銀影の決意と涙
セラの怒声が、夜の廃屋跡に響いた。
「戦闘中でしょ!!」
「いやでも盾の内側のミスティアが――」
「あとにしなさい!」
『珍しく完全にセラが正しい!』
「ゴルドスまで!?」
そんなやり取りの向こうで、バスレオンが壁から腕を引き抜いた。
セラの投げたナイフに服を縫い止められていた部分が、乱暴に裂ける。
「……ふざけやがって」
低い声だった。
さっきまでの余裕は消えている。
壊された黒鉄の魔導具が地面に転がり、その周囲にはまだ熱が残っていた。
バスレオンはそれを一度見下ろし、それからセラへ目を向ける。
「セラ」
名を呼ばれた瞬間。
彼女の肩がわずかに揺れた。
「戻れ」
短い一言だった。
だが、それだけで空気が変わった。
オタクミはセラを見る。
さっきまで自分の横に立っていた少女の指が、強く握り込まれていた。
「……嫌」
「聞こえなかったな」
「戻らない」
バスレオンの眉が動いた。
「誰に拾ってもらったと思ってる」
セラの顔が強張る。
「食う物もなかったお前を拾った。寝る場所も、仕事も与えた。何も持ってなかったお前に、生きる場所をやったのは誰だ?」
「……分かってる」
「なら戻れ」
「それとこれは別」
「別なもんか」
バスレオンの声が強くなる。
「お前が今まで生きてこられたのは、俺たちが使ってやったからだ。盗めと言えば盗む。それでよかっただろうが」
セラの呼吸が浅くなる。
オタクミが一歩出ようとした。
その袖を、リアがそっと掴んだ。
「先生」
小さく首を振る。
オタクミは足を止めた。
これは、自分が代わりに言うことじゃない。
セラが自分で言わなければいけないことだ。
「……よくなかった」
小さな声だった。
バスレオンが目を細める。
「何?」
「よくなかったって言ったの」
セラは顔を上げた。
「盗めって言われたら盗んだ。誰から取るかも、何を取るかも、全部言われた通りにした」
「それで生きられた」
「そう」
「なら何が不満だ!」
「私が決めてなかった!」
声が響いた。
オタクミが目を見開く。
セラ自身も、一瞬だけ息を呑んだようだった。
それでも止まらない。
「何を盗むかも、誰から盗るかも、どこにいるかも。全部あんたが決めた!」
「だからどうした」
「嫌だったのよ!」
夜気を震わせる声。
「ずっと嫌だった! でも、他に生き方なんてないって思ってた。あんたに拾われたんだから、それしかないって!」
バスレオンの顔から、わずかに表情が消える。
セラの手は震えていた。
けれど、後ろへは下がらなかった。
「でも……違った」
「何が」
「私、自分で決めたかった」
視線が、一瞬だけ《タクミ・ブレイザー》へ向く。
「最初は、あの剣の価値を自分で確かめたかっただけだった」
「……」
「みんなが価値がないって笑ってたから。本当にそうなのか、自分で見たかった」
セラは唇を噛む。
「なのに、オークションに出したら、今度は値段で決めようとしてた」
オタクミは黙って聞いていた。
「高く売れれば価値がある。売れなければ価値がない。結局また、誰かが決めたものに従おうとしてた」
「セラ」
「でも、こいつは違った」
セラがオタクミを見る。
「変な剣を守るために、自分から弾の前に出る。盾になったら内側の絵見て戦闘中に騒ぐ」
「そこ今必要!?」
「必要」
『必要らしいぞ』
「ゴルドスまで納得すんな!」
セラの口元が、ほんの少しだけ緩む。
「馬鹿みたいだけど……自分で決めてる」
その言葉で、オタクミは黙った。
「誰に笑われても。高いとか安いとか言われても。自分が大事だから守ってる」
セラは再びバスレオンを見る。
「私も、それをやりたい」
「……何を言ってる」
「自分の生き方を、自分で決めたい」
バスレオンの額に青筋が浮かぶ。
「くだらねぇ!」
懐から短い刃を抜いた。
「綺麗事で生きられると思うな!」
踏み込む。
「セラ!」
オタクミが動くより早く、セラも前へ出た。
刃と刃がぶつかる。
金属音。
セラは押し負けながらも、歯を食いしばる。
「お前はこっち側だ!」
「違う!」
「盗人が今さら何になるってんだ!」
「分かんない!」
一瞬、バスレオンの動きが止まる。
セラはその刹那に身体を沈め、腕を抜いた。
「何になるかなんて、まだ分かんない!」
蹴りがバスレオンの脇腹へ入る。
「でも――」
距離を取る。
「盗み続けるって決めるのは、もうあんたじゃない!」
バスレオンが吠えた。
「セラァァァ!」
短剣を振り上げる。
その軌道へ、ピンク色の盾が割り込んだ。
ガンッ!
「うおっ!」
《タクミ・ブレイザー》の盾形態。
オタクミが歯を食いしばりながら受け止める。
「お前……!」
「悪いな!」
盾の内側では、ミスティアが凛々しく微笑んでいる。
「セラの話は終わってねぇ!」
『お前、こんな時まで内側ちょっと見てただろ』
「見てない!」
「見てたでしょ!」
「セラまで!?」
バスレオンが盾を蹴る。
オタクミが後ろへ滑る。
「邪魔をするな!」
「する!」
「これは俺たちの問題だ!」
「だったらセラが決めるまで口出すな!」
「お前が一番口出してるだろうが!」
「確かに!」
『認めるな!!』
バスレオンが再び迫る。
だが今度はセラが先に動いた。
「オタクミ、右!」
「了解!」
盾で受ける。
その陰からセラが飛び出し、バスレオンの手首を打つ。
短剣が宙を舞った。
オタクミの盾が光り、再び剣の形へ戻る。
「よし!」
『斬るなよ!』
「分かってる!」
刀身を一瞬だけ抜く。
「だからなんで見るのよ!」
「気合い入れるため!」
ミスティアを目に焼きつけ、即座に納刀。
「行くぞ、鞘神!」
『だからその名で呼ぶな!』
踏み込む。
鞘を横薙ぎに振る。
バスレオンは腕で受けたが、衝撃に耐えきれず膝をついた。
「ぐっ……!」
さらに動こうとする。
その首元へ、セラのナイフが突きつけられた。
「……終わり」
静かな声だった。
バスレオンが睨み上げる。
「俺を殺すのか」
「殺さない」
「甘いな」
「そうかも」
セラの手が震える。
「でも、あんたに言われたから殺すのも、殺さないのも嫌」
「……」
「私が決める」
セラはナイフを下ろした。
「私は、もう戻らない」
バスレオンの目が細くなる。
「一人で生きられると思うな」
「分からない」
「すぐ泣きついてくる」
「それも分からない」
「だったら――」
「分からなくてもいい!」
セラの声が震えた。
目にも涙が滲んでいた。
「今まで、分からないから全部あんたに決めてもらってた!」
一粒、頬を伝う。
「だから今度は……分からないまま、自分で決める」
バスレオンは何も言わなかった。
セラは涙を拭わない。
「拾ってくれたことは、感謝してる」
「……」
「生きられたのも、本当」
声が少し詰まる。
「でも、それで一生あんたの言う通りにしなきゃいけないとは、もう思わない」
セラは息を吸った。
「私は、盗みじゃない生き方をしたい」
言い切った。
今度こそ。
誰かに言われた言葉ではなく。
自分で選んだ言葉だった。
バスレオンはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくり顔を背ける。
「……勝手にしろ」
それだけだった。
「二度と戻ってくるな」
セラは小さく頷く。
「戻らない」
オタクミも口を挟まなかった。
ここは勝ち鬨を上げる場所ではない気がした。
セラが、自分の足で過去から一歩離れた場所だった。
◇
東の空が白み始めていた。
廃屋を離れ、ラザリスへ戻る街道を歩く。
先頭を歩いていたセラは、しばらく何も話さなかった。
オタクミもリアも、その背中を急かさない。
『……終わったな』
ゴルドスが珍しく静かな声で言った。
「うん」
セラが答える。
「終わった」
足が止まる。
「……たぶん」
「たぶん?」
「明日から何すればいいか分かんない」
セラは振り返らない。
「盗むなって言われても、それ以外のこと、ほとんど知らないし」
オタクミが頭を掻く。
「じゃあ探せば?」
「簡単に言うわね」
「だって俺もこの世界で分かんないことだらけだぞ」
「それと一緒にしないで」
「でも分からんもんは分からん!」
『開き直った!』
リアが少し笑う。
その声を聞いて、セラもほんの少しだけ口元を緩めた。
「……ほんと、変な奴」
「また言った!」
「騒がしいし、暑苦しいし、変な剣持ってるし、鞘まで喋るし」
『俺への評価だけ雑じゃないか?』
「でも……」
セラの声が止まった。
肩が小さく震える。
「私が盗んだのに」
「うん」
「逃げてもよかったのに」
「うん」
「それでも……私に決めさせた」
涙が落ちた。
セラは慌てて腕で拭う。
「……最悪」
「え、俺またなんかした!?」
「違う!」
「じゃあ何!?」
「見るな!」
「はい!」
オタクミが慌てて前を向く。
リアも少しだけ距離を取った。
セラは何度か涙を拭って、それでも止まらなくなったのか、最後には諦めたように俯いた。
「……ありがとう」
小さな声。
オタクミが振り返る。
「助けてくれて」
セラは顔を上げた。
「私に、自分で決めさせてくれて……ありがとう」
オタクミはしばらく黙っていた。
それから、照れたように鼻の下を擦る。
「俺は別に、決めさせたつもりないけどな」
「は?」
「決めたのはセラだろ」
セラの目が少し大きくなる。
「だから、これから何するかもセラが決めればいい」
「……」
「少なくとも俺は、もうお前を敵とは思ってない」
朝日が地平から顔を出す。
セラはしばらくオタクミを見ていた。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「……じゃあ」
「ん?」
「もう少しだけ、一緒にいてもいい?」
オタクミの顔がぱっと明るくなる。
「もちろん!」
「声でかい」
「嬉しいんだから仕方ないだろ!」
『お、加入か?』
「まだ」
「まだなの!?」
「これから考える」
セラはそう言って、また歩き出す。
今度は一人で先へ行かず、オタクミたちの歩幅に合わせて。
朝の光の中。
三人と一本の鞘は、並んでラザリスへ戻っていった。




