最強武器、ただいま布教中
最初に足を止めた人が見ていたのは、俺の顔ではなく、腰の剣だった。
「……それ、抜くのか?」
包みを脇に抱えた男が、《タクミ・ブレイザー》を指す。俺が頷くと、男は少しだけ距離を取った。
「ここで何を斬るんだ」
「何も斬りません。見てもらいます!」
「剣を?」
「はい。特に、絵を!」
男の目が、店の横に置いた台へ動いた。リアが絵の包みをほどいている。そのそばにはシエル、俺と客の間にはセラが立っていた。
借りた場所は、昨日確かめたとおり狭い。店の出入り口と通りを空けると、俺が動ける範囲も限られる。セラが足元と周囲を見てから、こちらへ頷いた。
俺は用意してきた紙を、台の端へ置いた。
頭の中には、話したいことがぎっしり詰まっている。なのに、顔を上げて目が合うと、最初の言葉だけが少し遅れた。
息を吸う。柄を握った手は、そのままにした。
「……俺の、一番好きな子が描いてあるんです」
そこからなら、話せた。
*
剣を抜くと、ピンクメタリックの刀身に午後の光が重なった。
銀髪をなびかせたミスティア。広い面を使って描かれた笑顔は、今日も最高だった。光が顔にかかりすぎない角度へ、慎重に傾ける。
そう。そこ。今、髪の流れまできれいに見える。
「どうですか、この――」
「オタクミ」
セラの声がした。
「今、誰に見せてるの?」
「皆さんに、ミスティアの魅力を」
「皆さんには、あなたの背中がよく見えてる」
俺は動きを止めた。
刀身ばかり見ているうちに、そちらへ身体ごと向けてしまっていた。客の側から、男が言う。
「大事な絵なんだなってことは、よく分かったよ」
「まだ絵そのものをお見せできていない!」
「見せに来たんでしょ」
「そうでした!」
俺は剣を低く保ち、先に身体の向きを直した。セラが客の立つ側を示す。
「ここから見える面を、こっちへ。腕だけで何とかしようとしないで、肩も少し開いて」
言われたとおり立ち直すと、客の顔と刀身の両方が見えた。
男の後ろで、買い物籠を持った女性が立ち止まる。少し離れて様子を見ていた人も、こちらへ顔を向けた。
「……おお。ずいぶん大きく描いてあるな」
「大事ですから!」
今度こそ、ちゃんと客へ向かって答えた。
「ミスティア・ルミナス。俺の推しです! 俺の好きな物語に出てくる子で、この笑った顔を、いつでも見たくて」
俺は刀身を支えたまま、絵へ目をやった。
「ただ、剣の飾りとして入れたんじゃないんです。この子を見たいから、ここにいてもらってるんです」
「剣の方が、おまけみたいな言い方だな」
「俺としては、かなり合ってます」
『合っていてたまるか』
鞘からの低い声に、俺は笑いそうになった。ゴルドスが何かを付け足すより先に、男が刀身の根元へ視線を落とす。
「そこにも、何か書いてあるのか?」
「『尊い』です」
「……それも、その子の名前?」
「いえ。見たときの俺の気持ちです」
男は絵と文字を順に見た。
「感想まで剣に入れたのか」
「余白があったので!」
「余白って、埋めなきゃ駄目なの?」
女性に尋ねられ、俺は少し考えた。
「駄目じゃないです。でも、俺の場合、気持ちが余白に収まりきらなくて……反対側にもあります」
「増えるのか」
「『二期待ってます』」
「そっちは何だ?」
「物語の続きが見たい、という願いです!」
男がとうとう声を出して笑った。女性も、呆れたように口元を緩めている。
俺だって、改めて説明すると変な剣だと思う。でも、笑いながら絵へ目を戻してくれる人がいる。その前で、俺はまだ続きを話したかった。
*
「それで、刃の方はどうなんだ。ちゃんと切れるのか?」
男の問いに、俺は刀身を見た。
「金物を扱ってるんでね。絵も面白いが、そんな大きな剣なら、使い方も気になる」
「使うときは、まず、絵を傷つけないことを考えます」
「切れ味の話は?」
「刃に何かを当てれば、汚れるかもしれません。拭くときも、慌てて擦りたくない。だから、使ったあとで悩むより、まず当てない!」
「切れ味を聞いたら、手入れより前の話になったぞ」
「推しは、消耗品じゃないので!」
胸を張りかけ、剣を動かさないように踏みとどまった。セラがこちらを見ている。
俺は一度、刀身を鞘へ戻した。
「なので、動くときはこちらを使います。観賞用戦闘術!」
「観賞するのに、戦うのか」
「観賞できる状態を、守りながら戦います!」
『そして、当たるのは拙者でござる』
「いつも助かってます!」
『急に丁寧になるでない』
笑い声の中で、セラが客に少し下がってもらった。俺は鞘に収めた剣を構え、隣の台と店先から距離が取れていることを確かめる。
誰かに相手役を頼むつもりはなかった。今日見せるのは、俺がどう動かしているか、その短い部分だけだ。
半歩ずれ、身体の向きを変える。柄だけを無理に振ろうとせず、鞘ごとの重みを支えながら、横へ小さく払う動きをつなげた。
速さを上げたくなったが、そこで止めた。足を戻し、構えを解く。
剣へ視線を落とすと、男がすぐに言った。
「今、傷がないか見ただろ」
「はい」
「何も当ててないのに?」
「無事を確認してからが、鑑賞です」
「徹底してるなあ」
男は笑って、俺が動かしたあたりへ目を向けた。
「なるほどね。刃を出さずに、そっちを当てるのか」
「そうです。もちろん、ここでは人にも物にも当てません」
「店主としては、それが一番ありがたい」
脇から声がして振り向くと、場所を貸してくれた店主が、客へ品物を渡し終えたところだった。
「展示のあとで修理の仕事を増やされちゃ、かなわんからな」
「今日は一切、増やしません!」
俺は剣を腰へ戻した。手のひらに重みの感覚が残っている。見てもらいながら動けたことが嬉しくて、ついもう一度構えたくなった。でも、今日はここまでにした。
「じゃあ、俺はこれで。仕事に戻らんと」
端で見ていた、布の包みを持つ別の男が言った。
「ありがとうございました!」
つい、次には絵も歌もあると呼び止めかけたが、男はもう通りへ向いていた。手を上げて見送り、俺は台の方へ身体を向け直した。
*
リアが立てた絵の前へ、籠を持った女性が近づいた。
手を伸ばす前のカナエ。顔だけが少し横を向き、その先には何も描かれていない。昨夜より明るい場所で見ると、柔らかくなった口元の線がよく分かった。
「この子は、さっきの剣の子とは違うのね」
「はい。カナエといいます。描いたのは、こちらのリアです」
俺が紹介すると、リアが小さく頭を下げた。
女性は絵を眺め、首を傾げた。
「誰かに呼ばれて、振り向いたところなの?」
「俺には、知ってる相手を見つけたみたいにも見えるんです。顔だけ先に向いて、手がまだ身体のそばに残ってるところが――」
そこまで話して、俺はリアを見た。
言いたいことは、まだあった。昨日気づいた口元のことも、手を伸ばしていないからこそ気になる、その先のことも。
けれど、女性の問いに答えたいのは、俺だけではないはずだった。
「リアは、どんなところを描きたかった?」
セラは何も言っていなかった。俺は自分で言葉を切り、台の横を空けた。
リアが一歩前へ出る。
「何かに気づいて、先に顔だけが向いたところを描きたかったんです。誰かが呼んだかどうかまでは、決めていなくて」
「そうなの。私は、呼ばれて嬉しかったのかなって思ったわ」
「口元ですか?」
「ええ。でも、笑ってるって言い切るほどでもなくて……」
女性が紙へ手を伸ばしかけ、触れる前に止める。リアは少し絵を傾け、光が見づらくない位置へ直した。
「ここ、最後まで迷ったんです。もっと口の端を上げると、すぐに笑った顔になるんですけど」
「今の方が、これから変わるように見えるわね」
「私は、そこを描いてみたくて」
二人の視線が、同じ小さな線へ集まった。
俺は紹介用の紙を手にしていた。最後に書いた問いは、今のものとは違う。用意した言葉より先に、客が気になることを聞いてくれたのだ。
書いた順番へ戻す必要はなかった。紙を折り、台の端へ置く。
「これは売っているの?」
「今日は、展示だけなんです」
「そう。じゃあ、もう少し見せてもらうわ」
リアが頷いた。買うかどうかの話はそこで終わったが、絵の前から会話はなくならなかった。
俺は腰へ手を添え、少しだけ横に立った。胸の中では、ミスティアの話の続きまで、相変わらず出番を待っている。
*
絵の話が一段落したところで、シエルがこちらを見た。
「そろそろ、歌ってもいいですか?」
「うん。頼む」
俺は客へ、短い歌も聞いてもらえることを伝えた。それからリアの台の正面を空け、シエルが決めた位置へ立つのを待った。
隣の店では、値段を尋ねる声が続いている。少し離れたところを荷車が通り、車輪が石の上で音を立てた。
シエルは、その音が通り過ぎてから歌い始めた。
最初の声は、俺の呼び込みよりずっと小さかった。金物を扱うという男が一歩近づき、女性は籠を持つ腕を下ろして、シエルへ顔を向ける。
昨夜も聞いた、低い方へ降りていく旋律だった。すぐに高くなるのかと思うところで、声はそこに留まる。一度上へ向かった音が、また低いところへ戻ってくる。少しずつ長さを変えながら続く音を聞いていると、俺の息まで、次の音を待ってゆっくりになった。
通りの向こうでは、誰かが笑っていた。歌の途中で立ち去る人も、客の後ろをそのまま通り過ぎる人もいる。
シエルは声を張り上げなかった。今ここで歌っている続きを、そのまま最後まで歌った。
最後の音が消え、俺は一度息を吐いてから手を叩いた。
近くからも、ぱらぱらと拍手が返った。シエルは小さく頭を下げ、もう一度顔を上げる。
「あの、今の歌」
女性が声をかけた。
「途中、同じところへ戻ってきたでしょう。あそこ、もう少し聞きたかったわ」
シエルの目が少し開いた。
「私も、そこを長く歌いたかったんです」
「そうなの?」
「はい。前は、すぐに次へ行こうとしていたんですけど、今は、この音をもう少し残したくて」
シエルは、尋ねられた短いところだけを、もう一度口ずさんだ。女性が頷き、今度は自分の聞こえ方を話し始める。
俺は何か言いかけて、口を閉じた。
ここがいい、と説明するなら、いくらでも言葉を探せる。でも、その二人はもう同じ音の話をしていた。間へ入らなくても、続きを聞ける。
台の向こうでは、リアが別の客に、カナエの顔の向きを説明している。俺が最初に考えた順番からは、少し外れていた。
終わってはいなかった。
「……あんたの話、続きがあるんだろ?」
金物の男が、俺へ顔を向けた。
「あります!」
返事が速すぎて、セラに笑われた。
「ただし、片づけまでの時間だけね」
「分かってる!」
俺は男へ向き直った。
「どの話が気になりました?」
「何で物語の続きを待つ願いまで、剣に書こうと思ったのか」
「そこですか! いや、それにはですね――」
まだ飽きずに聞いてくれる顔が、目の前にあった。
*
約束した時間が来たところで、俺たちは片づけを始めた。
リアが絵を包み、シエルが台のそばを空ける。セラは、店の人が通りやすい位置へ、借りたものを戻していた。
俺も台を運ぼうとして、腰の剣を先に押さえた。
「今、剣の方を心配したでしょ」
「台にもぶつけません」
「先に言ったわね」
セラと一緒に台を戻し、店主へ礼を言う。店主は借りていた場所を見てから頷いた。
「うちの客も通れたし、品物も無事だ。まあ、ずいぶん賑やかだったな」
「歌は、そんなに大きくなかったと思うんですけど」
「剣の説明の方だよ」
「ですよね!」
俺は頭を下げた。店主は笑って、次の客へ向き直った。
通りへ出ると、リアが包んだ絵を少し抱え直す。
「あの口元の話、もう少し聞きたかったです」
「次に描くとき、変える?」
「まだ分かりません。今日の絵は、このままがいいです。でも、別の表情も描いてみたくなりました」
隣でシエルが、歌った旋律の短いところを確かめていた。セラに何か尋ねられ、二人でさっき立っていた向きを振り返っている。
俺は懐の紙を取り出した。
話せなかったことが、ずいぶん残っていた。けれど、その余白に、リアと客の会話や、シエルがもう一度歌った音が入った午後を思い出すと、続きを詰め込めなかったことまで惜しいとは思わなかった。
「……また話したいな」
「まだ足りないの?」
セラが振り返る。
「足りない。でも、今日はここまで」
紙を畳んで、懐へ戻した。
このあとはアーグと合流し、明日の受取りについて、俺たちが手伝うところをもう一度確かめる。花の冊子は、まだ店には届いていない。
俺は腰の剣の位置を直した。見せるために何度も角度を気にした剣を、今は通りの邪魔にならないよう身体へ寄せる。
今日話せたことは嬉しい。明日やることも、ちゃんと残っている。
俺はリアたちと歩調を揃え、冊子を注文した店の方へ歩いた。




