俺の推しを見よ!
製作所の前に、男が立っていた。
ボロ布を羽織った、四十代ほどの男。だが姿勢が違う。周囲を見渡す目が鋭い。傍らには部下が二人。手には、金貨の詰まった袋。
「在庫を全て買い取りたい。定価で構わない」
製作所の窓口担当者が、困惑した顔で対応している。
「あの……予約制になっておりまして……」
「定価の五倍出そう。規約上、断れないはずだが」
俺は前に出た。
「待ってください」
男が振り返った。整った顔立ちだが、表情がない。値踏みをする目をしていた。あの夜、缶バッジを受け取った男の目と、同じ種類の目だ。
「……誰だ」
「オタクミ・ルミナス。冒険者です。そして、この製作所の販売に関わっている」
「関係ない。これは正規の取引だ」
「正規の取引で買い占めて、十倍で転売するのも正規の取引と言いますか」
アーグの眉が、わずかに動いた。
「……証拠があるのか」
「市場で見ました。三日前に」
「それが私の指示だという証拠は?」
一拍、置いた。証拠はない。でも──
「証拠はありません。ただ、この製作所の絵師は、一冊一冊を正規で届けたくて作っています。その意思を、金で踏みにじる気なら──俺が止めます」
「力ずくで?」
「それを決めるのは、あなたです」
静寂。アーグが、指を鳴らした。
部下二人が、前に出た。
────
「やるか」
『鞘で行けるところまで行け。抜くのは最後だ』
「わかってる」
部下の一人が剣を抜いた。俺は鞘を構えて走り込む。
鞘打ち横薙ぎ。
ドゴォン!
部下Aが吹っ飛ぶ。部下Bが脇から回り込んでくる。俺はステップバックで距離を取り、鞘口を一瞬だけ覗く。
(ミスティア、今日の光の受け方、いつもより柔らかい)
胸の奥がぽっと灯る。小拝。部下Bへ踏み込み、鞘打ち二連。
カコン! ズシャァ!
部下Bが膝をついた。
アーグが魔導書を開いた。
「……やるな。だが」
黒煙が立ち上る。魔導書のページから、骸骨兵が三体、這い出した。
「価値を知らない者に、好き勝手に渡すのが守ることか。わからない者の手に届くくらいなら、わかる者が管理すべきだ。それが本当の価値の守り方だ」
「……違う」
「何が違う」
「それは守ることじゃない。独占することだ」
アーグが目を細めた。骸骨兵が動き始める。
俺は鞘を正面に構えた。三体。位置を確認する。前、前、側面。
骸骨兵Aが突進してくる。鞘で受けて──
ドン!
押された。半歩、後ろへ踏み込まれた。骸骨兵Bが横から来る。鞘で逸らしながら後退する。骸骨兵Cが背後に回った。
(三方向。鞘打ちで捌ける限界が来てる)
『押されてるぞ、オタクミ!』
「わかってる!」
その瞬間、製作所の壁に亀裂が走った。骸骨兵Cの体当たりが壁を直撃していた。石が砕けて、破片が飛ぶ。
扉の影から、リアが顔を出した。目が合う。
リアが後ろにいる。製作所が壊れかけてる。
(このままじゃ──)
『オタクミ』
「……わかってる」
『抜くか』
一秒だけ、目を閉じた。
刃に刻まれたミスティア。あの顔が、この戦場で傷を受けるかもしれない。塵で汚れるかもしれない。酸が飛び散るかもしれない。
でも。
(あの子は、守られる側に甘んじる子じゃない。仲間のために、細い肩で踏み出す子だ。──ここで俺が引いたら、それこそ失礼だろ)
「ゴルドス」
『うん』
「俺は──推しを信頼する!」
鞘を、引く。
シャキィィィン──
ピンクメタリックの刀身が、光を呼んだ。
アーグが一瞬だけ動きを止めた。骸骨兵たちが、ぐらりと揺れた。
俺は刃を前に突き出し、高らかに叫んだ。
「見よ!!」
全員の視線が、刃に集まる。
「──俺の推しを見よ!!!!」
静寂。
刃の中央、ミスティア・ルミナス。フルカラー、正面ウィンク、光の角度でグラデが走る。アクリルチャームが風に揺れ、ちりん、と鳴った。
アーグが目を剥く。
「な……なんだそれは!? なぜ剣に人物画が!!?」
「痛武器だ!! 推しへの愛と尊みと“二期待ってます”の心が刻まれた、世界最強の神器!!」
骸骨兵Aが、じっと刃を見ている。骸骨兵Bが、首を傾けた。骸骨兵Cが、なぜかゆっくりと跪いた。
『……骸骨兵、心折れてる』
「尊輝は敵にも効くの!?」
アーグが「馬鹿な!」と叫んで、追加の魔法陣を展開しようとする。俺は刃を四十五度に構え、心の中に言葉を置く。
(今日のウィンク、角度が完璧だ。光の反射が、夜明け前の一番きれいな時間みたいだ)
胸の奥が、ぽん、と灯った。
尊輝:深拝。
刀身の縁に光の輪が二重に走り、足元から熱気が上がる。
「行くぞ──骸骨兵Aへ横薙ぎ一閃!」
カコン──
粉砕。
骸骨兵Bへ踏み込んで刃の腹を叩きつける。
ズシャァ──
飛んだ。
骸骨兵Cは跪いたまま動かなかったので、そっと頭を撫でておいた。
「いい趣味してる。成仏しろ」
『情けをかけてる場合じゃないぞ!』
アーグが魔法陣を広げる。黒い光が渦を巻き、地面を染める。
「貴様ァ……! この三重爆術で街ごと──!」
「させるか!!」
俺は走りながら、刃を四十五度に構えた。心の中に、ミスティアを描く。ステージで踏み出す瞬間の、あの細い肩。
(守られるだけじゃなく、守る側に立つ。俺もそうする。今ここで)
尊輝が、頂まで満ちる。
「奥義──」
「な、待て! その剣のイラストが! 目に入って! 眩しい! ──可愛い!!!」
「それが狙いだァァァ!!」
「だまされた!? 可愛さで、だまされた!!?」
「推しの力は万能! くらえ──《推し円環斬・フルサークル》!!!!」
刀身が回転し、光がハート型の軌跡を描く。斬撃が魔法陣を切り裂き、黒煙を散らし──
「ふぎゃあああああ!?」
アーグが吹っ飛んだ。爆風。製作所の窓ガラスがびりびりと震える。
────
静寂が、落ちた。
俺は着地して、息を整えた。刃の光がゆっくりと落ち着いていく。刃を傾け、ミスティアの顔を確認した。
傷はない。汚れもない。
「……無事か。よかった」
ちりん、と、アクリルチャームが鳴った。
────
瓦礫の陰から、アーグが立ち上がった。煤が顔についている。ローブが破れている。だが表情が、さっきと違った。迫力より──どこか、疲れた人間の顔をしていた。
「……なぜ、お前には値段をつけずにいられる」
「値段をつけなくても、価値はあるからだ。お前だって、わかってたんだろ。あの絵を見て、心が動いた」
アーグが口を開きかけた。
「……昔。俺も、大事にしていたものがあった。価値を知らない者に、踏みにじられた。だから──」
「だから値段で守ろうとした?」
沈黙。
「その気持ちはわかる。でも、それは守ることじゃない。独占することだ。価値は届いてこそ生きる。囲い込んだ瞬間、それはもうお前だけのものになる。──お前が守りたかったものも、そういうものだったか?」
アーグが、何か言いかけた。
その瞬間、足元で黒い魔法陣が光った。上位組織からの召喚魔法。アーグの身体が薄れ始める。
「……あの絵師は」
消えかかりながら、アーグが言った。声が、少し違った。
「──本当に、描きたくて描いているのか」
「ああ」
アーグは目を細めた。
「……そうか」
閃光。
アーグは、消えた。
────
しばらくの沈黙の後、俺は刃を鞘に納めた。
カシン──
胸のざわつきがすっと静まる。
(あいつ、最後に「あの絵師は」と言った。アーグは──リアの絵を、ちゃんと見ていた)
リアが駆け寄ってきた。目が赤い。
「先生……! 最初に剣を見せたとき、骸骨の人たちが止まって……!」
「だろ。推しの尊みに、敵も味方も関係ない」
「でも先生、抜いてよかったんですか。傷が──」
「確認した。無事だ」
リアが、ほっと息を吐いた。それから、小さく笑った。泣いているのに、笑っていた。
『ログ:帰還条件、一段階前進』
ゴルドスが静かに言った。




