知ることで、知らなかった誰かを気にするようになること。
そしてもう一つ。
オタクミの世界には、物語の中の人物だけではなく、目の前で歌い、踊り、喋り、失敗し、成長していく姿そのものを応援する文化もあった。
「そうだ」
オタクミの声色が変わる。
セラが嫌そうな顔をした。
「何その顔」
「また何か思いついたでしょ」
「俺、まだ何も言ってない!」
「言う前から分かるようになった」
「成長したな!」
「嬉しくない」
オタクミは構わず、人差し指を立てた。
「アキバにいるのは、物だけじゃない」
「さっき人もいるって言ってたでしょ」
「そういう意味じゃなくて! その人自身を応援する文化もあるんだよ!」
リアが瞬きをする。
「その人自身を?」
「そう。歌ったり、踊ったり、喋ったり。最初は上手くなくてもいい。頑張って、失敗して、少しずつできるようになって……その姿を見てるうちに、『この人を応援したい』って思うんだ」
アーグが考え込む。
「技能ではなく、過程にも価値が生まれる?」
「そう! もちろん歌とか演技とか、上手いに越したことはない。でも、それだけじゃない。本人の挑戦ごと好きになる」
「それが?」
リアが尋ねる。
オタクミは胸を張った。
「アイドルだ!」
「アイ……ドル」
リアが慎重に復唱する。
「食べ物ではない」
「先に言うな!」
「言いそうだったから」
セラが口元をわずかに上げる。
「そのアイドルって、誰か決まってるの?」
「いや」
「決まってないの?」
「まだ!」
「計画ガバガバじゃない?」
「これから探すんだよ!」
オタクミは紙へ大きく書き足した。
描く人。
作る人。
売る人。
選ぶ人。
語る人。
歌う人。
応援する人。
文字の並びを見たリアが、少し嬉しそうに笑う。
「増えましたね」
「増えたな」
アーグが言う。
「増えたわね」
セラも続く。
『増えたな』
ゴルドスまで乗った。
「お前ら何その冷静な連携!?」
「事実だから」
オタクミはぶつぶつ言いながら、紙の一番上を丸で囲んだ。
ラザリス秋葉原化計画。
自分でも、でかすぎる名前だと思う。
だが、不思議と前ほど「自分が全部広めてやる」という感じではなかった。
もう、この街では誰かが勝手に何かを好きになり、誰かが作り、誰かが自分なりの楽しみ方を始めている。
なら、自分がやるのは、その全部を一つの形へ揃えることではない。
出会えるようにすることだ。
「よし」
オタクミは立ち上がった。
「まずは探すぞ!」
「何を?」
「人!」
「広すぎる」
「歌える奴! 何か伝えたい奴! 見てると応援したくなる奴!」
セラが眉を寄せる。
「条件が増えたのに全然絞れてない」
「そういうのは会ってから分かる!」
「完全に勢いじゃない」
「勢いは大事!」
リアはすでに新しいページを開いていた。
「見つけた人を描いてもいいですか?」
「もちろん!」
「本人が嫌がったら?」
セラの一言に、オタクミが止まる。
「……許可取ります」
「よろしい」
「先生扱い逆じゃない?」
『日頃の行いだな』
「昨日も聞いたぞそれ!」
笑い声が宿の一室に広がる。
紙の上には、まだ雑な言葉しかない。
街をどうするのか。
誰を探すのか。
何から始めるのか。
決まっていないことばかりだった。
それでもオタクミには、昨夜より少しだけ先が見えていた。
好きなものを見せるだけではなく、好きなものについて話せる場所。
誰かが作ったものを、別の誰かが見つけられる場所。
そしていつか、まだ誰にも知られていない誰かを、「応援したい」と思える場所。
そんな街になったら面白い。
その最初の一歩が、どこにいるのかも知らない誰かを探すことだった。




