盗賊少女
目覚めた瞬間に、わかった。
いつもなら枕元のスタンドに立てかけてある。鞘ごと。ピンクメタリックの刀身は、部屋のどこにいても目に入るから、朝一番に「あ、いる」と確認してから一日が始まる。それが俺の習慣だ。
なかった。
スタンドが、空だった。
「…………」
三秒、固まった。
それから、布団を剥いで床を確認した。ない。ベッドの下を覗いた。ない。棚の上。ない。窓際。ない。扉の横。ない。
「ない……!!!」
鞘が喋った。
いや、喋らなかった。喋れるはずの鞘が、どこにもなかった。
「ゴルドス!! ゴルドス起きろ!! 剣がない!!」
返事がなかった。
「ゴルドス!?」
そこでようやく気づいた。
喋れるはずの鞘そのものが、ない。
「……鞘ごとかよ」
俺は部屋を三周した。押し入れを開けた。窓を確認した。鍵はかかっていた。でも窓枠の下側に、細い傷があった。爪か、薄い刃物で、鍵ごと持ち上げた跡だ。
「入られた……!?」
廊下を走ってリアの部屋を叩いた。
「リア! リア起きてくれ!!」
「……え、先生? どうしました、こんな朝早く」
「剣がない。部屋から消えた。窓に傷がある」
リアが目をぱちりとさせた。それから、すっと顔つきが変わった。
「入りますね」
リアは部屋を静かに見て回った。俺みたいに引っくり返したりしない。目線を低くして、足の運びを小さくして、部屋の各所を丁寧に確認していく。
「先生。窓の外、見てください」
俺は窓から顔を出した。外壁に、うっすらと靴跡がある。ふつうの靴じゃない。爪先だけ使って壁を登った跡だ。
「窓枠の傷、これ下から持ち上げています。上からじゃない。かなり細い刃物か、専用の工具を使っています」
「プロの盗賊か……!」
「床の埃の乱れ方が、直線的です。部屋の中を探し回った跡がない。目的のものだけを取って、出た」
「最初から、剣が目的だったってことか」
「たぶん、昨日か一昨日からこの宿を見ていたと思います。先生、剣を外で出しましたか」
思い返す。ギルドの廊下。市場の端。一センチ、清拝のために引いた場面が、何度かある。
「見られてたかもしれない」
「ピンクメタリックの大剣は目立ちます。狙われる理由になります」
リアが窓枠の近くで、何かを拾い上げた。細い。銀色がかった、一本の毛。
「髪の毛です。染めている可能性もありますけど……銀色に近い」
俺は床にへたり込んだ。
《タクミ・ブレイザー》。俺の推しが刻まれた神器、通称痛武器。召喚した瞬間、二人で十秒無言で見つめたあの剣。抜刀するたびに「無事か」と確認してきたあの刀身。アーグを吹っ飛ばした時も、傷ひとつついていなかった。
「……取り返す」
声が、低くなっていた。怒鳴っていない。でも確かに、これまでと違う声だった。
「必ず取り返す!」
リアが静かに頷いた。
「一緒に追います!」
────
一方その頃――
朝の光の下で、銀髪の女が剣を袋に包んだまま、石畳の上に座っていた。
彼女の名はセラ。
盗賊ギルドに所属する女シーフで、昨夜の喧騒の中で《痛武器》を盗み出した張本人だった。路地裏。宿から離れた場所。人が来ない、暗い路地。こういう場所の選び方だけは、誰よりうまい。
袋を開けた。
ピンクメタリックの刀身が、薄い朝の光を受けてぼんやりと輝いた。
「……」
セラは黙って、それを見た。
うるさい。これが第一印象だった。派手。趣味が悪い。こんな色の剣を本気で戦闘に使うつもりなのか。刃の中央に描かれた女の絵は精巧で、光の角度で表情が変わる。アクリルのチャームがぶら下がって、動くたびにちりん、と鳴る。
笑えばよかった。
こういう代物を見た時、セラはたいてい笑う。笑えないものを笑うのが、この仕事では必要なことだ。価値があると思ってしまうと、動けなくなる。
笑えなかった。
「……なんなんだ、これは」
独り言が出た。独り言は言わない主義なのに。
刃の中の女を、もう一度見る。単なる装飾じゃない。こんな風に刻む職人は、どこにもいない。魔法で刻まれたのか、召喚されたものなのか。でも、そういう技術の問題じゃない。
セラは昔から、物を見る癖だけはあった。
縫い目、傷、素材の癖。どこが磨かれていて、どこだけ妙に丁寧に扱われているのか。盗んで、売って、食いつないできたからこそ、そういう痕跡を見るようになった。
だから、この剣が普通じゃないことくらいはわかる。
ただ、それが何なのかまではわからなかった。
「……早く売る」
袋を閉じた。
────
武器屋に三軒、持ち込んだ。
一軒目は「なんだこれ、冗談か」と笑った。
二軒目は「観賞用か? 実用にならん」と首を振った。
三軒目は少し真面目に見て、「素材は本物だが、こんな代物の値段の付け方がわからん」と言った。
どこでも、笑われた。
それが、なぜかセラには腹立たしかった。
笑う場所じゃない。
そう思った。思ってしまった。思いたくなかったのに、思ってしまった。
路地の壁に背を預けて、袋の中の剣を取り出した。
ちりん、と鳴った。
無意識に、袋の布でホコリを拭っていた。気づいた瞬間、手を止めた。
「……なんでそんなことしてる」
自分でも、わからなかった。
正規の市場では売れない。でも裏市場なら、価値がわからないものに値段をつける専門家がいる。バスレオンのところに持ち込めば、何かしらの金にはなる。
セラは立ち上がった。
ただ、もう一度だけ刃の中の女を見た。
目が合った気がした。そんなはずはないのに、目が合った気がした。前を向いている。誰かのために踏み出そうとしている、その顔。
「……うるさい」
袋を閉じて、裏市場への道を歩き始めた。
一度だけ、振り返った。
理由は、自分でもわからなかった。




