推しアクスタ布教作戦
ラザリスの朝。
冒険者宿の一室では、今日も朝食より先に、オタクミの拝観が始まっていた。
机の中央に立っているのは、昨晩ようやく完成したスライム製アクスタ第一号。少しだけ縁が歪み、透明度にもむらがある。それでも、リアが一つずつ色を重ねたミスティアは、朝日を透かして紙の絵とは違う表情を見せていた。
「……良い」
オタクミは椅子へ座ったまま、深く頷く。
「非常に良い。昨日より今日の方が尊い気すらする。いや、待て。朝日という自然光との組み合わせによって新たな魅力が――」
「先生、ご飯冷めますよ」
「食う!」
リアが並べたパンと焼いた魚、それに野菜のスープへ手を伸ばしながらも、オタクミの視線はアクスタから離れない。
セラは向かいの椅子でパンをちぎりながら、呆れたようにその様子を見ていた。
「昨日からずっとそれ見てるじゃない」
「昨日と今日では違うんだよ」
「何が?」
「光が」
「知らないわよ」
『朝から元気だな、お前ら』
腰元の鞘からゴルドスの声が響く。
オタクミはスープを飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
「よし!」
「今度は何?」
「決まってるだろ。布教だ!」
嫌な予感がしたのか、セラが露骨に顔をしかめた。
「その顔やめろ! せっかく作ったんだぞ。人に見せなきゃ始まらないだろ!」
「見せるだけ?」
「もちろん!」
『今の間は何だ』
「……可能なら欲しい人にも」
「売る気じゃない」
「活動資金は必要だろ!?」
「そこだけ学習したのね」
◇
昼前。
ラザリスの市場の一角に、妙な一団が現れた。
オタクミは小さな木箱へ布をかけ、その上にスライム製アクスタ第一号を置いた。その横には、リアが描いたミスティアの絵。セラは少し離れた場所で腕を組み、通行人の流れを眺めている。
「よし……!」
オタクミは息を吸い込んだ。
「さあさあ皆さん、お立ち会い! 見てくださいこの透明感! 平面でありながら立つ! 机の上に推しが降臨する新時代の観賞用グッズ――その名も、アクスタ!!」
通行人が一瞬だけ振り向く。
しかし、そのまま歩いていく。
「……あれ?」
「続ければ?」
「もちろん!」
オタクミはさらに声を張った。
「しかも描いたのは我らが神絵師リア! 見ろ、この瞳! 髪! 衣装! 光を透かした時に生まれる、この――」
「ちょっと待ってください、何を売ってるんですか?」
立ち止まった女性に、オタクミの目が輝いた。
「よくぞ聞いてくれました! これは推しを身近に置いて日々拝み、疲れた心を癒やし、時に旅へ連れ出し、食事の時には――」
「……えっと、置物?」
「置物ではない! アクスタだ!」
「だから、それは何に使うんですか?」
「推しを――」
女性は困惑した表情のまま、そっと離れていった。
「待って! 説明まだ三割!」
「三割も喋ってたの……?」
セラの視線が冷たい。
それからも結果は似たようなものだった。
「透明な板?」
「何で女の子が描いてあるの?」
「魔道具?」
「光るの?」
「武器?」
「違う! 全部違う! これは推しを愛でるための――」
「怖い」
「なぜ!?」
興味を示して近寄ってきた子供にまで、ミスティアのアホ毛の角度について説明し始め、母親に連れていかれた。
『お前、布教が下手になってないか?』
「そんなはずは……!」
昼を過ぎても、人だかりはできなかった。
アクスタを手に取る者もいない。
リアの絵へ目を向ける人は何人かいたが、オタクミが説明を始めると、大半は逃げた。
「何が悪い……」
「だいたい分かるけど」
「何だセラ、言ってみろ!」
「近い。声が大きい。説明が長い」
「商品については!?」
「それ以前の問題」
「ぐっ……!」
致命傷だった。
◇
夕方。
さすがのオタクミも声が枯れ始めていた。
「……アクスタは、こんなにも素晴らしいのに」
『商品に罪はないな』
「俺にあるみたいに言うな」
『かなりあるだろ』
木箱の上に置かれたアクスタを眺めながら、オタクミは肩を落とす。
その時だった。
「ねえ」
小さな声がした。
顔を上げると、昼間にも一度近くを通っていた少女が立っていた。
年頃までは分からない。だが、オタクミではなく、その横に置かれたリアの絵をじっと見つめている。
「これ、あなたが描いたの?」
少女がリアへ尋ねた。
「はい」
「この子、さっきからずっと笑ってるね」
「そう見えますか?」
リアが嬉しそうに微笑む。
「うん。かわいい」
オタクミが勢いよく口を開こうとした瞬間、後ろからセラに服を引っ張られた。
「黙ってて」
「なんで!?」
「いいから」
少女は次に、アクスタへ目を向けた。
「こっちは?」
「それは――」
またオタクミが前へ出ようとする。
セラの手に力が入った。
「リア」
「わ、私ですか?」
「説明して」
リアは少し困ったようにアクスタを手に取った。
「この絵と同じ子を、透明な板に描いて立たせたものなんです」
「立たせる?」
「はい。こうやって」
リアは少女の目の前で、小さな木箱の端へアクスタを置いた。
「絵は壁に飾ったり、本に挟んだりしますけど、これは机や棚の上に置けます」
少女が少し身を乗り出す。
「じゃあ……ずっと見えるの?」
「見える場所に置けば」
「ご飯の時も?」
「置いておけますよ」
少女は想像するように黙り込んだ。
やがて、ぽつりと言う。
「それ、ちょっといいかも」
オタクミの肩が震えた。
「今……!」
「黙って」
セラにまた止められる。
「でも、この子しかないの?」
少女が続けた。
「え?」
「この絵の子、かわいいけど……」
少女はリアが持ってきていた何枚かの絵へ目をやる。
その中の一枚を指さした。
「私は、こっちの子の方が好き」
オタクミの動きが止まった。
ミスティアではない。
リアが練習で描いていた、別の人物の絵だった。
「……そっち?」
「うん」
「ミスティアではなく?」
「名前知らないし」
「ぐはっ!」
『知らないんだから当然だろ』
オタクミは胸を押さえた。
だが少女はそんなことには構わず、アクスタと絵を交互に見ている。
「これも、立つようにできる?」
今度はリアがオタクミを見る。
「先生」
「……できる」
オタクミはゆっくり顔を上げた。
「作れば、できる」
「じゃあ、そっちが欲しい」
「…………」
衝撃だった。
自分が一番好きなミスティアを見せれば、当然その魅力が伝わると思っていた。
だが目の前の少女は、アクスタの使い方には興味を持った。それでも選んだ絵はミスティアではなかった。
「先生?」
リアが不安そうに顔を覗き込む。
オタクミは少女が指さした絵を見た。
それから、第一号のミスティアを見る。
「……なるほど」
「何が?」
セラが問う。
「まず、使い方が分からなきゃ欲しいと思わない。しかも、使い方が分かっても、欲しい絵は人によって違う」
「それはそうでしょ」
「そうなんだけど!」
オタクミは頭を抱えた。
「分かってたつもりだった……!」
『また大げさな』
「いや、大事だぞ!」
オタクミはアクスタを机に置き直した。
今までのように掲げるのではなく、パンを置く場所の横、本を読む時に目に入りそうな位置、仕事机の端――そんな使い方を想像する。
「よし。明日は置き方を見せる」
「置き方?」
「ただ『すごいだろ!』って見せるんじゃない。机に置くならこう、棚ならこう。絵も一種類じゃなくて何枚か見せる」
リアが頷いた。
「その人が好きな絵を選べるようにするんですね」
「そう!」
オタクミは少女へ向き直る。
「なあ、その絵。本当にそっちがいいんだな?」
「うん」
「よし、分かった」
「先生、ちょっと悔しそう」
「悔しくない!」
『声が悔しそうだな』
「ミスティアが選ばれなかったからじゃない! ほんのちょっとしか!」
「あるんじゃない」
セラが笑った。
少女もつられて笑う。
オタクミは第一号のミスティアを見下ろし、それから少女が選んだ絵を見る。
「……まあいい」
「いいの?」
「推しは、こっちが決めるもんじゃないからな」
言ってから、オタクミは少しだけ首をかしげた。
「いや、今のちょっと格好良すぎたな。忘れてくれ」
「何それ」
「とにかく!」
オタクミは木箱を叩いた。
「明日は布教作戦第二弾! まずは『どう飾るか』を見せる! それから――」
少女が選んだ絵を指さす。
「欲しい絵を聞く!」
『ようやく商売らしくなってきたな』
「違う! 布教だ!」
「売るんでしょ?」
「布教だ!」
市場の片隅に、セラのため息とリアの笑い声が響いた。
その間にも、少女は何度も自分が選んだ絵を眺めていた。




