踏み絵回
「くそっ……! どこにいったんだよ、俺の痛武器……!」
ラザリスの街を、一人の美少女――中身は二十四歳のオタク男子――が全力で駆け抜けていた。
その名もオタクミ・ルミナス。
そして、その少し後ろを、青ざめた顔のリアが必死についてくる。
「せ、先生……待ってくださいっ……! 朝から何軒目ですか……!」
「十二……いや十三!」
「増えてますぅ……!」
「無理言って悪い! でもな、リア……あれは俺の魂なんだ!」
「それは、分かってますけどぉ……!」
分かっているからこそ、リアも帰ろうとは言わなかった。
《タクミ・ブレイザー》だけではない。ゴルドスが憑依している鞘まで、一緒に消えている。
いつもなら腰元から入るツッコミも、呆れた声も、今はない。
静かすぎる。
それが余計に焦りを煽った。
手がかりは、宿に残されていた銀色の髪と、窓をこじ開けた痕跡。それから、あの剣を普通の武器屋へ持ち込んでも、簡単には売れないだろうということくらいだった。
「普通の武器として見たら、あれ……かなり変ですから」
少し息を整えながら、リアが言う。
「かなりって言った?」
「褒めてます」
「ならよし!」
「でも、普通の武器屋さんが困るのは本当だと思います。剣としては見たことのない形ですし、絵も描いてあって……価値が分かる人なら欲しがるかもしれませんけど」
「価値が分からない奴には?」
「たぶん、『なんだこれ』ってなると思います」
「ぐっ……否定できねぇ!」
俺だって異世界へ来る前に道端で突然ピンクメタリックの大剣を見せられたら、一度は立ち止まる。
いや、二度見する。
そして写真を撮る。
「ってことは、普通の店で売れなかったら……」
その時だった。
通りかかった武器屋の中から、低い声が聞こえてきた。
「見たか? 今夜じゃなくて、もう昼の部に出すらしいぞ」
「例の剣か?」
「そうそう。ピンク色で、女の絵が描いてあるやつ」
俺の足が止まった。
リアも止まった。
二人で顔を見合わせる。
店の中では、まだ話が続いていた。
「昨日の騒ぎで使われてた武器だろ? あれが裏の競りに流れたって」
「見た目はふざけてるが、石畳を砕いたって話もある。珍品好きが食いついてるらしいぞ」
「……それだ」
「先生?」
「それだあああああああ!!!!!」
「また走るんですかぁぁぁ!?」
俺はすでに路地の奥へ飛び込んでいた。
────
噂を拾い集めて辿り着いたのは、ラザリス旧市街。
使われなくなった古井戸の裏に、石壁とほとんど見分けのつかない扉があった。
「ここ……ですか?」
「たぶん」
「たぶんで入る場所じゃないですよね?」
「でも入る!」
「ですよね……」
扉の前には、目元に傷のある壮年の男が立っていた。
俺たちを見るなり、露骨に嫌そうな顔をする。
「何の用だ」
「ピンク色の大剣を取り戻しに来た!」
「帰れ」
「即答!?」
「ここは子供の遊び場じゃない」
「中身二十四です!」
「余計に帰れ」
俺が食い下がろうとすると、男は面倒そうにため息をつき、足元の箱から一枚の板を取り出した。
「どうしても入りたいなら、証を見せろ」
「証?」
「ここは魔導協会の目を嫌う連中が集まる場所だ。敵対する覚悟もない奴は通さん」
男が床へ置いた板には、一枚の絵が貼られていた。
「これを踏め」
「…………」
俺は見た。
そして、固まった。
「……なにこれ、かわいい」
描かれていたのは、小さな魔法少女風のキャラクターだった。
丸みのある帽子。短いマント。両手で杖を握りながら、満面の笑みで魔法陣を展開している。
SD寄りなのに手抜きじゃない。
輪郭は柔らかく、目元の線は丁寧。小さな画面の中で光の粒まで描き込まれている。
「魔導協会の公式マスコット、“マギカたん”だ」
「公式マスコット!?」
「踏めば通す」
「これを?」
「ああ」
「足で?」
「他にどう踏む」
「…………」
俺はしゃがみ込んだ。
「先生?」
「いや待って。近くで見るともっとかわいいぞこれ。誰が描いたんだ? この杖の持ち方めっちゃいいな」
「踏め」
「このまつ毛の線、細っ!」
「踏め」
「しかもこの影の置き方――」
「踏めと言っている!」
門番の怒声が響いた。
俺は立ち上がる。
「無理!」
「帰れ」
「それも無理!」
「なら踏め!」
「それが一番無理!!」
門番のこめかみに青筋が浮かんだ。
「お前はこの絵が好きなのか?」
「今初めて見た!」
「なら踏めるだろう!」
「なんでだよ!」
思わず声が大きくなる。
「俺が好きかどうかは関係ねぇだろ! これ描いた奴がいるんだぞ! それに、このマギカたんを好きな奴だっているかもしれない!」
「……だから?」
「そいつらにとって大事かもしれないものを、俺が知らないからって入場券代わりに踏めるか!」
門番が黙った。
リアも少し驚いたように俺を見る。
「敵対の証だ!」
「だったら別の証にしろ! 協会の看板に悪口書くとか!」
「それは普通に証拠が残るだろうが!」
「じゃあ悪口を口頭で!」
「弱い!」
「難しいな反社会組織!」
「声がでかい!」
門番が周囲を見回し、俺の肩を掴んだ。
「もういい! 入れ!」
「え?」
「これ以上ここで叫ばれる方が困る!」
「踏んでないぞ?」
「分かったから入れ! 二度と入口で『反社会組織』とか叫ぶな!」
「話の分かる門番!」
「お前が話を分かれ!」
背中を押され、そのまま中へ放り込まれる。
「リア! 通れたぞ!」
「これ、通れたって言っていいんでしょうか……」
リアが小さく頭を下げながら後を追ってきた。
俺たちが階段を降りていく。
その姿を、少し離れた通路の陰から見ていた者がいた。
銀色の髪が、一瞬だけ揺れる。
「……馬鹿」
セラは小さく呟いた。
知らない絵を踏めないと言って、大騒ぎする男。
盗られた自分の剣だから必死になっているだけだと思っていた。
けれど。
さっきの絵は、あいつの物ですらなかった。
「……ほんと、馬鹿」
もう一度呟いたが、今度は少しだけ声が弱かった。
────
地下の競り会場は、想像していたよりずっと煌びやかだった。
石造りの広いホール。段状に並んだ客席には、商人らしい男、フードを被った女、獣人らしき姿まで混じっている。
そして壇上で、司会役の男が両手を広げた。
「続いての商品はこちら! 一点物、由来不明! しかし昨日の騒動では、実戦に耐えうる力を見せたという――極めて奇妙な大剣です!」
布が取り払われる。
「――ッ!」
そこにあった。
《タクミ・ブレイザー》。
ピンクメタリックの刀身。
中央にはミスティア。
文字も、チャームも無事。
隣には鞘も置かれている。
「よかった……」
声が漏れた。
傷はない。
汚れてもいない。
少なくとも雑に投げ出されたわけではなさそうだった。
最初、客席のあちこちから笑い声が漏れた。
「なんだあれ」
「派手すぎるだろ」
「子供向けか?」
拳に力が入る。
だが、すぐに別の声が混ざった。
「昨日、石畳を砕いたのはあれじゃないか?」
「見た目だけじゃないってことか」
「この材質……知らんな」
「絵まで含めて一点物なら、珍品としては面白い」
「俺、ちょっと好きだけどな」
俺は思わずそちらを見た。
最後の奴。
あとで握手したい。
「開始、一万ゴルド!」
「一万二千!」
「一万五千!」
「一万八千!」
値段が上がっていく。
胸の奥で、一瞬だけ妙な感情が湧いた。
嬉しい。
いや、待て。
高く売れるから嬉しいわけじゃない。
さっきまで笑っていた奴らが、今はちゃんと《タクミ・ブレイザー》を見ている。
理由はそれぞれだ。
強い武器だから。
珍しいから。
一点物だから。
絵が気になるから。
ミスティアがかわいいから――だったら最高だけど、それはまだ分からない。
それでも、目を向けられている。
「……へへ」
少しだけ口元が緩んだ。
次の瞬間、自分の頬を叩いた。
「違う! 感動してる場合じゃねぇ!」
俺のだ!
盗品だ!
競り落とされてたまるか!
「二万五千!」
「三万!」
「ストォォォォォォップ!!!」
会場中が静まり返った。
俺は客席から飛び出し、壇上を指差した。
「それは俺のだあああああああああ!!!」
「な、何だお前は!」
「返せ! 今すぐ返せ! それは単なる大剣じゃねぇ! 俺の推しがいるんだよ!」
司会役が後ずさる。
警備の男たちが立ち上がった。
知ったことか。
「見ろよ、この造形! この瞳! この構図! 文字まで含めて完成なんだ! 勝手に値札つけて売っていいもんじゃねぇ!」
「お客様! 競りの妨害は――」
「そもそも盗品だろうが!」
ざわめきが走る。
その隙に、壇上の横から一人のフード姿が近づいた。
細い手が、《タクミ・ブレイザー》へ伸びる。
「おい!」
俺の声に、その人物の動きが止まった。
フードの奥から、銀色の髪がこぼれる。
宿の窓に残されていた一本の毛。
俺は壇上を睨んだ。
「お前……!」
女がゆっくりと顔を上げた。
「盗んだやつか!?」
銀髪の女――セラの眉が、わずかに動く。
「……見つかったか」
その手はまだ、《タクミ・ブレイザー》のすぐそばにあった。




