アイドリ
嘆きの湖のほとりに響く、魂を締め付けるような歌声。
「間違いない……!」
オタクミは両手を握りしめ、目を潤ませて叫んだ。
「この魂の叫び! 俺が探し求めていた『本物』だ!」
仲間たちも息を呑む。その声は、まるで湖そのものが歌っているかのような、深く澄んだ音色だった。
しかしその時だった。
「……待って」
セラの声が、一同の緊張をさらに引き締めた。
彼女の視線は、湖上流の方向ではなく、一行のすぐ近くにある大きな岩陰を射抜いていた。
「歌声はあっちからだけど……違う。私たち、さっきからずっと“見られてる”。あの岩陰から。誰かの気配がする」
「なっ……!?」
オタクミの目が見開かれる。歌声の主と、視線の主は別人……?
アーグが素早く腰の後ろへ手をやる。「歌声の主と、あの絵を描いた勇者がいるのか?それとも、これは罠か?」
一瞬の静寂の後、場を仕切ったのはやはり彼だった。
「よし、二手に分かれるぞ!」
ビシッと指を立て、プロデューサーらしいドヤ顔を浮かべるオタクミ。
「歌声は間違いなく『本命』だ! 俺とセラで、セイレーンの心を掴みに行く!
リア、アーグ! お前たちはその岩陰の主の方を頼む! あの『奇跡の一枚』を描いた神絵師本人かもしれない! 見極めてくれ!」
⸻
少し離れた岩陰――。
森の茂みの隙間から、一組の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
(……なんだろう、いい匂い……)
少女は唇をそっと舐めた。
空腹はもう慣れたはずなのに、その香りは、胸の奥に火を灯す。
温かい。柔らかい。……人の輪の中の匂いだった。
(行っちゃダメ……でも……)
お腹が鳴った。少女はあわててお腹を押さえたが、その音は誰にも聞こえていない。
(少しだけ、見るだけ……)
彼女――シエルは、いつものように誰にも気づかれないように、茂みに身をひそめた。
しかしその口元には、ほのかによだれが垂れていることに、彼女自身も気づいていなかった。
⸻
リアとアーグは、足音を殺して岩陰に近づいた。
やがて、二人の視界に現れたのは——
腰まで伸びた濡れ羽色の黒髪。
透き通るように白い肌。
ボロボロのワンピースをまとい、大きな瞳で湖を見つめる少女だった。
「……いた」
リアが小声で呟いた。
少女の視線の先には、さっきまで自分たちが楽しんでいたバーベキューの光景があった。
彼女の口元から、一筋のよだれが垂れている。
(……お腹、すいてるのかな)
リアがそっと一歩近づいた瞬間——
「ひゃっ!?」
少女がビクッと身を震わせ、慌てて後退しようとする。
だがその退路を、アーグが無言で塞いだ。
「お嬢ちゃん、怖がらせるつもりはないんだ」
彼は懐から「奇跡の一枚」を取り出し、そっと掲げる。
「我々は、この絵の少女と、それを描いた人物を探している。……心当たりはないか?」
リアが、なるべく優しい声で続ける。
「あなた……この絵に、見覚えは?」
少女——シエルは、絵を一目見るなり、驚きと戸惑いの入り混じった顔で震え始めた。
「ち……違います……! 私じゃ……ない……でも、この絵……私、に……似てる……どうして……!? ごめんなさい、ごめんなさい……!」
混乱し、膝を抱えるようにしゃがみ込むシエル。
リアとアーグは、ただ静かに彼女の側に寄り添った。
(彼女が、あの絵のモデル?……じゃあ、あっちの歌声は……?)
⸻
一方その頃、オタクミとセラは、森の奥を進んでいた。
「よーし、セイレーンの元へ突撃だあああああ!」
「待て。素人」
セラがピシャリと遮る。
「相手は正体不明で、しかも警戒心が強い。あんたみたいなのが真正面から突っ込んでいったら、即逃げられるわよ」
「む……!」
「ここは、プロのやり方でいく。あんたは私の後ろで、絶対に音を立てないで」
そう言うと、セラは森の陰に体を溶かすように進み始めた。
葉一枚すら揺らさず、足音も皆無。
まさに狩人の動きだった。
一方その後ろでは——
「うおっ、くっそ……木の根っこ! いてぇっ!?」
「うわ、蜘蛛の巣ぃぃぃ!」
枝を踏み、石を蹴り、蜘蛛の巣に絡まる、騒音爆弾ことオタクミ。
ゴルドス『完全に足手まといでござるな……』
ようやく歌声の発生源にたどり着いた二人。
そこにいたのは、丸々とした丸い体躯に鮮やかな羽毛、愛嬌たっぷりの顔立ちをした——
「……でっけぇ、鳥!?」
「……ただの魔物だったみたいね」
そう言いかけたその時、ゴルドスの声が響いた。
『あれは《歌真似鳥》! 聞いた音を正確に模写する習性を持つ、無害な魔物でござる!』
「なっ……なるほどぉおおおお!! つまり……つまり!」
オタクミの目がギラリと輝く。
「本物のセイレーンの歌声を、この子が真似してたってことは……! 元の歌声は、まだ“どこかに”いるってことじゃないか!!」
興奮するオタクミ。
だがその熱が、違う方向へ暴走する。
「君のその声で、世界を救わないか!? アイドリになってくれ!!」
鳥「アイドリになってくれ!!」
「おおぉぉお! すげぇ! 完璧なリピート! 天才かお前!」
「俺のヘンテコダンスの裏で、その声を響かせてくれええええ!」
鳥「声を響かせてくれええええ!」
セラ「は?」
ゴルドス『まだお前自身がアイドルになるのを諦めてなかったんかい!!』
「違う! 違うんだ! 今度はユニットだ! アイドル(人間)×アイドリ(鳥)! の組み合わせもいいなぁって……」
「その鳥から離れなさい!リアのところに戻るわよ!」
セラが呆れた顔で、オタクミのフードを引っ張った。




