嘆きの湖へ
『……くぅ……ついにこの地を出るとはな……! やっと冒険者らしくなってきたな、オタクミ殿……!』
「お前……急に親目線になるなよ……」
オタクミは呆れ顔をしながらも、背筋をピンと伸ばし、宣言する。
「よし……最高の原石と出会うには、最高のコンディションが必要だと思うんだ。」
仲間たちが不思議そうに顔を見合わせる中、オタクミは、ぐるりと全員を見渡し――叫んだ。
「夏だ! 川だ! バーベキューだ! 明日、嘆きの湖に“バーベキューにふさわしい格好”で集合だーッ!!」
「え……?」
「唐突すぎる……」
セラが思わず呟く。
リアとアーグは一瞬、ポカンとした後、それぞれに深く頷いた。
「…了解。食料の現地調達か」
セラは、あくまで戦闘任務のような表情で納得。
「私、たくさんお魚捕まえますねっ!」
リアはやる気満々で拳を握りしめた。
「なるほど。これはサバイバル訓練の一環か。合理的だ」
アーグは、どこから取り出したのか、大きな解体用ナイフの刃を下で舐め、不敵に笑う。
(ん?おかしいな……なんかズレてるような……)
一瞬疑念がよぎったが、オタクミは彼らの表情に“本気”を見て、すぐに別の結論に至る。
「す、すげぇ……! バーベキューにかける情熱が尋常じゃねぇ!! さすが俺の仲間たち!」
(よし……この勢いなら、明日はあの神イラストTシャツとラッシュガードでキメていけるッ!! セラとリアの水着姿も拝めるかもしれねぇッ……!!)
胸の中で“推し活的期待”を叫びながら、オタクミはその日の夜、完璧なコーディネートに向けて全力で準備を進めた。
⸻
翌朝、嘆きの湖畔。
夏の陽光が静かに湖面を照らしていた。
まだ朝もやの残る湖畔に、ピクニックシートが一枚、丁寧に敷かれている。
その上に鎮座するのは――
ミスティア・ルミナスのイラスト入りラッシュガード!
派手な星柄のサーフパンツ!
首には防水仕様の痛タオル!
膝元には限定生産のミスティア・ランチボックス!
鼻歌交じりに焼き網をセットし、炭を整えるその姿は、完璧な水辺レジャーオタクだった。
「くっくっく……今日は“尊さ”と“水着”のダブルコンボだな……ふひひっ」
ゴルドス『なんで異世界転生して来てんのに、そんなのあるのっ!!!?』
「まぁ、細かいことは気にすんなって!( •ω- )☆」
だが、その楽園は、次の瞬間――音もなく崩壊する。
「先生、お待たせしました!」
現れたリアの姿に、オタクミは思わず炭バサミを取り落とした。
漁師風のレザー装備に、ガチの鉄製の銛(!)を構えたリアは、完全に湖の怪物狩りスタイルだった。
「私、今日は思いっきり獲って焼きます! いつもより多めに食材、集めますからね!」
その直後、背後の木陰から、セラが現れる。
彼女は簡易戦闘ジャケットを身にまとい、短剣と携帯式煙幕まで携行していた。
「…湖岸は、死角が多い。少なくとも、三方向からの侵入に備えて設営するべきだと思うわ」
(なにを警戒してんだ!?)
最後に姿を現したのはアーグ。
ハンター用の本格ジャケットに、遠距離用の仕掛け弓まで背負っている。
「水源に野営地を設けるのは基本だ。よく乾いた薪も見つけてある。焼き肉に最適だろう」
オタクミは、ラッシュガードの胸元を掴みながら、言葉を失った。
三人はオタクミの姿を見ると、ピタリと動きを止めた。
――そして、沈黙。
一秒。二秒。三秒。
「…………え?」
「…………なんで、水着?」
「…………その……お腹、見えてますよ、先生……」
「…………本当は男はいえ、ちゃんと肌を隠せ!けしからぞ!!(赤面)」
一同が固まり、全員の視線がすれ違う――まるで異文化交流会、失敗の瞬間である。
「ちょ、ちょっと待てお前ら!! なんで、ドラゴン狩りでも始めそうな格好してんだよ!? バーベキューだぞ!? もっとこう……水辺で! ワイワイ! キラキラの夏って感じで!」
リアが、心底不思議そうに答える。
「え? バーベキューって、川で魚や魔物を乱獲して、その場で焼いて食べる、自給自足の野営のことですよね……?」
「ちがあああああああああああああああう!!!!」
オタクミはその場に崩れ落ちた。
「ちがう! ちがう! BBQってのは、美少女たちが水着でキャッキャウフフして、オタクたちが『尊い…尊すぎる…!』って言いながら写真撮ってるイベントなんだよぉおおおお!!!」
「…………文化の違いね」
セラはすっと視線を逸らす。
「でも……なんか楽しそうです!」
リアだけが、元気いっぱいに笑った。
「…で、どうするのよ。やるの? やらないの?」
セラの冷たい視線が突き刺さる。
「ここに来て、異世界ジェネレーションギャップとは………。
やる…やるに決まってるだろ…! だけど、道具とか持ってきてないし……」
「あんたが獲れないなら、私たちがやるだけよ」
そう言うと、セラとリアは、早速獲物を探して川へと入っていく。
その手慣れた様子に、オタクミの男としての(?)プライドが刺激された。
「くっ…! やってやろうじゃねえか! 俺だって、やるときはやるんだ!」
彼は自分の背中に背負われた、愛しの痛武器に目をやった。
(まさか…ミスティア様の、この神々しいお姿を、生臭い魚を釣るために使うなど…! そんな冒涜、許されるはずが…!)
オタクミは涙を浮かべながら、痛武器を構えた。
「ミスティア様…どうかお許しください! この力、仲間たちの胃袋を満たすために、今、解放します!」
彼は痛武器に強く念じた。
(魚を…! 効率よく、そして何より尊く釣り上げられる形を…!)
その瞬間、痛武器が淡い光に包まれ、みるみるうちに形を変えていく。
刀身は音を立てて柔らかくしなり、リールとガイドラインが形作られ、柄の部分は異様なまでに精密なゴールド×パステルカラーのリールグリップに変形していく。
光が収まったとき、彼の手には、完全に**「痛々しい釣竿」**が握られていた。
その名も――
「痛武器・釣具形態 ver.ミスティア «推し竿»!!!!!!!!」
『なんか腐女子が反応しそうな名前だな!!!』
そして、釣り糸の先には……
「……ッ!!」
まるで祈るように両手を組んだ、デフォルメされたSDミスティアが、キラキラの瞳で微笑む姿が!
小さな翼がピコピコ揺れ、白金に輝くルアーとなったその姿は、まさに尊みの化身。
「……お、俺はなんてことを……」
膝をついたオタクミは、ルアーを両手で持ち、嗚咽まじりに叫ぶ。
「う、うおおおおおおおおおおお!! ミスティア様ぁぁぁぁ!!」
「あなた様のお姿を、卑しき魚たちを騙す餌に使うなど……! これはもう推しへの侮辱……! でも空腹には代えられない……!!」
リアたちは、彼のよく分からない慟哭を、温かく見守るだけだった。
「……先生、がんばって!」
「奇跡の一投!チャーム・フィッシング!!!」
震える手でキャストされたSDミスティア・ルアーは、弧を描いて湖面に落ちた。
ちょん、と水面に落ちたSDミスティアが、ほんの一拍だけ静止する――まるで舞台に立つ直前の“間”を取るかのように。
次の瞬間――
「ピャアアアアアアアア~~~……」
水中に放たれたSDミスティアが、発光しながら、圧倒的な「尊みのオーラ」を放出し始める。
まるでライブ会場のセンターに立つアイドルのように、輝きが波紋のように広がっていく。
湖の魚たちがピタリと動きを止めた。
一拍、二拍。
そして——群れごと、ルアーに引き寄せられる!!
まるで聖地巡礼者のように、魚たちが目を潤ませながら近づいてくる。
「こ、こいつら……自分の意志で……岸に……飛び跳ねてきてる……!?」
バシャン! ドポン! ボシャアア!
ピチピチと魚たちが、自己申告のように陸に飛び出してくる!
「な、なんだこの……**大量自主納品(オート収穫)**現象は!?」
しかし——
「おいコラぁああああッ!! ミスティア様の神ルアーに触れるな不敬者めッ!!」
オタクミはついにブチ切れた。
ルアーに触れんとする魚たちを阻止すべく、**鞘**を取り出し、網のように構える!
『ちょ!? わし!? え、なに!?』
「魚たちよ、触れるなぁああああ!! SDミスティア様は観賞用だぁあああああ!!!」
こうして始まった、ルアーへの接触を防ぎながらの尊み護衛フィッシング・インフェルノ。
網代わりとして使われたゴルドスにより、魚たちは根こそぎ回収されていった。
⸻
その後、すべての魚を焼き始めた一行。
アーグが絶妙な火加減で炙った魚は、皮はパリパリ、身はふわふわ。
リアが「美味しいです!」と笑顔で頬張り、セラは黙って箸を進めている。
オタクミは、一匹の焼き魚を両手で持ち上げて、静かに囁いた。
「……美味しくなってくれて……ありがとう……」
リアとアーグが少し引き気味に黙る中、セラは小さくため息をついた。
「ま、あの苦労の分、味は悪くないわ」
湖畔に、カオスと平和が共存する奇妙なBBQの時間が流れていた。
——その時。
湖の風が、不自然に止まった。
焼き網の上の魚が、ピクリと震えた――その直後、歌声が始まった。
その旋律は、深い哀しみと、温かさを併せ持ち、湖面を震わせるような響きを放っていた。
リアが手を止め、アーグも眉をひそめ、オタクミはまるで魂を奪われたかのように、歌声の方角を見つめていた。
その中で、唯一、瞬時に空気の異変を察知した者がいる。
「……待って」
セラが鋭い声で制止し、すっと立ち上がる。
「歌声はあっちからだけど……違う」
視線を岩陰へと向ける彼女の目が、獲物を見定める狩人のそれに変わる。
「私たち……さっきからずっと“見られてる”。あの岩陰から。誰かの気配がする」
一同の空気が一変する。
(まさか……あのスケッチの少女……? そして、それを描いた絵師……!?)
奇跡の一枚から始まった旅路が、いま——核心に迫ろうとしていた。




