セイレーンの正体
バーベキューの煙がゆるやかに川辺に立ち上る。
あれほど騒がしかった川辺が、今はまるで森ごと息をひそめているかのように静かだった。
リアとアーグは、まだ震えの残る少女――シエルのそばに座り、ぴーちゃんと名付けられたフワフワの「歌真似鳥」とともに、彼女が心を落ち着けるのを静かに待っていた。
そこへ、森の茂みがガサガサと揺れ、元気な声が響く。
「戻ったぞ、諸君!」
森を抜けて帰ってきたのは、意気揚々としたオタクミと、ぐったりしたセラ。
その後ろには、ゆるくロープで縛られた巨大な鳥の魔物がついてきていた。
「こいつが、あの歌声の元凶――いや、投稿者だった! 名は歌真似鳥! だが、本家の歌声は別にある!」
オタクミは勝ち誇ったように宣言したが、セラは無言で頭を抱えている。
「先生! 私たちも――」
リアが叫ぼうとしたその瞬間、オタクミの目が、リアたちの背後にぴたりと吸い寄せられた。
その濡れ羽色の髪。透き通るような肌。あのスケッチ画の、物悲しくも美しい瞳――。
「お前ら…! この『奇跡の一枚』を見て、この子がモデル本人だって、分からなかったのか!!?」
「えっ!?」
驚くリアとアーグの横で、少女は肩を震わせ、小さく身を引いた。
だがその瞬間。
「やめてっ!」
少女が叫び、リアたちの前に飛び出した。
彼女は、ぴーちゃん――歌真似鳥の前に両手を広げて立ちはだかっていた。
「その子は……ぴーちゃんは、食べ物じゃありません……! 私の、たった一人の、友達なんです……!」
その声は、震えていた。けれど、確かな強さがあった。
ぴーちゃんも、くるんとシエルにすり寄り、「きゅるる……」と一声鳴いた。
それは、模倣ではない。ふたりだけが分かる、心を通わせる歌だった。
リアとアーグが、ようやく気づく。
この子こそが、歌声の主――『嘆きのセイレーン』だったのだと。
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一行は焚き火の周囲に座り、改めてバーベキューを再開した。シエルとぴーちゃんも輪に加わり、皆で魚を焼きながら、静かな夕暮れのひとときを過ごす。
リアが焼いた魚を皿に盛り、そっとシエルの前に置いた。
「どうぞ。さっきは、びっくりさせちゃってごめんね」
シエルはおずおずとそれを受け取り、口元に運ぶ。そして、ひと口。
小さな体が、ビクッと震えた。
「お、美味しい……こんなの、久しぶり……!」
そんな彼女に、リアが優しく微笑んだ。
「シエルちゃんは、ずっとこの森にいたの?」
シエルは少しだけぴーちゃんに目をやり、こくりと頷いた。
「……ぴーちゃんと出会ったのは、ずっと前。……森で、倒れてた私を、ずっと見守っててくれたの」
その声に、焚き火の音が少しだけ揺れる。
「私、昔は村にいたんです。でも……私の歌、変だって言われて……気味悪がられて……。
“呪いを呼ぶ声”だって……。その噂が広がって、家族にも、村からも……捨てられて……」
言葉の一つひとつが、静かに夜の川辺に落ちていった。
「それで……森に逃げて。誰とも話さず、ぴーちゃんとだけ、過ごしてました。
……歌うの、やめようとも思った。でも……ぴーちゃんだけは、聞いてくれた。嫌な顔、一度もしなかった」
リアは手をぎゅっと握りしめていた。アーグは、ただ黙って火を見ていた。
シエルはふと、口の端を持ち上げるようにして言った。
「だから、ぴーちゃんだけは、私の全部を知ってる。……私の、唯一の家族なんです」
火の光が揺れ、ぴーちゃんが小さく「きゅるる…」と鳴いた。
一同は言葉を失った。
オタクミは、焚き火を見つめたまま静かに呟く。
「それでも君は、歌うのをやめなかったんだな」
「……はい。苦しかったけど、歌うことだけは、やめられなかった。怖かったけど、ぴーちゃんといる時だけは、自然と歌えてたんです。……誰かに届かなくてもいい。でも……自分だけでも、自分の歌を信じたかったんです」
それは――
まさしく、「絶望の淵で浮かべる笑顔」。
魂の叫びそのものだった。
「……シエル君!」
沈黙を破ったのは、オタクミだった。
彼は厳かに立ち上がり、両膝を地につくと、彼女の前に跪く。
「君こそが、俺が探し求めていた三大原則をすべて内包した、究極のアイドルだ!」
「えっ!?」
「君の歌は呪いなんかじゃない! 世界を救う、魂の旋律だ! 君を、最高のステージに立たせてみせる! だから、俺たちの仲間に――!」
一同の視線が、固唾をのんで見守る中。
シエルは魚を咀嚼し終え、ゆっくりと、きっぱり言い放った。
「無理です」
「…………はい?」
「人前に立つのも、笑顔を作るのも……無理です。でも……このお魚は、本当に……美味しいです!」
そう言って、残った最後の一切れを愛おしそうに口へ運ぶシエル。
世紀のスカウトは、満腹による即答拒否というかつてない形で終焉を迎えた。
沈黙。
そして――
「っはっはっはっはははっ!!」
アーグが豪快に笑い、リアは「かわいい…!」と両手で頬を包む。
セラはため息をつきながらも、目尻がわずかに緩んでいた。
オタクミは、焚き火の前で、地に膝をついたまま、燃え尽きたように言った。
「最高の笑顔やん……。これが……伝説の、尊死か……」
ラザリスの空に、オタクの魂が溶けていった。




