異世界への誘い その2
──無音。真っ白。温度のない空気に、光の粒だけがゆっくり漂っている。
(……ここは、どこだ)
“ライブの帰り道”“光”“衝撃”──そこまで覚えてる。
次に、俺の前に金色が収束して……。
「やあ、オタクミ殿!」
現れたのは上半身だけで説得力があるタイプの筋肉。
そして、よりによって推しTシャツ(ライブ限定ver.)を着たガチムチ。
「……は?」
「拙者のことは“オタメガネ”と呼んでおったな。いや、正確には──見習い神候補・ゴルドス!」
「オタメガネ!? いや待て、意味がわからん!! てかそのTシャツどこで買った!」
「通販だ。抽選に当たった。尊い」
筋肉は胸を張り、Tシャツのミスティアをぽんぽん叩く。
俺は反射的に一歩引いた。神で筋肉で推しTって情報量が飽和してる。
「まず安心しろ、貴殿は死んでいない」
「……ほんとに?」
口が勝手に動く。「相手は? 俺、たしか──人影を……」
白い空間が、ほんの一瞬だけ波打った。
脳裏に、砕けたヘッドライトの光に照らされた手首のリストバンドがよぎる。
(見覚えのある色だ……昔の遠征で皆がつけてたやつに似てる──)胸がざわついた。
ゴルドスは真顔で頷く。
「命に別状はない。意識もある。 天界の緊急介入で、すぐに現世の救急へ繋いだ。
いま貴殿の魂はここにあるから、直接見に行くことはできんが……大事に至らぬ。それは保証する」
息を吐いた。肺があるのかないのかも曖昧な空間で、それでも吐息だけは現実だった。
「……よかった……。本当に、よかった……」
「もう一つ。縁が濃い。貴殿と、その者。
ここで詳細は語れぬが、いずれ向き合う時が来るだろう。」
「逃げない。……帰れたら、ちゃんと謝る。ちゃんと話す。
それまでは──俺にできることを、やる」
ゴルドスの表情が、少しだけ柔らかくなった。
「うむ。では話を続けよう。肉体は現世で保護中、魂だけをこちらの“白間”に導いた。名付けて魂の憑依転移。わかりやすく言うと、いったんクラウド保存だ」
「例えのせいで余計に不安なんだが!?」
ゴルドスは指を鳴らした。白い床に、図表と落書きが勝手に描かれていく。
《用語整理》
・現世の肉体:生命維持下。お前、まだ生きてる。
・魂:今ここ。
・転移先:俺が管理する異世界の星象素体(※身体の器)。
・帰還:魂を元の肉体に“同期”し直す。
「……転生じゃなくて、転移ってことか」
「そう。で、本題だ」
ゴルドスは描いた図表の端に、イヤな感じのマークを落書きした。札束に羽が生えている。
「この異世界で、転売魔どもが市場を荒らしておる。レア武具、希少素材、果ては魔導書までも買い占め、高値でさばく。しかもだ──現世と繋がっている」
「……は?」
「お前の世界の“レア”が、異世界で現金化されておる。逆もある。願いと物語を、値札で殴る輩だ」
胸の奥で、さっきのライブの余韻が少し冷えた。
“推し”は、俺にとって救いで、灯りで、日常だった。
それを、札束で踏みつけるみたいな真似は──
「……そいつは許せねえな」
「だろう? そこで貴殿をこの世界に送り、転売魔の根幹ルートを断ってほしい。俺は見習いで公務は制限が多い。地上で直接手は出せん。だが──」
ゴルドスはにやりと笑って、俺の額をこつんと弾いた。
「推しへの適性(尊輝感受値)が非常に高い。この手の仕事は、貴殿みたいなほうが強い」
「適性? 俺はただのオタクだぞ」
「“ただの”は強い。推しにただただ真っ直ぐ、が一番だ。あと、タイムリミット」
「タイムリミット?」
白い空間に、数字がふわりと浮かぶ。
《映画公開まで:90日》
ゴルドスが言う。
「わかっておろう? 公開初日の入場特典、貴殿は絶対自引きしたいはずだ。帰還はその前に済ませたい」
「そりゃそうだが!? え、帰れるの?」
「条件付きでな。転売魔の幹部線を一本、確実に断つ。それができれば、帰還ウィンドウを開く許可を天界から取ってみせる」
「転売魔を確実に……」
数秒だけ、俺は目を閉じた。
「よし、行こう。俺がやる!」
「助かる。話が早くて助かる。やはりオタクは理解が早い!」
「偏見が過ぎるぞ!?」
ゴルドスは手を掲げ、白い空間に扉を出現させた。
扉の向こう側は、天井の高い神殿のホールらしき影。
その縁で、星の粉が滝のように落ちている。
「最後に補足。俺は地上に長居できん。直接同行は不可。だが、“推し像を宿す神器”に限り、憑依でサポート可能だ」
「推し像を宿す神器?」
「すぐにわかる。貴殿が“選ぶ”からな。
それと──荷物は後でまとめて送る。見慣れぬ痛い袋が空間から出てきても驚くな」
「痛い袋……?」
「缶バッチがいっぱい付いてるやつだ。鳴る」
(あ、それ完全に俺の痛バッグだ)
「では──行ってこい!オタクミ殿」
ゴルドスが扉を押し開く。冷たい白は一気に退き、温かい金色が押し寄せてくる。
心拍が少し上がる。怖くは、ない。
むしろ。
(推しのために、俺の世界を少しでも良くできるなら──)
「行くぞ!」
俺は一歩、異世界へ踏み出した。




