推しを守るために
ジルバが去った翌日、オタクミたちはランダム特典を一度止めた。
「中身を選べるやつも用意する。交換したい人は交換していい。あと、『もう一回買わないと欲しいのが手に入らない』みたいなのは、なるべく無し!」
「なるべくって何よ」
「全部禁止すると、開ける楽しさまで消えちゃうだろ?」
市場の一角で、オタクミは昨日使った絵札を並べ直していた。
リアは種類ごとに絵を分け、セラは注文票と受け取り予定を確認している。その少し離れた場所では、アーグが腕を組みながら黙って作業を眺めていた。
「で」
セラが顔を上げる。
「なんでまだいるの?」
「昨日の話が中途半端だったからだ」
「何の?」
「販売方法の改善だ」
「ふーん」
「何だ、その顔は」
「別に。帰るって言いながら結局また来るんだなって」
「帰るとは言っていない」
『もう諦めて手伝ってるって認めろよ』
「黙れ、鞘」
アーグは不機嫌そうに言い返した。
だが昨日までと違い、その足は売場から離れようとはしていなかった。
オタクミはそれを横目で見て、少しだけ笑う。
「じゃ、アーグ。こっちの注文票も――」
「断る」
「まだ何も言ってない!」
「顔を見れば分かる」
「便利だな元幹部!」
いつもの調子が戻りつつあった。
だからこそ。
最初に異変へ気づいたのは、セラだった。
「……来た」
短い声。
オタクミが振り向く。
市場の人波が、ゆっくり左右へ割れていた。
昨日と同じ男が歩いてくる。
ジルバ。
その後ろには数人の男たち。
昨日は遠巻きに立っていただけだった彼らが、今日は明らかに何かをするつもりでいる。
アーグの表情から、すっと色が消えた。
「……本当に来たか」
「言ったでしょう?」
ジルバは笑った。
「次は、もう少し昔を思い出せる形で来ると」
「帰れ」
「おや。話も聞かずに?」
「聞く必要がない」
「そうですか」
ジルバは肩をすくめる。
そして売場へ目を向けた。
並べられた見本。
受け取りを待つ完成品。
客の名前や希望が書かれた注文票。
「では、話ではなく――実物で思い出していただきましょう」
片手を上げる。
「持っていけ」
男たちが一斉に動いた。
「なっ――!」
「注文票もだ! 売れそうな絵は全部まとめろ!」
「こっちの透明なやつも持ってけ!」
「待て!」
オタクミが飛び出す。
一人の男が完成品へ伸ばした手を、鞘で横から弾いた。
「っ!」
「それは売り物じゃない!」
「売ってんだろうが!」
「もう誰かが選んだやつだ!!」
男が殴りかかってくる。
オタクミは身を沈め、鞘で腕を受け流した。
『左!』
「分かってる!」
背後から来たもう一人を、振り向きざまに鞘で押し返す。
刀身は抜かない。
今守るべきものが目の前にある以上、余計な傷を増やす必要などなかった。
「リア! 完成品下げろ!」
「はい!」
リアが机の奥へ回り、注文済みのアクスタを箱へ移していく。
「名前の紙も一緒に!」
「分かりました!」
セラはすでに客たちを売場から離していた。
「そっちの道へ! ここに残らないで!」
「でも、注文した物が――」
「物より先に自分守って!」
言いながら、伸びてきた手を払い、男の足元を崩す。
転ばせる。
それ以上は追わない。
「オタクミ! 右から二人!」
「了解!」
売場は一瞬で戦場になった。
◇
「くだらない」
少し離れたところで、ジルバは騒ぎを眺めていた。
「紙。透明な板。絵」
倒れた台から、一つのアクスタが転がり落ちる。
「そんな物のために、必死になる」
ジルバの靴が、そのすぐ脇で止まった。
アーグが前へ出る。
「触るな」
「昨日も聞きましたよ、それ」
「なら学習しろ」
「まだ分からないんです」
ジルバが笑う。
「これはあなたの物ではない」
「そうだ」
「なら、壊れようが奪われようが、あなたには何の損もない」
アーグは答えなかった。
視線だけが、地面のアクスタへ落ちる。
誰の注文だったか。
覚えている。
昨日、何度も見本を見比べていた客だ。
強そうな姿より、笑っている方を選んだ。
理由を聞けば、ただ「こっちが好きだから」と言った。
値段ではない。
希少性でもない。
得でもない。
本人が選んだ。
ただ、それだけ。
「……以前なら」
アーグが静かに口を開く。
「私も同じことを言っただろうな」
「でしょう?」
「自分の物でなければ関係ない。高く売れないなら価値はない。壊れたなら、また別の物を仕入れればいい」
「やっと思い出しましたか」
「だから分かる」
アーグはジルバを見る。
「あれが、どれほど薄っぺらい考えだったかもな」
ジルバの笑みが消えた。
「……何ですって?」
「それは私の物ではない」
アーグは地面のアクスタを拾い上げる。
「だが、それを欲しいと言った人間がいる」
傷がないことを確認し、リアのいる方へ放った。
「リア!」
「はいっ!」
受け取ったリアが胸元へ抱える。
アーグはジルバへ向き直った。
「今は、それで十分だ」
◇
「ずいぶん変わりましたね、アーグ様」
「その呼び方をやめろと言ったはずだ」
「残念ですよ」
ジルバが手を振る。
男たちの一部が、今度はアーグを囲み始めた。
「昔のあなたなら、物を守る側ではなかった」
「昔の話だ」
「なら、その昔の腕まで鈍っていないことを祈りましょうか」
一人が踏み込む。
アーグは腰の武器へ手を伸ばした。
金属音。
抜いた武器を横へ走らせ、相手の一撃を逸らす。
返す動きで腕を打つ。
「ぐっ!」
続く一人。
足を狙われる。
半歩下がり、武器の柄で受ける。
「遅い」
短く踏み込んで押し返す。
動きに迷いはなかった。
「おお」
少し離れた場所で、オタクミが目を見張る。
「普通に強いじゃん!」
「感想言ってないでそっち見ろ!」
『右来てんぞ!』
「うおっ!?」
オタクミの頭上を棒が掠めた。
「危なっ!」
「余所見するな!」
「そっちもな!」
アーグがさらに一人を退ける。
だが。
「やっぱり、変わってませんね」
ジルバが呟いた。
「踏み込む前に右肩が落ちる」
アーグの目が動く。
「守りへ回る時は、左足から引く」
「……」
「昔、何度見たと思ってるんです?」
次の瞬間。
アーグが受けようとした場所とは反対から、別の男が飛び込んだ。
「っ!」
肩へ衝撃。
体勢が崩れる。
そこへもう一人。
「アーグ!」
オタクミが駆け寄ろうとする。
「来るな!」
「でも!」
「そっちを守れ!」
別方向では、二人の男が注文票へ手を伸ばしている。
セラが一人を止めるが、もう一人までは間に合わない。
「リア!」
「はい!」
リアが紙束を抱えて走る。
オタクミは歯を食いしばった。
アーグか。
注文品か。
客か。
一人で全部は守れない。
「くそっ……!」
盾形態へ移した《タクミ・ブレイザー》で、倒されかけた展示台の前へ入る。
鈍い衝撃。
盾の外側で攻撃を受け止める。
『おい! 数が多いぞ!』
「分かってる!」
「先生!」
「リアは下がってろ!」
「でもアーグさんが!」
そのアーグは、ジルバたちに動きを読まれていた。
以前の部下。
それはつまり、昔の戦い方を知る相手でもある。
「右だ!」
アーグがかわす。
「違う、そっちは誘導だ!」
セラの声。
だが遅い。
足を払われ、アーグが膝をつく。
武器が手を離れた。
石畳を滑る。
「アーグ!」
「構うな!」
ジルバが近づく。
「見苦しいですね」
「……まだ終わっていない」
「終わっていますよ」
足元に転がったアーグの武器を、ジルバが見下ろす。
「昔の技も、癖も、全部こちらは知っている」
アーグは立ち上がろうとする。
「今さら守る側へ回ったところで、あなた一人に何ができる?」
アーグの指が、石畳を掴んだ。
答えられない。
実際、守れていない。
オタクミもセラも押されている。
リアは注文品を抱えたまま逃げ道を探している。
そして自分は。
昔の自分を知る相手に、昔の動きを読まれている。
◇
「……一人じゃなきゃいいだろ」
オタクミの声がした。
ジルバが振り返る。
「何?」
「一人じゃ無理なら、一人でやらなきゃいい」
盾形態を戻した《タクミ・ブレイザー》を腰へ寄せながら、オタクミは息を整える。
「さっきから聞いてりゃ、昔のアーグはこうだった、昔ならこうしたって」
「事実でしょう」
「知らねえよ、昔のこいつなんて」
アーグが顔を上げる。
「俺が知ってるのは、客が選んだアクスタに触るなって止めたこいつだ」
「……オタクミ」
「あとランダム二回引いて外してた」
「それは今言う必要があるか!?」
『めちゃくちゃある』
「ない!」
思わずアーグが怒鳴った。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
戦場の緊張が妙な方向へ揺れた。
だがオタクミの目は真剣なままだった。
「昔の戦い方が読まれてるなら、別のことすりゃいい」
「簡単に言うな」
「俺、それ得意」
「自覚があるのか……」
オタクミは周囲を見る。
倒れた展示台。
散らばった見本。
無事だったアクスタ。
外れた台座。
そして少し離れた石畳の上に、アーグの武器。
視線が行き来する。
一度。
二度。
オタクミの眉が上がった。
『……おい』
ゴルドスが嫌な予感を察したような声を出す。
「待て」
オタクミが呟く。
「何だ」
「アーグ」
「今度は何だ」
「その武器――」
オタクミは石畳へ転がるアクスタの台座を拾い上げた。
それを眺める。
次に、アーグの武器を見る。
そして。
ものすごく嫌な笑みを浮かべた。
「ちょっと貸せ」
「断る」
「まだ何も説明してない!」
「その顔を見れば分かる!」
『アーグ、正しいぞ』
「ゴルドスまで!?」
ジルバたちが呆気に取られる中、オタクミは台座を握りしめた。
「いや……いける」
「何がだ」
「たぶん、いける!」
「だから何がだ!」
オタクミの視線が、台座と武器の間を往復する。
アーグはその顔を見て。
心の底から嫌な予感がした。




