俺の推しを見よ!
製作所の前に、男が立っていた。
ボロ布を羽織った男。身なりだけなら街道を歩く旅人にも見えるが、立ち方が違う。周囲を見渡す目には妙な鋭さがあり、傍らには二人の男まで控えている。
何より分かりやすかったのは、その手に提げられた袋だった。
口の隙間から、金貨が見えている。
「在庫をすべて買い取りたい。定価で構わない」
製作所の窓口を担当していた職人が、困った顔をした。
「あの……現在は、一人あたりの数を決めておりまして」
「なら五倍出そう」
男は淡々と言った。
「それなら問題はないだろう」
俺は足を止めた。
リアも隣で同じように止まる。
この前、露店で見た高値の本。
売り切れた物を欲しい人より先に押さえて、高く売る。
あれを見たばかりで、この会話はさすがに聞き流せない。
「待ってください」
男がこちらを向いた。
整った顔立ちだった。
けれど、目が笑っていない。
人を見るというより、値段を測っているような目だった。
「……誰だ」
「オタクミ・ルミナス。冒険者です」
俺は窓口の横へ立った。
「それと、ここの商品には少し関わってます」
男は俺を上から下まで眺めた。
今の俺の見た目だけなら、どう見ても金髪美少女だ。
だが中身は二十四歳男であり、推しのためなら知らないおっさんの買い占めにも割って入る。
ややこしい存在で申し訳ない。
「関係者か」
「まあ、そんな感じです」
「なら話は早い。在庫を売れ」
「嫌です」
リアが隣で小さく息を呑んだ。
男の眉がほんの少し動く。
「理由を聞こう」
「一人で全部買うから」
「金は払う」
「そういう問題じゃない」
男の後ろにいた二人が、わずかに身構えた。
俺も腰の鞘へ手を添える。
まだ抜かない。
というか抜きたくない。
「欲しい人に届くように、一人で買える数を決めてるんです。それを金積んで全部持っていかれたら、意味ないでしょう」
「商品は、売れれば同じだ」
「違います」
即答したのはリアだった。
俺も少し驚いて彼女を見る。
リアは緊張している。
それでも男から目を逸らさなかった。
「作ったものを、見たいと思ってくれた人に渡したいんです」
男の視線がリアへ移る。
「作り手か」
「……はい」
「ならなおさらだ。作った物に高い金がつく。悪い話ではない」
リアは言葉に詰まった。
その横で、俺の腹の底に熱いものが湧いてくる。
この前リアも同じことを考えた。
高く売れるなら、最初から高くした方がいいのか。
でも俺たちは、そこを目指して本を作ったんじゃない。
「あなた、あれですよね」
俺が言う。
「転売する人」
男の目が細くなった。
「転売?」
「買って、もっと高く売る」
「商売と言え」
「欲しい人より先に買い占めて?」
沈黙。
俺は確信した。
「名前は?」
「……アーグ」
男は答えた。
「覚えておけ。いずれこの街でも、物の価値を決めるのは作り手ではなくなる」
嫌な言葉だった。
ただ、今の俺にはその意味を全部理解できたわけじゃない。
分かったのは一つだけだ。
こいつに全部持っていかせたら駄目だ。
「じゃあアーグさん」
「なんだ」
「帰ってください」
「断る」
アーグが指を鳴らした。
その瞬間、両脇の男たちが下がった。
代わりに、地面へ黒い光が走る。
「先生!」
リアが声を上げる。
地面から白い骨の手が突き出した。
一体。
二体。
三体。
骨だけの兵士たちが、軋む音を立てながら立ち上がる。
「うわ、出た!」
『落ち着け、オタクミ』
腰の鞘からゴルドスの声が響く。
「いや骸骨が地面から生えてきたら普通ちょっと驚くだろ!」
『スライムより形が人に近いだけだ』
「そこじゃねえ!」
骸骨兵が剣を構えた。
アーグは後ろへ下がり、こちらを見る。
「力ずくで止めると言ったな」
「言ってない!」
俺は鞘ごと《タクミ・ブレイザー》を構える。
「そっちが勝手に力ずくへ持っていったんだろ!」
一体目が突っ込んでくる。
振り下ろされた剣を、鞘で受けた。
硬い音。
腕に衝撃が走る。
でも、星象素体の力なら耐えられる。
「せいっ!」
剣を逸らし、そのまま鞘の側面を骸骨兵の胴へ叩き込む。
骨がばらばらに弾け飛んだ。
二体目。
横から来る。
俺は一歩踏み込み、鞘の先で胸骨を突いた。
ガシャッ、と派手な音を立てて崩れる。
『ずいぶん慣れてきたではないか』
「推しを守るためだからな!」
三体目が迫る。
その後ろで、アーグがこちらを観察していた。
「剣を抜かないのか」
「抜きません!」
「何のための武器だ」
「観賞用です!」
アーグの顔が初めて崩れた。
「……は?」
来た。
その反応。
この世界へ来てから何度も見た。
武器なのに抜かない。
戦えるのに斬らない。
理解できないという顔。
だが今回は、それでいい。
俺は三体目の攻撃をかわし、鞘で足を払う。骸骨兵が倒れたところへ一撃を叩き込み、骨の山へ戻した。
残るはアーグ。
「随分と珍妙な戦い方をする」
「褒め言葉として受け取っときます」
「だが武器を使わないなら、何を見せたい?」
俺は止まった。
何を見せたい?
そんなの。
決まっている。
「聞いたな?」
「何をだ」
「今、何を見せたいって聞いたよな?」
嫌な予感でもしたのか、アーグが一歩下がった。
遅い。
「リア!」
「は、はい!」
「ちょっと下がってて!」
「分かりました!」
俺は《タクミ・ブレイザー》の柄へ手をかける。
戦うためじゃない。
斬るためでもない。
これは。
推しを見せるためだ。
ゆっくりと、刀身を引き出した。
ピンクメタリックの輝きが光を跳ね返す。
大きく描かれたミスティア・ルミナス。
刀身には「尊い」「二期待ってます」の文字。
揺れるミスティアのチャーム。
抜いたのは、ほんの一瞬。
傷一つつけさせないため、構えて斬り合う気なんて最初からない。
ただし。
一瞬あれば十分だった。
「――俺の推しを見よ!」
アーグの目が止まった。
完全に。
「…………」
「どうだ!」
「…………」
「可愛いだろ!」
アーグの視線が、刀身のミスティアから離れない。
そして。
「……可愛い」
言った。
聞いたぞ。
俺は聞いた。
「よっしゃあああああああ!」
「何を喜んでいる!」
アーグが我に返った。
だが、もう遅い。
俺は即座に《タクミ・ブレイザー》を鞘へ戻した。
カチン、と鍔が収まる。
推し保護完了。
同時に、一気に間合いを詰める。
「な――」
「推しに見惚れたな!」
「違う!」
「可愛いって言った!」
「それとこれとは――」
「布教成功!」
鞘の一撃を、アーグの腹へ叩き込んだ。
「ぐおっ!?」
アーグの身体が折れる。
俺はその肩を押し、地面へ転がした。
殺さない。
斬らない。
推しも傷つけない。
でも倒す。
これぞ。
「観賞用戦闘術!」
『今名付けたように聞こえたが』
「前からある!」
『そうだったな』
地面に膝をついたアーグが、腹を押さえながら俺を睨んでいる。
「……ふざけた、武器だ」
「最高だろ」
「褒めていない」
「でもミスティアは可愛いって言った」
「言っていない」
「言った!」
「聞き間違いだ!」
「リア!」
「言ってました」
「なぜそっちの味方をする!」
リアが少し笑った。
その笑顔を見たら、さっきまで張り詰めていたものが少し抜けた。
アーグはしばらく黙っていたが、やがて立ち上がった。
部下たちが近づいてくる。
「今日は退く」
「今日は?」
「覚えておけ、オタクミ」
アーグは俺を見る。
その目はまだ冷たい。
ただ、一度だけ《タクミ・ブレイザー》へ視線が落ちた。
「物には値がつく。欲しがる者が増えれば、なおさらだ」
そう言い残し、アーグは部下を連れて去っていった。
俺はその背中を見送る。
嫌な奴だ。
間違いなく。
でも。
「可愛いって言ったな」
「言ってましたね」
「聞いたよな?」
「はい」
俺は拳を握った。
「よし!」
『何がよしなのだ』
「敵にも刺さった!」
『勝敗よりそこなのか』
「当たり前だろ!」
倒したことより嬉しい。
転売魔だろうが何だろうが。
ミスティアを見て、一瞬でも「可愛い」と思った。
だったら。
「布教対象だな」
「先生」
リアが呆れたように俺を見る。
「たぶん、そういうところだと思います」
「何が?」
リアは答えず、少しだけ笑った。




